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中田敦彦YouTube大学【歴史偉人伝】
千利休 2/2
がエクストリーム授業

百“文”は一見に如かず!
詳しくは動画をご覧下さい。




エクストリーム授業とは ?
なるべく分かりやすく「面白いんだよ」という事を全面にお伝えする授業!

【結論】
二面性をもった千利休。
千利休がこだわった黒は、シンプルという意味もあるけど、何もかも混ざり込んで闇のように輝く黒でもあった。

【説明】
千利休の死に際がたまらない。
これについて考える事が凄く大事。

「えっ?利休様が切腹?河原にお触書の札がたっているらしいぜ。皆見に行こうぜ!」

《千利休、切腹の命に処す》

「あぁ〜本当だ…。」

罪状は2つ。

1つには、千利休が自分でプロデュースしていた器や茶器を高額で取り引きしていた。
この行為は位の高い僧に相応しくない。
利益を追求する行為である。
こんなのは僧侶としてあり得ないという罪。

もう1つは大徳寺という禅の寺がある。
その寺は織田信長が死んだ時に葬儀を執り行った寺でもある。
その寺の門をちょっと豪華にしましょうということで、千利休のバックアップの下、二層の楼門にした。
[金毛閣]という。

大徳寺の住職が
「豪華な門になりましたね。有難う御座います。利休様。その感謝の証として楼門の二階部分に利休様の木像を置いておきます。」

この行為に対して石田三成が怒る。
「何してんだ!何だ!あれは!」
「いや、あれは利休様が建て直して下さったもんですから。」
「そうか、これは失礼だろ!この寺では信長公の葬儀も執り行った特別な寺だ。て事は、秀吉様もその門を通る事は知ってるよな。お前な。その門の上に利休の木像を置くって事は、秀吉様より利休の方が上って事か!このヤロー!」
この木像が失礼って罪。

以上の2つの罪により切腹を命じられる。
これがミステリー。

木像を置いてたから失礼って、なんか言いがかり臭くないですか?
「失礼だから下に置いとけよ〜。も〜。やめとけよ。コノコノ〜。」
とかで済む話がなんで切腹なのよ?と。

売買に関しては、最近始めた事じゃなくて昔から、最初から、利休は自分の器とかを高値で売ってた。
元々は商人ですから。
今に始まった事ではない。

それを今更そんなに怒る事?
これが何だったかを考えるのが面白い。
それを知る為には千利休という人はどういう人だったかという事を考えないといけない。

利休がプロデュースした名作とは一体何だったか?
初心者が覚えておくべき事は2つ。

1つは器。
[樂焼](らくやき)
どんな器?

真っ黒な器。

「え?黒っすか?抹茶飲むのに黒?喪に服す時とかの色ですよ?黄金とかじゃないんですか?なんかこう、華美な模様とか?黒ってあんま無いっすね?考えた事無いです。」

「黒です。」

これに皆ビックリした。

この真っ黒な物が美しい。
黒い器である樂焼が至高であると言ったのが千利休。

なぜ黒の樂焼がいいと言い出したかのか?
それまで名物名物と言っていたものとは、海外からきた器。
中国や朝鮮から渡ってきた舶来の品。
それを
「いいですね〜。珍しい!」
とか言ってた。

