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中田敦彦YouTube大学【日本史5】
鎌倉時代〜室町時代3/3
足利尊氏vs後醍醐天皇・芸術芸能の発展・母の愛が日本を揺るがす大事件「応仁の乱」・そしてついに戦国時代へ

百“文”は一見に如かず!
詳しくは動画をご覧下さい。


参考資料
『早わかり日本史』
日本実業出版社 刊 河合敦 著

エクストリーム授業とは ?
なるべく分かりやすく「面白いんだよ」という事を全面にお伝えする授業!

【結論】
この時代は文化が花開き、サムライ文化が飽和して乱世に入っていく中で、サムライ以外のカルチャーの人達の活躍もあった。
母の愛により国が乱れ、そんな中、全てを武力で統一するあいつの時代がやってくる。 
その魔王の名前は[織田信長]
戦国時代へ突入だ!

【ポイント】
主要な人物
1、後醍醐天皇天皇(ごだいごてんのう)
2、楠木正成(くすのきまさしげ)
3、足利尊氏(あしかがたかうじ)
4、足利義満(あしかがよしみつ)
5、足利義政(あしかがよしまさ)

中国王朝
殷・周・春秋戦国・秦・前漢・新・後漢・三国・普・南北朝・隋・唐・五代・宋・元・【民】・清・中華民国・中華人民共和国


【説明】
鎌倉の終焉は
[後醍醐天皇]の不屈っぷり。
[楠木正成]のトリックスターっぷりが面白い。

楠木正成は「悪党」と言われ凄い懸賞金がかけられる。
「あの悪党!鎌倉幕府を潰そうと何回も言ってきやがる!あいつら倒したらこんだけの金をやろう。」
「金欲しー!」
となって懸賞金目当ての奴らが集まる。

楠木正成は[千早城]に籠もる。
それを懸賞金目当の奴らが囲む。
とんでもない数で。
「お前の首をとったら金が貰えるんだよ!この悪党野郎がよ!」

楠木正成の戦法はいわゆるサムライの武術というよりもむちゃくちゃ。

たいまつを城の上から投げつけて、その上、油をぶっかけるとか、なんか学生運動みたいな感じ。
他には、城から糞尿を撒き散らしたり大“糞”闘。
酷い戦い方。
それまでモンゴル帝国と戦ってた奴らが糞尿を巻き散らかしたりむちゃくちゃ。

その上で[足利尊氏]が「六波羅探題」という京都の要所を押えて[新田義貞]が関東攻め入って最終的には北条氏を追い詰める。

あれだけ天下を誇った北条一族800余人が一所で
「もうダメだ…。」
といって全員で自殺。

世は儚い。
とんでもない入れ替わりが起きた。

その上で後醍醐天皇が戻ってくる。
「何度も捕まったけど、また戻ってきたよ。楠木正成、足利尊氏よくやった。」

後醍醐天皇が「建武の新政」というのを始める。

もう後醍醐天皇はストレス溜まってたから
「武士の奴らずっと牛耳られてたからよ〜。こっちのやり方でやらせてもらうぞ!」
といって天皇家中心のやり方を一気に断行した。

ところが武士達は今までの時代味わってる。
「武士達か活き活きと輝いてた。俺達サムライアワーを楽しんできたのに、また戻るんすか?俺達は関東の番犬に成り下がるんすか?やっぱ嫌ですよ〜!」

と武士達が集まってきたのが足利尊氏の所。
足利尊氏は血筋的に源氏の流れを汲む人らしい。

「やっぱ正統な流れ汲んでる尊氏さんしかいないっすよ。尊氏さんとこ集まろうぜ。後醍醐さんやっぱノリ合わねーよ。天皇だもんな。俺達武士だし尊氏さんの方が気が合うんだよな。」

ヤンキーノリ。
ヤンキーvsエリートみたいな感じ。

「結局、あの人はエリートなんだよ。俺達ヤンキーの気持ちわかんねえからよ。なあ、尊氏さん。」
「おう!そうだなぁ〜。」
煙草プカーッ。
それで分裂してしまう。

南が後醍醐天皇。
北が足利尊氏。
南北朝に分かれてしまう。

中国でも南北朝時代あった。
アメリカも南北戦争あった。
時代の節目節目で内乱になるとなぜか南北で分かれちゃう。

南北で押し合いへし合いしている内に後醍醐天皇が死に、足利尊氏が死ぬ。
中心人物2人が死ぬ。

「おい!南!おい!北!ふざけんじゃねーぞ!この俺達の抗争は止まんねーんだよ!」
で、本当に止まらなかった。

なぜなら60年も争っていたから。
そりゃ2人とも死ぬ。

この60年の争いを止めたのが[足利義満]
足利義満が南北朝合体させた。
どうやって?

