21日から始まる愛知トリエンナーレ
ぼくみたいなチンケな絵描きは最先端現代アートの祭典とは無縁と思っていたけど
なんやかんやでコソドロ的に入り込めました。
長者町(伏見)にあるAT カフェというトリエンナーレ公式カフェにて
ドローイング作品5点、キャンバス作品3点を展示します。
トリエンナーレを見に行く機会がある方はぜひ、ついでにでも。
絵に押しつぶされるようなプレッシャーってのは
今まで感じたことはなかった。
近々のぼくといえば、部屋の絵を描くのに凝っている。
描くときに頭を過ぎるのはやはり、その絵を武器として使用し
己がいかに人生をまい進してゆけるのか、という点だ。
1点1点描く時にそんな霧の中その先をにあるものを見るかの如く
浮ついていたらいけない。あまりに不毛。
人生は常に新鮮な今の連続であると自覚しているつもり
なのだから余計な予定や目測はやめたほうがいい。
この絵を見て人はなんというのか、と小澤メガネ君は問うた。
確かに僕の近々の絵は“かわいい”を捨てた。
別に始めからもっていたつもりはないがよくわからない
モノを見た時、人はその対象を把握しやすいモノや
言葉に変換(もしくは移行)する。
~っぽいよねとか、かわいいきれい不思議かわってる等等
それは自分にとっても都合のいい言葉として用いてきた部分が
往々にしてあるのでこれはどうなんだ、という
消化不良感を常に伴って描いている。
そういう未来を見据えようとしている自分と近況の自分
それが絵の中で混じりつつさらには他者のイメージをも含み
絵の具をキャンバスにしたためる。
希望的観測
とにかくこの熱波で脳みそジャビジャビで生きています。
今日も家に帰ってきたらこんな時間で(4時っ!!!)明日は朝から
いい仕事がもらえるかもしれない大事なプレゼン。
やらんとならん8月21世紀ビデオズ。
制作したい、本当にストレスになっちまうぜ、暑いからよぉぉ
編集溜まってしまってんじゃないのか、編集覚えないと
世話かけちまうぜよ
夢があるんだ
その達成は何としても、する。その為に絵を描くことが重要で
面倒くさいことを飛び越えて、
この精神と肉体を焼き溶かそうとする地獄の8月を
ぼくはビロンビロンに伸びながらでも乗り越えなければならない。
休みの日やろうと思うことはいくつかあって、読みたい本をがある。
映画を見たい。
掃除もしなければならない、服を買いたい好きなんだ
新しい服を買うのも着るのも。
絵を描きたいもっと没入して、もっと!
そうやって考えているのに僕といったら今日寝倒してしまった。
おかげでこんな時間になった。
絵は作者をいやがおうにも映す。最近気付いた事実だ。
今日は夜起きて思考する時間を設けた。
こういう時間はやっぱ大事であれこれ作品のこと、
これからの戦略などを考えた。
もっと面白いことをやるんだって気持ちは常にあって
もっとわけのわからないモノを作りたいって気持ちが常にある。
奇をてらうわけじゃないよ。
愛するあの子に向けて作りたいって気持ちと
どこかの誰かに向けて作りたいって気持ちを
両方ごちゃまぜにしたものを作りたいっていうそういう気持ちになった。
それは下らないコンセプトなんかじゃ収まりきらないものなのだ。
けれども社会は秩序は世の中は、それをよしとしない。
(この思考も含めて社会)
悩み苦しんだ方が濃厚なエキスが抽出される。
でも気楽にやっていきたい、歩を進めるならそれでいきたい。
アンビバレンスか、日常よ。
ずっとずっと素直な(に)天邪鬼
絵は自分自身を苦しめるし、まい進させてくれるもの