千利休はそれが許せなかった。
1つには
「なぜ国産じゃないんだ。」
という気持ち。

この樂焼をどうやって売ったかというと
「これいくらですか?利休さん?」
「これはお売りする物では御座いません。」
「あっ、売ってくれないんですか?」

簡単に売らない。
その上で、凄く有力でお洒落でセンスのある武将には何個か渡している。

千利休ブランドの価値を上げた。
とんでもない値付けをし、値段をバーンと吊り上げた。
「海外のブランドに負けてたまるか!ここで一発決めてやる所だ!」

もう1つは千利休61歳。
本能寺の変の後。
[待庵](たいあん)
という茶室を作った。

それまでは、源義政が作り上げた東山文化で、貴族的な華やかさと武家の武骨さが合わさって非常にいい感じに武家と貴族の融合した[書院造]
銀閣寺のあの感じ。

書院造の広い所で茶を楽しむ。
それが良いとされていた。

そんな中、千利休が作った待庵という茶室は何がいいか?
超狭い。
2畳しかない。
入口も狭い。
刀を持っていると入れないみたいな入口。

「あの千利休様がプロデュースした茶室が出来ました〜!」
「うわぁ〜!どんなのだろ〜?狭っ!入口も狭っ!入りづらっ!で、茶室の中、暗っ!」

真っ黒な器と暗くて狭い茶室。
これがいいんだぞとしたのが千利休。

「これから私の考える美というものを国内で最高の価値にしてやる。」
それが千利休の考えた事。
そんな千利休は物凄く尊敬されていた。

1つキーポイントになるのは、あの暴君織田信長や豊臣秀吉にも重用されていた事。
めちゃくちゃ頭が良かったし機転もきく、才能の塊だった。

千利休の茶道とは何なのかというと
おもてなし道。
お茶を飲む道ではない。

茶道って堅苦しくて、茶碗を2回まわせだ何だのっていうセレモニーだと思うがそんな物ではない。

そのセレモニーだったお茶をおもてなし道にした。
来た人を感動させる。
来客をもてなす時にビックリさせる。

よくあるエピソードで
「秀吉公、朝顔が綺麗なのでご覧に参ってください。」
「あ〜そうだな。利休の茶室には朝顔の生け垣があったな。見に行ってやろうか。ん?どういう事だ?朝顔が全部刈り取られてるじゃねーか。どういう事だよ。風で駄目になっちまったか?おい!利休!」

そこで茶室に入る。

暗い茶室にパッと光が差し込んでいて、一輪の朝顔だけがそこに掛かっている。

朝顔見たい〜、見たいから生け垣あったもんね〜、とさせときながら、何でなくなってんの〜?トラブルかよ〜、利休らしくね〜な〜、からの

真っ暗な茶室にバーン!

朝顔一輪。

「やるじゃないか。利休。」

千利休はこういう事の連続で出世してきた。
戦、武力で出世した訳ではない。
頭で人を感動させて人の心を掴んでいった。

千利休の師匠(若くして亡くなった)[武野紹鴎]を感動させたエピソードもある。

「おい、宗易。寺の前を掃除しておきなさい。」
宗易は掃除しろと言われて行ったにも関わらず寺の前には全く何も落ちてなくて綺麗だった。
掃除する必要がない。
でも武野紹鴎は寺の前を整えなさいと言った。
「ん〜…。なるほど。」

木を揺らして何枚か木の葉を落として帰っていった。
それを見ていた武野紹鴎は

「やるじゃないか。宗易。」

要するに何も無いより、ハラリハラリと何枚か木の葉が落ちている方が風流に綺麗に感じませんか?
という事を演出した。

こういった
「やるじゃな〜い。」
の連続。

そんな千利休のおもてなしの原則
[四規七則](しきしちそく)
というものが残っている。

四規とは[和敬静寂]
和らげなさい。
敬いなさい。
清めておきなさい。
そして
静かでいなさい。

こういう事です。
これが茶です。
禅の思想と茶の思想とおもてなしの思想が一貫している。

七則とは
一部抜粋すると

《茶は服の良きように点て炭は湯の沸くように置きなさい》

これはいい感じに美味しいと思うお茶を出し、お湯が丁度沸く位の炭に火をつけてとか普通の事が書いてある。
拍子抜けする。
「おもてなしの極みだった利休さんの書いた七則って普通。」

皆そう言う。
その時、利休は
「普通の事をやるのが1番難しいので御座います。」

忙しい時もある。
急な来客もある。
「ちょっと近くまで来たんで寄りましたー。」
なんて自分の上司が来るかも知れない。
その時にいい感じに茶を点てていい感じにもてなすってのはなかなか難しい。

