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中田敦彦YouTube大学【日本史7】
戦国時代〜江戸時代2/3
江戸時代編!豊臣秀吉の天下統一・関ヶ原の戦い・徳川家康のパーフェクトコントロール・大坂夏の陣

百“文”は一見に如かず!
詳しくは動画をご覧下さい。


参考資料
『早わかり日本史』
日本実業出版社 刊 河合敦 著

エクストリーム授業とは ?
なるべく分かりやすく「面白いんだよ」という事を全面にお伝えする授業!

【結論】
さらにさらにと攻めた豊臣秀吉。
忠義を尽くした真田幸村。
パーフェクトコントロールの徳川家康。
さぁ、次はパーフェクトコントロールを徹底解剖!

【ポイント】
中国王朝
殷・周・春秋戦国・秦・前漢・新・後漢・三国・普・南北朝・隋・唐・五代・宋・元・【民】・清・中華民国・中華人民共和国


【説明】
清洲会議の一件もあり
[賤ヶ岳の戦い]
いざ![柴田勝家]vs[豊臣秀吉]

豊臣秀吉の勝利!

明智光秀を討ち、柴田勝家に勝つ。
豊臣秀吉のスピード&コミュニケーションとは?

要するに豊臣秀吉自身が1番強いという自信がない。
だからこそ物凄い頭を使う。
根回しをする。

それで柴田勝家もいなくなった。
天下統一はもうすぐ。

その時に阻んできたのが[徳川家康]
[小牧・長久手の戦い]

徳川家康が
「そう簡単に全てはあげられないね〜。私も最有力候補の1人だよ。」
と豊臣秀吉の前に立ちはだかる。

徳川家康も難物だから中々勝てない。
「拮抗してるな〜。家康の抵抗を何とか無くせないかな〜?」

「ん〜やはり無理か。わかったわかった。武力制圧のラインは無しだな。あいつは強い。家康、認めよう。あいつは中々やる男よ。しかし私には作戦がある。」

豊臣秀吉は朝廷に近づき朝廷の権威を借りる。
サルの一番のコンプレックスは、出が農民だという事。

それまでも色々将軍職はあるけど
[昔の流れを辿ると源氏の流れ]
[昔の流れを辿ると平氏の流れ]
こういった血統がこの時代でも重用されていた。
「そうでなければ将軍になれませんよ。」
豊臣秀吉も将軍になれないだろうと言われていた。

ウルトラCがくる。
朝廷に近づいて[関白]という権威を得る。
凄いやり方。
「関白秀吉である!朝廷の権威もあり最有力候補となった今、争う事がどこにあるんだ?それは正義なのか?関白として言う!日本にはもう戦争はいらない!」 

それで徳川家康は
「ん〜…!ならばもう従うしかないのか。」
でも徳川家康はまだ伺っている。そこが上手い。

豊臣秀吉は何でもかんでも武力でやらなかった。

勝った相手に対して、織田信長の場合は全部奪って全部潰す。
でも豊臣秀吉はそうではない。
最後まで抵抗した[小田原北条氏]に対しても、命を生きながらえさせた上で
「配下になりなさい。」
と部下にする。
逃げ場所を用意しておく。
ここのギリの上手さ。

これが豊臣秀吉という男。

ところが終わりが訪れる。 

[朝鮮出兵]の最中に病で死んだのは有名な話。
なんで朝鮮出兵したのだろう?

豊臣秀吉にはもっと広い視野があった。
【朝鮮】だけじゃなくて【中国】にも【東南アジア】にも出兵してた。
「うちの属国になれ!」

豊臣秀吉はアジア全域を抑えようと考えていた。
中国は【民】の時代。
民もその時グラついていたという事情を見透かして出兵したらしいが抵抗が強かった。

1度目は朝鮮半島からバーンと入って、韓国のソウルを押える。
そっちから中国にも入っちゃってそこまではいいけど、中国の強い奴らがワーっときて
「中々拮抗してるな〜。」
ってところで1回ここでも得意の和睦。
「はい。1回逃げま〜す。お疲れさ〜ん。」

