【35】榛名神社
まず、
おととい辺りから
色んな場所で
「賽」サイ、SAIという字を良く見かけるなあと思っていましたが
数日経ってから
ここだったのかと
思われる場所がありました
今月2日に、
榛名神社へ参拝したのですが
そこはまるで私を妨げていると言わんばかりに今まで何度となく途中まで足を運んでも
なかなか辿り着かない私にとって
近くて
とても遠い場所だと思っていました
(その理由は連れや自分が調子悪くなったり訳あって途中場所を変更したりなど)
今回ゴールデンウイーク中
混雑している中で
ついに榛名神社へ参拝する為にようやく辿り着く事が出来ました
今回もやはり辿り着くまで茨の道だった事を付け加えておきます
何とか駐車場へ向かう渋滞の列へ並んだ際
山の間に白い龍神の優雅に宙を舞う姿を見て
これは迎い入れのサインだと察しました
駐車場から参道へと入り
山道の参道を登っていきます
すると
途中の岩場の祠に
「賽の社」という所がありました
賽の神というものがある事を知らずに
前の兆しはここに呼ばれてたのかと思いました
榛名神社の賽の社には
もしかしたら見える方もいらっしゃるかも知れませんが
赤の着物姿のおかっぱの少女と
白い蛇がいました
少女が白い蛇だという方が正しいかも知れません
二つの存在は途中重なり合っていたのです
私はそこで迎い入れて下さった事を感謝しながら手を合わせました
そこから更に本殿に向かう上る階段の途中で
白い風が私の所へ
飛び込んで来ました
それが何なのか解らず
不思議に思っていると
大きな鉾岩と呼ばれる太くて長くそそり立つ岩に大蛇の神が巻きついて映像も見えてい来ました
榛名神社は水分神も祀ってあり
雨乞いの神社だという事は知っていました
すると
次第に声にならないような声も聞こえてきました
つまり
その声が言いたいのは
雨乞いだった魂は
水を司る神に祈っているが
雨は結果
豊作に繋がっていく
五穀の神とも私は関係があるのだぞと…
分かってはいるつもりでしたが
あえて言われハッとしました
数日間気になっていたワクムスビに私は関係あると言いたいのですね
榛名神社の祭神はハニヤマヒメとホムスビ
土と火です
その2柱から生まれたのが偶然にもワクムスビなのです
けれど
そんな事を思いながら本殿へ着くと
いざ足が動かないんです
上がって参拝したいのに
暫くの間全く動かないので
深呼吸を数回したらようやく足が動き参拝する事が出来ました
私を何気に拒絶している事が分かります
しかも私はご挨拶を済ませる間とその後は目がぼやけてしまい
視界に殆ど霧がかかった状態だったのです
私に見られまいと
姿を隠す神がそこにありました
これはいつか正体を見極めます(宿題です)
しかし榛名神社はとても素敵な所で心が洗われるようでした
参道の脇には滝もあり
自然霊がたくさんいらっしゃいます
杉の枝から見下ろす天狗は他の神社や山よりも
かなり長老タイプの名のありそうな方がいらしてました
携帯で写真を撮ると全部霧でもやがかかっている様になっています
最後には
帰りの安中市の辺りで予報にない雨に降られました
やっぱり雨です
雨がポツリポツリと車の窓を叩き
途中からまた晴れて
不思議な1日は終わりました
【33】動物霊
動物霊でも様々あります
人間の心持ち、及び波長によって
様々なタイプの動物霊が憑く事は少なくありません
例えば
俗に言われている『狐憑き』というのは
狐にはいくつもの種類があり
最下等の狐に憑かれる方などは
俗に言う『狐憑き』と言われる方に当てはまります
最下等の狐は『野狐』と呼ばれていて
人間に一旦憑きますと
何もしなければ
死ぬまでまとわりつきます
まとわりつくだけならまだしも
殆どの例は魂をがっちりと掴まれ
憑かれた方の頭の中にも入り込み
考え方や一挙手一投足を支配されます
稲荷に祀られている狐などは
お心の広い良い方もいますが
そうではない方もたくさんいます
皆さん悪い方という訳ではありませんが
人間には理解し難い厳しい部分がある事もあるのです
狐の特徴とひとえに言いましても
様々ありますが
まず
一つにお喋りな点です
狐はとても話好きで
憑かれた方も必ず影響されます
話を聞いていくと
つじつまの合わない点がたくさん出て来る事や
最後には必ず我欲が浮き出て来ます
野狐に憑かれた方などは
自分だけ良ければいいと
自分勝手な面に呼ばれた野狐が反応します
そこで支配されるのですから
かなり取り返しのつかない状況になっている事があるのです
もう一つは
一つ目に挙げたお喋りに関係します
それは
耳がきくという事です
人霊も悪霊化するとそれに近い能力がありますが
狐はどんなに遠い場所でもどんな電波を使っても
とても良く感じる耳を持っているのです
ですから
狐を悪く言う方には
すぐに傍にいるかも知れませんから
是非気を付けて下さい
今回は動物霊でも
鼬(いたち)の付いていた男性についてです…
霊媒師からは前世動物を何匹殺したからとか
~を虐めたから憑くなどと言われたりする方も多い様ですが
反対に動物を愛して慈しんでいる方にも付いて来てしまいます