足利義満率いる北は、武士達のより集まりといえ正統性を保つ為に皇族を立てていた。
南も皇族を立てている。
両方に天皇がいる状態だから南北朝だった。

足利義満
「じゃあ、今回はこっちの天皇の皇位を南に譲りますので、次の天皇はこちらの天皇の子供でいいですか?」
とやる。 

足利義満は他にも偉い。

[日明貿易]
中国は【明】の時代。
「日本は中国の部下です。今回は弟分としてやらせて下さい。」
という中国の思想に基づいた貿易の考え方[朝貢貿易]をスタートさせた。
ちょっと屈辱的な関係性。
どうしてそうなったか?

[倭寇]と言われる日本人海賊が中国沿岸で悪さをしていた。
その後、それは東南アジア系の海賊になっていくのだか、それに対して明は
「おいおい日本。ちょっと取り締まってくれよ。」
と依頼された時に
「じゃあ貿易させてもらっていいですか?」
貿易の仕方が結構大胆だった。

足利義満は貿易をして日本を豊かにしたかった。
「もう争いはいいじゃん。海外の文化取り入れて日本を豊かにしていこう。」
これで[日明貿易]をオッケーにした。

その結果、文化がパーッと花開く。
言わば関東の武士達が武士達の為に作ったのが[鎌倉幕府]
それまで朝廷のあった京都から大きく離れた関東の荒々しい政権だった。

その荒々しい武士達が京都の近くに作ったのが[室町幕府]
だから、この時に武家の流れと朝廷の流れが融合する。
武骨な武士と優美な公家が上手くMIXされて何とも言えない文化が花開く。

その最高峰が[金閣寺]
「本当に金っすね。めっちゃ金っすね。」でお馴染みの。
その金閣寺とは[北山文化]といわれる。

武士と公家の優美さで言えば[能]がある。
その足利義満が保護した芸能人が
[観阿弥・世阿弥(かんあみ・ぜあみ)]
[能]を大成させたのがこの2人。

その2人が弟子に向けて書いた芸能の真髄の秘伝書が
[風姿花伝(ふうしかでん)]
それが長い間見つからず、蔵の中にあった。
発見されたのは明治?あたり。
「えっ!これ何?これ観阿弥さんと世阿弥さんの秘伝書じゃないですか?おもろー!」
 
中田はウッチャンナンチャンの南原に進められて読んだ事がある。
「芸能とは?」みたいな話。

《若い時には華がある。若い時には華があるからそれ以上の実力がある人達よりも一気に人気が出てしまう事がある。》
《しかし、華は枯れる。いずれ落ちていく。しかしその後に実力をつけもう一度伸びてくる者もいる。》
《ただ、その実力もやがて衰えていく。後から実力者も出てくる。》
《そうなったあかつきにはその実力者を、その後継者を育てたり教育をやっていく事で、その人はもう少し長く芸能に関わっていける。》

秘伝書だけあってかなり赤裸々に
「芸能とは何か?人生とは何か?」
という事が書いてある。

「南原さん!これ俺の事っすか!?」
と、中田。

鎌倉時代の芸能人と言えば
[運慶・快慶(うんけい・かいけい)]
この2人は彫刻家。

これまでは仏様、仏像はインドから中国の流れで穏やかな感じだった。
しかし、この2人は武骨の塊、サムライカルチャーマッチョ像でお馴染みの[金剛力士像]を作った。
[金剛]の意味とは?
金剛石からきてて、その石とはダイアモンドの事。
[ダイアモンドソルジャー]

足利義満が日明貿易で非常に裕福になって、その結果花開いた文化が室町時代にはあった。

ところが[足利義政]の時、一気に乱れる。

[応仁の乱]
これによって室町幕府が崩壊し、その後戦国時代に向かうきっかけとなった事件。

足利義政って面白い。
[銀閣寺]を作った男。
「あれ?銀じゃないですね。」でお馴染みの。
この足利義政の奥さんが[日野富子]
元々この2人はあまり仲良くなかった。