「普段の心掛けです。いつ客が来てもいいようにいつも部屋を清めておきなさい。」

出来ますか?皆さん?
ピンポーン♫
「うわー!急に来た!片付けなきゃ!バタバタ」

[降らずとも雨の用意]
雨が降ってきた。
「わーっ!ちょっとも〜。天気予報じゃ雨じゃなかったじゃん!」
こんな時にパッと後ろを振りむくと折畳み傘を持って微笑んでいる人がいる。
「あんた、出来るね〜。」
となる。
「凄いおもてなしだ。お前いつも持ってんの?しかもちょっと待って。この折畳み傘、俺が好きな柄なんですけど〜。どういう事?」

上司ごとに好きな色や柄の折畳み傘をバーッと用意してあって、その上で
「今日は〇〇さんと会うな。」
と思ったら必ずその折畳み傘を入れておく。

雨が降ると恩着せがましくする事も無く、スッとその傘を差し出す。
こういった事をやってきたのが千利休。

ある意味豊臣秀吉と似ている所がある。
「なんだこの草履、温かいぞ。この草履に何かやっただろ?誰だ?」
「ハッ!」
「サルか?何やってたんだ?」
「ハッ!織田信長公が履かれると思い、懐にて温めていたので御座います。」

豊臣秀吉は戦が上手じゃないからこそ考えて考えて調略する。
あっちの味方に付いたほうがいいぞとか
スパイ活動とか
調整で何とかして、交渉を重ねて事前に裏切らせて勝たせた。

人たらしのサルと言われながら
「お前だったらなんとかしてくれるだろう。」
と言われながら、
[丹羽長秀]と[柴田勝家]を立てる為、[羽]と[柴]取って
「羽柴秀吉で御座います。」
と上司にも気に入られながらそういう事をやってきた。

豊臣秀吉と千利休とはバッチリ。
このサルと利休。
気が合わない訳がない。

そんな中、何がいけなかったのか?

千利休が力を持ち過ぎたんじゃないかと言われている。

北野大茶会でも来場者は
「利休様のお茶を!利休様のお茶が!」
となる。

最初から千利休と豊臣秀吉とはアドバイザーと社長の関係。
顧問が超有名顧問みたいなもの。
織田信長の頃から引き継いでる。

その利休がめっちゃセンスあって色んなおもてなしとかプロデュースで一流の評価を得ている。
「利休様の茶のレッスンを受けたい。」
と言ってる武将達。

千利休と豊臣秀吉。
その辺りで段々と影響力でバッティングしていったんじゃないかと言われている。

それと千利休という人物を知る上でめちゃくちゃ面白い人がいる。

それが[丿貫](へちかん)
[北野大茶会と丿貫]という話がある。

実は若い頃、同門で習っていた千利休の兄弟子である。
「えっ?でも有名じゃないじゃん?」
丿貫とはそういう人。

それまでは上にも書いたが東山文化で豪華で華美。
武野紹鴎は侘び茶の一門。
四規七則の考え方は質素。
それまでのお茶のカルチャーを凄く精神的なアートにした。
「何もなくていいんです。朝顔一輪でいいでしょ?」
「ドキーン!確かに金にものをいわして色々やってきたけどその方がクールでいいですね!」
ミニマリストなんです。

千利休の茶道とは、セレブへのカウンターカルチャーだった。
千利休の茶道とはセレモニーでも無ければデザインでもない。
思想、イデオロギーだった。

そんな中でそれを貫こうと思ったら豪華な暮らしはおかしいよね?となる。

丿貫という男は禅の思想と侘び茶の思想を追求して、何でもない村に普通に暮らしていた。
ボロボロの家だけどちょっとオシャレで質素な家。
何でもないジジイが質素なもの食べている。
それが丿貫という男。