動物霊は動物という存在を愛してくれる人を良く分かっていますから、
寄り添う様にくっついてしまい、
それが進むと様々な霊障になってしまうのです
なぜ霊障にまで至ってしまうのかと云うと
憑かれてしまう人の考え方に
動物が一番であって人間は二の次ぎという考え方までになってしまっている方などです
愛する余り動物に執着して、
人間不振になっている方なのです
自分を分かってくれるのは動物だけだと思ってしまい
純粋に愛情を示してくれる事に溺れてしまうのです
心の隙間を埋める相手は動物だけ…
愛情は与える事で返ってきますが
この様な理性の薄い自らの偏った愛だけに溺れ無いように心はいつも中庸でいるべきでしょう
人間は愛に飢えている人が何と多い事でしょうか
本当の愛というものについて
とても考えさせられますね
人間の心持ち、及び波長によって
様々なタイプの動物霊が憑く事は少なくありません
例えば
俗に言われている『狐憑き』というのは
狐にはいくつもの種類があり
最下等の狐に憑かれる方などは
俗に言う『狐憑き』と言われる方に当てはまります
最下等の狐は『野狐』と呼ばれていて
人間に一旦憑きますと
何もしなければ
死ぬまでまとわりつきます
まとわりつくだけならまだしも
殆どの例は魂をがっちりと掴まれ
憑かれた方の頭の中にも入り込み
考え方や一挙手一投足を支配されます
稲荷に祀られている狐などは
お心の広い良い方もいますが
そうではない方もたくさんいます
皆さん悪い方という訳ではありませんが
人間には理解し難い厳しい部分がある事もあるのです
狐の特徴とひとえに言いましても
様々ありますが
まず
一つにお喋りな点です
狐はとても話好きで
憑かれた方も必ず影響されます
話を聞いていくと
つじつまの合わない点がたくさん出て来る事や
最後には必ず我欲が浮き出て来ます
野狐に憑かれた方などは
自分だけ良ければいいと
自分勝手な面に呼ばれた野狐が反応します
そこで支配されるのですから
かなり取り返しのつかない状況になっている事があるのです
もう一つは
一つ目に挙げたお喋りに関係します
それは
耳がきくという事です
人霊も悪霊化するとそれに近い能力がありますが
狐はどんなに遠い場所でもどんな電波を使っても
とても良く感じる耳を持っているのです
ですから
狐を悪く言う方には
すぐに傍にいるかも知れませんから
是非気を付けて下さい
今回は動物霊でも
鼬(いたち)の付いていた男性についてです…
霊媒師からは前世動物を何匹殺したからとか
~を虐めたから憑くなどと言われたりする方も多い様ですが
反対に動物を愛して慈しんでいる方にも付いて来てしまいます
動物霊は動物という存在を愛してくれる人を良く分かっていますから、
寄り添う様にくっついてしまい、
それが進むと様々な霊障になってしまうのです
なぜ霊障にまで至ってしまうのかと云うと
憑かれてしまう人の考え方に
動物が一番であって人間は二の次ぎという考え方までになってしまっている方などです
愛する余り動物に執着して、
人間不振になっている方なのです
自分を分かってくれるのは動物だけだと思ってしまい
純粋に愛情を示してくれる事に溺れてしまうのです
心の隙間を埋める相手は動物だけ…
愛情は与える事で返ってきますが
この様な理性の薄い自らの偏った愛だけに溺れ無いように心はいつも中庸でいるべきでしょう
人間は愛に飢えている人が何と多い事でしょうか
本当の愛というものについて
とても考えさせられますね
【32】平家物語一節
平家物語の中に、
清盛の寵愛を受けた祇王のお話があります。
私は最近このお話を読んでとても気に入ってしまいました。
簡単に紹介します
白拍子・祇王は舞の名人で清盛の寵愛著しく、
妹や母にまでその余慶に預かり
世の羨望の的でした。
3年程経った頃、
売り出し中の若い白拍子が清盛の邸を訪れます。
清盛は用はないと言いはね除けようとしますが、
同じ芸人と情けをかけてとりなしたのは祇王だと言います。
初めはしぶしぶ対面した清盛でしたが、
若い白拍子の美貌と芸が気に入り、
祇王を追い出して彼女を傍に置くと言い出しました。
いずれは飽きられて捨てられると覚悟していた祇王でしたが、
泣く泣く障子に歌を残します
「もえいづる…枯るるもおなじ野辺の草…いづれか秋に…遭はで果つべき」
~奪い取ったあなたもいづれ飽きられて、
今の私と同じ思いをするのです~
しかし更に祇王は屈辱を味わわされます。
清盛は仏御前が退屈しているからと呼び出し、
芸を見せよと強要しました。
祇王はこれ以上の恥辱は耐え難いと出家して嵯峨に引きこもります。
妹も母も尼になり、3人心静かに暮らしますが、
その庵を突然髪をおろした仏御前が訪ねます。
「人から奪い取った寵愛と一時の栄華に驕る愚かさを、
あなたの歌が教えてくれました。
明日は我が身、そう思うと全てが虚しく思われてなりませぬ」
同じ女として芸に生きる者として、
二人は理解し合い
取り残されたのは心を置き去りにした愚かな清盛という男。
この平家物語にある一節の中の歌を残した祇王も素晴らしいですが、
仏御前の潔さも何だか私はとても好きなのです。
~写真は祇王寺です~