その上で名前に[政]の字が入ってるのに、足利義政は政治とかめちゃくちゃどうでもいいという人だった。

芸術が好きだった。
だから銀閣寺作って
「政治どうでもいいっすよ。銀閣寺この感じ最高!」
とか言っていた。

その夫婦の間に長らく男子が産まれなかった。
なので、次の将軍は足利義政の弟の[足利義視(よしみ)]に決まっていた。

そんな中、結婚10年目にして日野富子がポーンと男の子を産んだ。

足利義政
「えー!今っすか?今頃?」
「ヤダ。」
「えっ?何?まだ何も言ってないけど…」
「ヤダ。」
「まあ、でも次の将軍は弟の義視に決まってるからなー。」
「ヤダ!私この子が将軍にならないとヤダ!義視さんはあなたの弟でしょ?なんか言ってよ。」
「い、いやー、もう義視で決まっちゃってるからさ〜」
「ヤダ!ヤダ!この子にしたいんだもん。」
大荒れ。

[応仁の乱]とは実は日野富子が長らく後に産んだ実子を決定事項を覆してでも、将軍職につけたいというところから始まった争い。

歴史を習った時、全然そんな感じしなかったでしょ?

母の愛が国を乱した。

日野富子
「ちょっと、〇〇さん、〇〇さん言う事聞いてよ〜。」
と言って有力な武将達に声をかけた。
「なんっすか?富子さん?富子さんが言うんだったら分かりましたよ。じゃ頑張りますから。」

すると足利義視は足利義視で
「おい!富子が何か言ってんだよ!何とか言ってやってくれよ!」
と言って大きな武将の助けを借りる。

大きな武将vs大きな武将
富子と義視の代理戦争から始まっていった。
だから、まー乱れていく。

その時も足利義政はどっちにもいい顔していた。
「まぁまぁどっちかっつーと、俺も富子の言う事が正しいと思うよ。」
「えっ!?あぁ、まあ絶対に義視達が正しいよ。」
それで足利義政はずっと芸術の事やっていた。
それも込みで乱れていった。

その頃、農民と商人は? 
室町幕府末期になってくると農民の一揆も凄くなる。
「俺達農民もさぁ、サムライみたいに武装してやっていけば良くない?俺達農民と武士の違いって何?関係ないじゃん。もっとクワとかを持ってガンガンいっちゃえばいいんっすよ!お堀とか作ってこの村を城みたいにしちゃいましょうよ!」

自治的な農民組織を作った。
その農民組織に重税をかけてきたら、一揆して取り囲んで
「お前ら!ふざけんなー!」
というタイプのかなりパワフルな農民が出てくる。

パワフル商人も出てくる。
大阪府堺市とかは海外から来た人が見たら
「ここ、ベネチアぐらい栄えてない?」
と言われた事もあった。

そこは通商が栄えた。
日明貿易あたりから文化と商売が栄えて、単純に貴族とか宗教とか血統とか思想とか武士だけでは無い、そういう様々なカルチャーが下から育ってきた。
だから商売も貿易とかで繁盛する。
金持ちになった商人達が
「堺の町に堀を作って刀持ってる奴らを入れないようにしましょう。」
こういう事をやりだす。

こうやって、スーパー自衛村やスーパー自衛都市が一杯出来る。

足利家は8代目の足利義政で終わる印象があるけど、実は15代まで続く。
徳川家と同じ。
でも後半は完全に戦国時代で、全国全員が大将軍のようになって、足利家の将軍とは名ばかりだった状態。

とある戦国武将に無理矢理
「じゃあ、お前将軍にしてやるよ。」
と言われて将軍になったのが「足利義昭(よしあき)]

この後、上の[とある有力な戦国武将]
そいつの時代がやってくる。
そしてそいつが何もかも呑み込んでいく。

農民一揆を全部叩き潰し
堺の堀を全部埋めさせて
武力で全部を統一するといった魔王のような男が全部をひっくり返す時代がやってくる!

その魔王の名は[織田信長]

戦国時代へ突入じゃ〜い!

 
【個人的感想】
この辺の時代が日本史を難しくさせてるのかな〜?
足利多すぎだし!

ここでも女性は強し!
日野富子砲炸裂!
母の愛は深し!

大阪に住んでた頃、学校の遠足で金閣寺や銀閣寺も行ったけど、全然興味がなくて面白くなかった。
歴史を学んでからいったら見方も変わって面白かったはずね。

おじさん達がお城や寺を好きになる気持ちが少しわかった気がします。




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