一次産業は命がけ | 野生農園日誌

野生農園日誌

自然農法の農園「野生農園ザ☆ばん」の日々の記録
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1月は寒かったですね。
風邪ひいてすぐに治ったつもりが治ってなくて、こじらせて寝込んだりしている内に、気付けば2月9日。
最近ちょっと、風邪をひきやすくなってるようです。
アレを何度も打つと免疫力が低下する説もありますが、私は打ってないのでそれは無関係。
でも例のにかかると、後遺症でやっぱり免疫力が落ちるという噂もあります。

この辺は自分が信じたい話を信じればいいのですが、単に寝不足が続いて疲れてた時に人込みに出たのかもしれないし、もう無理の効かないお年頃なのかもしれません。だとすると頑張って月末に日誌を更新すると死んでしまうかもしれません。
遅かれ早かれ死ぬので、それならそれで構わないのですが、もう少しこの世界で遊んでいきたいので、ぼちぼちやることにします。

真冬は毎朝土も凍ってるし、この辺りでは加温施設がなければこの時期野菜は採れません。
なので、冬の畑仕事はそんなに多くありませんが、キクイモを掘ったりキクイモを掘ったり、たまに木を切ったりしてます。
そして思い返してみると、畑以外の色んな事もしてました。
認知症が急激に進んでしまった京都にいる補佐の母の様子を見に行ったり、大分の友達の所を訪ねて2歳児のお世話をしたりしました。赤ん坊は日々色んなことを吸収し、認知症の老人は日々色んなことを失っていくのですが、自分で出来ること出来ないことがよく似ています。
「アルジャーノンに花束を」という、知的障害のある青年チャーリーが手術で天才的な頭脳を獲得し、この世界の知を急激な勢いで吸収した後、それ以上の速度で失っていく切ないSF小説があります。時間を置かずに赤子と老いた母とを見て、この物語を思い出しましたが、チャーリーじゃなくても人の一生とは何かを得て失っていくプロセスなんだなと思いました。失うことで得ているものもきっとあるのでしょうけれど、表面的には見えにくいので、人はそこに悲しみを見出しがちです。
それだけでは彼女の人生に失礼なので、失ったことで母が得たものを考えてみようと思います。
野菜もまた、季節が過ぎると朽ちて枯れていきます。枯れたキクイモの茎は集めて畝に重ねておきました。微生物の餌になって土を育ててくれる筈です。

掘り残した大根は腐っているものもありますが、生き抜いた大根達は春に花を咲かせ、種をつけてくれます。
補欠に土の中に埋めておいた大根を掘り出し、埋めなおすので全滅しても大丈夫ですが、今年は厳しい寒さにも関わらず今の所、意外と生き残ってます。大根は毎年こんな感じの適当な種取りをしています。
とっくに終えてないといけない夏野菜の種取りも、今頃ようやく手を付けたものもあります。

どうでもいいことですが、一応お伝えしておきます。

 

すみません。どうでもいい話なのですが2回に分けても収まらず、12コマの大長編になってしまいました。


そんなわけで、ミニトマトはちゃんと夏に種取りできた一部を除き、ほぼ種取りに失敗。
補佐の頭も大分壊れてきてる気もしますが、生まれつきこんな感じなので、本当に壊れ始めてたとしてもよく分からないですね。

1月末に行った大分はまさかの大雪。
友達の始めた福祉事業所
虹の道/工房たね
に訪れた山伏さんもびっくりして法螺貝を吹いてしまいました。

楽しい所になりそうなので、周辺にお住まいの方は行ってみて下さい。


明日は関東に大雪予報。
恐ろしいですね。