2度目は中国がキッカケ。
今度は中国が
「うちの属国になれ!」
と言ってきた。
その挑発を受けて
「よっしゃ〜行ったらー!もう1回じゃ〜!」
ってなる。

でも2度目に攻めに行く時は中国も準備万端。
「どうせ日本来るんだろ?こうしてこうやっておこう。」

中国に行かされてる[加藤清正]
「うわ〜、難航してるよ〜。もう腹減った〜。秀吉さんこれキツイっすよ。」
なんて言ってる間に豊臣秀吉が病死する。
ということで撤退。

天下は統一したものの、さらに!さらに!と夢を見た豊臣秀吉。
それが敗北を期した。

それを見ていたのが徳川家康。
一言で表すと
「パーフェクトコントロール」

徹底管理という非常に強い能力。
それまでには[関ヶ原の戦い]や[大坂夏の陣]があった。
この辺りも盛り上がる。

「豊臣秀吉が死んで、今後どうするんですか?」
の[合議制]の中で
武力でやってきた武断派のTOPが徳川家康。
文治でやってきたTOPが石田三成。

どっちが引っ張っていくんだ?の争いが
[関ヶ原の戦い]

徳川家康は結構劣勢だった。
石田三成軍がデカかった。10万人位いた。

そこで徳川家康がとった作戦が[手紙作戦]
「こっちの味方について下さい。」
とめちゃくちゃ色んな人に出す。
「殿!そろそろ出陣のご準備を!」
「いい。わしは手紙書くから。」

それがジワジワ功を奏してきて、石田三成軍がどんどん裏切っていく。
戦局が変わって最後の最後までギリギリだったところを制圧したのが徳川家康。

石田三成は
「負けたけど運が悪かっただけだ。」
という言葉を負け惜しみのように残しているが、それほど拮抗していた。

そこから[江戸幕府]

征夷大将軍に徳川家康がなる。
ところが豊臣秀吉は死んだが豊臣家はまだある。
これ怖いよね。

その頃、徳川家康は御年60歳。
いい感じにミドル。

ある日、徳川家康は豊臣家の2代目[豊臣秀頼]を見に行った。
「はいはい、ちょっと挨拶させて頂きます。おー、秀頼君。大きくなったね〜。」
と言った時、豊臣秀頼がめちゃくちゃ優秀そうに見えた。
ピキーンとして
「家康さん。お久し振りです。父が大変お世話になったと聞いております。」

「こいつぁ〜ヤバいな〜。あいつは潰しとかんと、いかんだろう。あの目は俺を殺す目だ!」
と思ったらしい。
そこから豊臣家に徳川おじいちゃんは、豊臣家にいちゃもんをつけだす。

豊臣秀吉を祀っている寺をもう1回リフォームするみたいな時
「なんかさぁ、そのリフォームするところにさぁ、俺の事悪く言ってる文字とか書いてるじゃん。」
みたいな謎のいちゃもん。
「なんすか?徳川さん?どうしたんですか?」

謎のいちゃもんは続く。
「そこの堀を埋めろよ〜。」
「なんでなんすか?徳川さん?」

豊臣秀頼も
「あっ!これは明らかに徳川家康が豊臣家潰そうとしてるな。」
と1回争いかけたけど和睦した。

と見せかけて、またいちゃもんをつける。
「そこの従業員、全部そいつらクビにしないといけないよ。」
「ちょっとちょっと徳川さん!だからずーっと何をおっしゃってるんですか?何もしてないでしょ?うち。」

そこから[大坂夏の陣]が始まる。
徳川家康vs豊臣秀頼

大坂夏の陣は関ヶ原の戦いと違って、圧倒的に徳川有利と言われていた。

ここで活躍するのが[真田幸村]
真田幸村は絶対に負けるとわかっていた豊臣家についた。
ここが面白い話。

[源義経]っぽい人気がある。
[判官贔屓]弱い者が好き。負けてる方を応援しちゃう日本の感性みたいなものは源義経の事を言うが、真田幸村もそういう感じ。

要するに真田幸村は「もう負ける」と分かっててもそれでも豊臣家につく。
皆が真田幸村をカッコいいと思うのってここ。
「豊臣の方につきますよ!世話になったからね〜。死ににいきますか。」
これですよ。

