掌編シリーズ「Another Side ある日の出来事―その表と裏」 | Another Side ある日の出来事―その表と裏

Another Side ある日の出来事―その表と裏

職場、家庭、近所づきあい、趣味の集まり、酒の席
――様々な場面で交わされる言葉に隠れている
嫉妬、後悔、劣等感、敵意、あるいは善意…
こんな物語、あなたの周囲にもありませんか?

※本作品はフィクションです。登場する人物・団体・企業・名称等はすべて架空であり、実在のものとは関係ありません。

 

■SideA:佐山秀樹

 

食品メーカーの商品企画部に配属されて、もうすぐ一年。まだまだ半人前だが、先輩たちを見習いながら日々の業務に励んでいる。何気ないことにもたくさんの学びがあるから、日常的な会話も聞き逃せない。

 

昼休みの休憩室、誰かが今話題のベストセラー小説「港町のカミュ」の話を切り出した。映画化も決定した注目作だ。すると、二年上の先輩である織田さんが、コーヒーカップを置いておもむろに口を開いた。

 

「あの小説がヒットした理由、わかるか?」

 

織田さんが話し始めると、先輩たちも一斉に静まり返った。どんな話題でも、いつの間にか主役はこの人になる。

 

「ラストで主人公が港を出ていく――そこで『安寧』からの脱却っていうテーマがくっきりと浮かび上がるからだよ。現代人が求めてるのは『自分を更新してくれる体験』だ。スペックで勝負する時代は、とっくに終わってる。これからの企画に必要なのは、ユーザーの日常を劇的に変える『自己変革のプロット』なんだよ」


誰もが感心した表情で織田さんの話に聞き入っている。正直なところ、僕には難し過ぎる内容だったけれど、どんな話題であれ、織田さんが話すと「そうかも…」と思えてしまう。

 

「だから、商品を通じて、消費者に新しい自分を演じさせてやる。それが、真のファンベースを築く唯一の鍵なんだ」

 

博識の織田さんは、いつも「広く浅く、だよ」と謙遜する。それでも、本の感想だけで終わらせず、持論を理路整然と語るところがすごい。そして、一気に話し終えると、最後にさらりと付け加えるのだ。

 

「――実は読んでないんだけどね」

 

少し嫌味にも感じられるが、僕が何よりもすごいと感じているのは、織田さんのこの一言なのだ。読まずにここまで語るのは、決して容易いことではない。素晴らしい才能だと思う。ただただ感心するしかない。

 

膨大な情報が氾濫する現代を生き抜いていくには、幅広く情報を集めるだけでなく、織田さんのように“効率的に、的確に、要点を掴む”スキルこそ最も必要なのだろう。そして、それが仕事での企画力やプレゼン能力の向上にもつながっていくに違いない。

 

僕も、いつかは織田さんのようになりたい。しかし、そこまで辿り着く道のりは、かなり遠そうだ。

 


 

■SideB:瀬ノ尾直治

 

同期の織田が得意げに「港町のカミュ」について語るのを見ながら、俺は苦笑いを堪えていた。彼の“得意技”は、最後の「実は読んでないんだけどね」だ。「このくらい、読まなくてもわかる」と言いたいのだろう。本人は、それで皆が感心すると思い込んでいる。

 

しかし、織田の話はいつも、どこかおかしい。物語の舞台や登場人物の名前を取り違えたり、内容を曲解していることもしばしばだ。ネットの拾い読みが大半なのだろうが、よほど雑に流し読みしているのか、読解力が欠けているのか。「港町のカミュ」にしても同じ。実際のエンディングでは、主人公が港に残る決意をする。いったい、どんな書評を読んだのだろう?
 

以前、織田の間違いを指摘した者がいたが、たちまち彼は不機嫌になり、暴言を吐いて周囲を凍らせた。それ以来、彼の話に口を挟むものはいなくなった。

 

その後に展開される「持論」も、もっともらしい言葉を並べているだけで、たいしたことは言ってない。ただ、理路整然…っぽく語るのは得意な男だから、世間知らずの新人は簡単に感心してしまう。さっきから真剣な顔で聞き入っている佐山のように。

 

織田をよく知る者たちは、最近では彼が話し始めると、感心したふりをしながら「今度はどれだけ見当違いなこと言うのか」と、密かに楽しむようになっている。もはや不憫にさえ思えてくるが、そもそも身から出た錆だ。本人が生き方を改めない限り、この状況は変わらない。

 

膨大な情報が氾濫する現代を生き抜いていくために必要なのは、少しずつでもいいから、自分自身の目と耳で、確かな情報をつかみ取っていくことだと思う。しかし、織田の話には“確かな情報”がひとつもない。

 

――実は読んでないんだけどね。

 

今日も、織田は調子に乗って話し続けている。しかし今では「こうなってはならない」というリアルな“反面教師”として、新人の教育材料になるような気もしている。

 

佐山の成長にも、きっと役立ってくれるだろう。

 

 

*毎週金曜21:00更新