「大茶会だ!有名な茶人を皆集めろよ。」

その中で丿貫の名前も名簿リストにあがってくる。
「丿貫?」
「私の先輩です。」
「じゃそいつも呼べ」
となる。

丿貫は
「私はそんなのいいです。そんなのには出ない。」
「来なければ殺す。」
みたいな事を豊臣秀吉の部下は言う。

そして北野大茶会当日。

豊臣秀吉
「はぁ〜、利休はこうか、あいつはこうか、あいつはどうだ、ん〜、やはり利休を超えるような逸材はいねえのか。」
全員が色んな茶室とか建てたり、しつらえをワーッとやっている。

そんな中、でっかい赤い傘だけを持ったボロボロのジジイがザッザッザッと来る。
「何かあいつ雰囲気違うな…。何する気だあいつ。遅れて来やがって。」

するとジジイはそのでっかい赤い傘をボンと挿してバッと開いて質素な敷物をサッサッと敷いて座った。
それを見て全員が思う。
「只者じゃねえ。とんでもねえ奴が現れたようだ…。」

このジジイこそが丿貫。

それで豊臣秀吉は
「なんだあいつ。面白い事するじゃねぇか。」
と言っておもてなしをうける。
出された茶を飲む。
「妙にサラッとした茶だな。」

ここの茶人達は趣向を凝らしていいお茶を用意している。
「これ最高級の茶ですよ。北野大茶会に相応しいお茶ですよ。」
とやって豊臣秀吉もそれを沢山飲んでいた。

「しかし、このジジイが出した茶は水のようにサラッとした茶じゃないか。お前、まさか俺がこの茶会で、もう何杯も飲んでいる事を配慮してあえてこの茶なのか?」

「………(コクリ)」

「只者じゃない!」

これが丿貫。

「おい、お前!次のTOPにならねえか?」
「そんな事をしたら外で茶を飲めなくなりますから…。」
断る。

でも豊臣秀吉は偉く感動して色々なお役を免除して
「お前はもう自由でいい。」
と言った。
豊臣秀吉を感動させた丿貫のお話。

丿貫と千利休の対比も面白い。
お互い茶の湯とは何だ?
侘びだ。シンプルだ。おもてなしなんだ。
と言っておきながら
片や、正親町天皇に献茶する所まで登り詰めた男
片や、田舎町で一人でいる男。
その差もクッキリしていて面白い。

その丿貫は千利休についてコメントしている。
「とんでもなく才能のある人だったね。利休は。昔から君はとてつもなく才能があった。しかし最近ちょっと変わっちゃたのかも知れないね。何だか偉くなろうとしているように見えるよ。」と。

それともう一人。
[山上宗二](やまのうえそうじ)

この人は千利休の1番弟子。
利休の教えを芯の髄まで叩き込んだ。
こいつの運命が凄い。

「利休様の言った事は全てだ。絶対だ。」
と思ってるから、段々と豊臣秀吉と合わなくなってくる。
秀吉が
「あれやれよ。これやれよ。」
と言う事に対し
「それは違うと思いますぞ。そんなもの下品じゃないですか。何でそんなに豪華にするんですか?侘び茶の精神と違います。」
利休イズムが強すぎて言ってしまう。
「ふざけんな、お前!誰にもの言ってんだ!」
と追放されてしまう。

追放されて色々転々とした挙げ句、東北の小田原に行く。
豊臣秀吉は関白になり徳川家康を形式上、配下にしその上で平定した。
ところが小田原北条氏だけは与しなかった。
「おのれ!憎き小田原!」
そこに山上宗二は行ってた。

そこで
「千利休様の弟子ですか?聞いてますよ。」
小田原にも文化の人がいた。
「うわー!山上宗二さんだ!一番弟子のお方じゃないですか!凄い、凄い!」
今まで迫害されてきた山上宗二は
「いやー、ありがとう」
「山上宗二先生!神髄教えて下さい!」
「いやー、俺にも価値があったんだな。」

山上宗二は
《これはいい器である。これはあんまりよくない器である。〇〇はこういう器である》
みたいな221品の説明入り名物リストを書く。
「うわー!これは凄い!先生!ここに書かれた価値のある器って見た事あるんですか?」
「私はこれを生で見た事ありますよ。」
「マジで!スゲー!」
とても重宝されていた。

ところが豊臣秀吉による小田原攻めが始まった。
「小田原を攻めろ!北条を攻めろ!ついに東北も平定だ!」

山上宗二、ドキーン!