真田幸村の家紋があって[六文銭]という。
6枚のコインが書いてある。
「なんで六文?お金無いのかな?」
ではない。

六文とは、あの世へ行く時に渡る三途の川の渡り賃として六文必要だよという逸話がある。

「じゃあ、逝きますか!俺達は死ぬ覚悟は出来ている。俺達に残るものは長い人生ではなく、六文のお金だけさ。さぁ地獄へ逝こう!」

絶対に不利と言われた中、その頃徳川家康本陣では
「絶対勝つからね。うちはね。」
と言ってた時に真田幸村は徳川家康本陣にまで直線でつっきて行った。
「地獄へ逝こうぜ!俺と一緒に!」
死ぬ覚悟出来てギンギンになってる。 
ギリギリまで追い詰めたと言われている。

一説によると徳川家康は何度も
「待ってくれ!待ってくれ!もう駄目だ…。俺は腹を切る!」
それぐらい慌てふためいたけど、すんでのところで色んな人に助けられギリ助かる。
「ギリギリまで追い詰めた真田幸村、なんと忠義の奴よ。」
そんな話があった。

大事な事は徳川家康のパーフェクトコントロールとは何の事なのか?

これが分かると国を治めるとは何なんだろうという事に向き合える。

会社を興して経営するようになって自分のチームを抱えるようになった時
「俺はチームをコントロールする力ないかな。」
と悩む人多い。
学生でも部活のキャプテンになって悩む人多い。

人間とは争って勝つでは終わらない。
勝った後に自分の仲間を幸せにするという大きな業務が待っている。
それに立ち向かう方法を知る為に日本史というのはあると思う。

パーフェクトコントロールを分析して初めて江戸時代が面白い。
江戸がどういう形で300年間続いたかを5つにまとめる。

初代徳川家康〜3代目までは
[武断政治]と言われている。
「厳しくいきます。タイトに締め上げます。お前達、江戸幕府の言う事聞けよ!」
とやる。

その反発を受けて

4代目〜7代目は
[文治政治]
「優しくしてあげま〜す。」
「えっ!さっきまであんなに締め上げてたのに優しいですね。」

8代目〜10代目
[享保改革]
優しくし過ぎたのでもう1回締め上げる。
「厳しく行くぞー!」
「あ〜やっぱ厳しいですね。江戸さんやっぱ厳し〜!」

その反動で

11代目〜13代目大御所時代。
かなり緩やか。
「パーティー始めちゃおう!遊んじゃいな〜♫」
「あ〜いいっすね♫」

14代目〜15代目
[大政奉還]

タイト・ルーズ・タイト・ルーズ・ジエンド。



【個人的感想】
判官贔屓(ほうがんびいき)=源義経が判官という役職についていて、その源義経の悲劇に同情する事を[判官贔屓]という。しいては弱者や敗者に同情し、応援したくなる日本人特有の気質の事をいう。

昔の万年最下位の阪神を応援したり、競馬の何だっけ?あれ?ずーっと勝てなかった馬。
ハルウララだ!
まぁ、そんな感じ。

美しく散る姿だったり、負けても負けても諦めずにがむしゃらに頑張る姿。
それを応援したくなる日本人の心。

そんな真田幸村、正にジャパニーズサムライ。

ここで胸熱な家紋。
100%死にに行く覚悟の六文銭。
男心を揺さぶるかっこよさ!
歴史に名を残すとはそういう事なんですね。

いちゃもんつける徳川家康もオモロイ。
今の時代に生まれて良かった。
一瞬で切られてあの世に逝ってたやろーな。

てか武士にもなれてないか。ペロン。

次回は日本史の続きに行く前に、織田信長、豊臣秀吉に仕えた
茶人・千利休の話。
お茶?関係なくない?
違いますよ〜。
この人は二人の天下人に重用されていた人。
千利休の角度から戦国・江戸を見るとまた面白い!
では、また!





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