毎年7月になると、長府庭園に孫文蓮(そんぶん
れん)と呼ばれる蓮の花が咲きます。白にピン
クの縁取りが特徴の、可愛い花です。
長府庭園は元長府藩の家老の「西家」の屋敷跡でした。
その中のあちこちの池に孫文蓮が見られます。
孫文とは、290年続いた清王朝を倒す「辛亥革
命」のきっかけを作った人です。世界各国の支
援者に革命の意義を説いて、日本でも1000人近
くの人の支援を受けたようです。
その中には、犬養毅や桂太郎というような政治
家もいました。
また、長崎の梅屋庄吉などからも多額の資金を
受けていました。
筑豊の炭鉱王やその関わりの中で、孫文は三井物
産門司支店長・犬塚信太郎と出会い、海運業で財
を成した下関の田中隆を紹介されます。
「清朝を倒して、中国と日本がアジア全体を牽引
する。西洋に屈しない近代国家を作りたい!」
そんな孫文の志に感銘したのでしょう。
田中隆は、孫文に多額の資金と「長府丸」という
船も贈るのです。
田中隆はこんな人です。
田中隆邸は、数寄屋風の日本家屋と西洋館の建物がありました。
1929年、世界大恐慌が起き、田中の事業は急速に傾いていきました。
外観は完成していた西洋館ですが、内装にかかる前に商売は破産。
その後外壁は解体され、今は赤れんがの骨組みだけ残っています。
その後、家屋敷は三菱重工業の迎賓館として使わ
れていましたが2022年(令和4)売却されると
いう話が起きました。
下関市では宅地化されるのを懸念し、すぐに取得。
現在では「長府苑」という名前がついて管理されています。
孫文は花を愛でるのが好きだったといわれています。
孫文は田中氏の革命への協力に感謝して、直筆の
「至誠感神」の書とともに、君子の交わりを象徴
する4個の蓮の種を贈りました。
1930年に、田中隆のご子息・隆敏氏がその種を
古代蓮研究の権威である大賀一郎博士に預けた
ところ、博士は苦心して育て蓮を開花させました。
それに「孫文蓮」という名が付きました。
「強者どもが夢のあと」
今年(2025年)は中国革命の父と言われた孫文
が亡くなって、ちょうど100年という年に当たり
ます。
孫文と下関の田中隆の交流があったことを知るのが、唯一、孫文蓮です。
2025年、長府苑の整備が行われていますが、
この長府庭園の孫文蓮も旧宅跡に株分けされるそうです。
旧田中隆邸のことは、故・古川薫先生の『海と西
洋館』という小説にも少し描かれています。