「これはもう捕まったら絶対に殺される…。」

そんな中、千利休が山上宗二に会う。
「宗二。戻ってきなさい。このままだと殺されます。」
「し、しかし私はもう戻れません!」
「私が言ったらなんとかなりますから。」
こう言って千利休が山上宗二を戻そうとするんだが…。

「上様!山上宗二!捕らえました!」
「よく俺の前に顔出せたな。山上宗二。」
「か、数々の御無礼、失礼致しました。何とか太閤秀吉様の下でまた働かせて頂けないかと。」

事前に千利休も裏でバックアップはしていた。
「秀吉様。宗二は非常に有力な可能性もありますので元に戻してあげて頂きたいです。」
利休は言ってた。
でもこの頃は北野大茶会の後で千利休の影響力が強すぎてどうしようと思っていた時期。

そんな中、石田三成があるものを見つけて持ってきた。
「おい、宗二。お前なんか本出してたな。名物リストとかお前偉そうに出してただろ。その中に《これはこうであまりよろしくない名物》だと!?貴様!この名物は秀吉公が持っている物だぞ!それをよくもあまりよろしくないなんて事書いてるな!お前は太閤様より偉いというのかー!」

(アチャー)

「何!?そんな事書いてるのか?お前!」

斬っ!!

それも恐ろしい殺され方をされた。
鼻、斬っ!
耳、斬っ!!
そこからの首、斬っ!!!
斬首の刑。

とんでもない目にあった山上宗二。
千利休の教えをあまりにも信じすぎて逸れていった男。

この頃から豊臣秀吉は石田三成に基本的に任せていく。
石田三成はこの茶人達があまりにも影響力を持ち過ぎている事が物凄く嫌だった。
だから
「山上宗二、絶対生かしておくべからず。そして利休!」
という風に思っていた。

「これからの世を治める為にもう武士は全て治めたんだ。これからは太閤秀吉様の1TOPで行かないといけないんだ。にも関わらず秀吉様に反旗を翻すような弟子を育てたり、ちょこちょこ秀吉様よりも影響力があるように見せるこの利休、許すまじ!」

でも豊臣秀吉は、なかなか千利休に手を下せない。

「しかし、利休には色んなアドバイスをしてもらっている。本当に頼りになる奴だ。俺も信長様からお茶は素晴らしい物だと教わった。その上でお茶を教えてくれたのは利休なんだ。俺は利休をなかなか殺せないでいる。どうしたものか…。」
「秀吉様!あいつは危険です!」
「あぁ〜〜。三成!下がれ!」
苦しんでいた。

豊臣秀吉は千利休に忠誠心があるか色々試した。
「お前の持っている名物[橋立]あれ俺によこせ。」
「それは譲れません。」
「お前の娘がいるだろ。あいつをうちの養子によこせ。」
「それはなりません。」
「うるさい!お前の言う事は聞かん!よこせ!」
うぁ〜と揉めに揉めて、そんな仲になっていた。 

秀吉・三成・利休・丿貫・宗二
それぞれの思惑が絡んでそしてある時にそれが崩壊する。


「利休の首をはねよ。」
 

「じゃあ、斬首の刑で御座いますね?」
「斬首じゃねえ。切腹だ。」
「いや、しかし切腹というのは武人であって、あいつは只の町人じゃござ…」
「うるさい!三成!切腹だ!」


