イラストの資料を見ていると、
西洋の歴史では古代の次には中世があるのですが、
その間に突如「ビサンティン」というものが現れます。
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世界史でなんか一瞬習ったと思うけど殆ど覚えてない…。
結構東洋的で、独特の雰囲気がある服装だったり文化なんですよね。
調べてみてわかったのは、
「ビサンティン」とは何かというと、つまりはそのまま「=東ローマ帝国」
である、ということ。
意味は同じですが呼び方で区別されます。
バルカン半島の右(黒海)下側にある半島がアナトリア。
出典:Wikipediaより引用
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%B3%E5%8D%8A%E5%B3%B6
「東ローマ帝国」は、現在のヨーロッパの東~、
南側のバルカン半島(ギリシャやブルガリア等)や、
アジア最西部(=アナトリア)にかけての広い地域にあたります。
主に5~15世紀頃に断続的に存在した、とされています。
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首都はコンスタンティノープル。
ビサンティンの語源はこの首都の旧名「ビュザンティオン」
ではありますが、呼ばれだしたのは後の時代(16世紀)になってから。
ビサンティンとは、文化の中でも美術や建築等の、
一つの様式を表す言葉なのです。
5~15世紀頃というと、
ヨーロッパ西側の「中世」と大体同じ時代ですが、
文化の趣が異なっているのがよくわかりますね。
中世のイメージで描いた眠り姫。
一方で、ビサンティンといえばミュシャが有名ですが、
出身国のチェコは東ローマ帝国の領域には含まれていないんですね。
じゃあ何故となりますが、ちゃんと調べると載っています🧐。
出典:Wikipediaより引用
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%B3
出典:軽井沢ナビ公式サイトより引用
https://www.slow-style.com/shop/salon-de-vert/news/majorwriter-20003.html
現在のチェコより古い時代、9世紀頃の大モラヴィア王国は、
東ローマ帝国と交易を行っていました。
そこからビサンティンの文化が伝わっていたのです。
それが後世のチェコにも浸透し、
ミュシャとしても自然にそれが身に付いていたのかもしれませんね。
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