千利休、切腹の日。

「利休様を殺すなんてー!利休様〜!!」
と凄く色んな意見が武将達からでてる。
皆、千利休に信奉しているからだ。

「どこの武将が利休を救出しに来るかも分からん!1000人、いや2000人の兵で利休を囲め!」

千利休、切腹の場所を数千人の兵が囲んで万全の警備体制の中行われる。

千利休ってひょろっとしたお茶の人と思われそうだが、違う。
身長180センチの大男。

その大男がドーンと座る。
千利休、最後の辞世の句。
漢文で書かれたそれがバーンとある。
その辞世の句を読んで切腹する。

【人生七十】(じんせいななじゅう)
【力囲希咄】(りきいきとつ)
【吾這寳剣】(わがこのほうけん)
【祖佛共殺】(そぶつともにころす)
【堤我得具足一太刀】(ひっさぐる わがえぐそくのひとたち) 
【今此時天抛】(いまこのときぞ てんになげうつ)

人生70年。
力囲希咄とは、力一杯の掛け声。
エイヤー!みたいな感じ。

吾這寳剣とは、我が宝の剣を持ちその宝剣で

祖佛共殺とは、祖先や仏様もろとも我が剣で殺し

堤我得具足一太刀とは、ひっさげてこの具足を付けて私の得意技で一太刀だ。

今此時天抛とは、今この時、天になげうつ。

意訳すると
《人生70年。こんちくしょー!この俺の宝剣でもってだな、祖先とか仏とかそんなもん全部ひっくるめてもうブッサーと刺して飛んできますわー!》

物凄く激しい。豪快にも程がある。凄い辞世の句。

これ見て思う。
《茶はいつも温めておきなさい》
この人、四規七則の人だろうか?

違う。

この二面性。

この二面性が千利休の面白いところ。

丿貫のやってる事というのは凄く個人的な事。
自分で茶の湯を追求すればいいじゃない。

千利休は
侘びた物がいい。
人の心を掴むにはこのようにするのがいい。
全てを完璧にこなし、誰をも感動させる。
侘びと禅をもって日本のカルチャーを新しくしよう。
それはとても人の為になるものです。
と言った、天使の千利休。

この茶の湯が一番素晴らしいんだ!
黒が一番美しいんだ!
そしてこの茶の精神こそ一番だ!
これを広めたいのだ!
全国にそれらを知らしめたいんだ!
それで海外の文化も乗り越えたいんだ!
その上でそれらの一番頂上からそれを広めたいんだ!
という欲が物凄いぶつかり合っている、悪魔の千利休。

それが最後の辞世の句に出ている。
堺の魚どん屋から始まり、あらゆるおもてなしをして全ての言葉で感動させたあの、千利休の最後の言葉がこれ。
めちゃくちゃ長いし激しい。
これが千利休。

本当だったら5文字位の雅な言葉で死んで欲しかった。

エイヤー!やったらー!からのボーン!
これが千利休こと田中与四郎なんです。

なんと、なんと美しい事よ。


【個人的感想】
千利休後半が終わりました。
この辞世の句。
石田三成が危険と言ってるのもあながち間違いじゃない感じがしました。
このまま、千利休を生かしてたら時代が変わってたかも知れませんね。
自分の大阪時代の職場には茶室があった。
たしかに、にじり口というイメージで言うと奈良の大仏の鼻の穴の大きさ位の入り口があった。もうちょっと大きいかな?

しかもやっぱ薄暗かった。

【和敬静寂】と書かれた掛け軸だったか何かだったかあった。
うちの社長がとてもこの時代が好きだったんだな。

あの頃にこういった知識があればもっと仕事が楽しくなったんだと思う。

辞めて初めて分かる素晴らしさ。

今思えばとても素敵で一流な料亭で仕事をしていたんだなと感じます。

【ひらかた仙亭】

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大徳寺の金毛閣

千利休の木像

千利休の樂焼

千利休の待庵

ひらかた仙亭の茶室のにじり口と女将

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