長府の串崎城に隣接する豊功神社。
ここは、神話伝説の島として知られる満珠・干珠
の二島を見下ろす高台にあります。
御祭神は応神天皇、武内宿禰、大国主命で、長府
藩初代から14代の藩主が祀られた祖霊社となって
います。
1336年、この地には串崎若宮という八幡宮が
あったという記録は残っています。
昭和の空襲で長府一帯が焼失し、若宮の古文書も
なくなったので、このお宮についての詳細は
不明のままだそうです。串崎若宮から、現在の
豊功神社という名前になったのも、謎のまま。
長府藩の初代藩主・毛利秀元は江戸の泉岳寺に
墓がありますが、それ以降の藩主や正室の墓は、
功山寺、笑山寺などにあります。
その後慶応2年(1866)に歴代藩主の霊社が、
長府忌宮神社に置かれます。
さらに大正6年(1917)6月には、松崎八幡宮
と合祀して現在地に祖霊社が移遷しました。
これが本殿(祖霊社)です。
本殿の左側には、龍神社があります。
1336年、串崎若宮になる前に、ここに「神功皇
后神社」があったという伝説があるそうです。
日本で一番古い「住吉神社」の歴史は、1800年
以上前から始まるので、同時期かもしれません。
三韓征伐とは、神功皇后が、夫の仲哀天皇没後
新羅に出兵し、朝鮮半島の広い地域(高句麗、
新羅、百済)を服属させたという、日本における
伝承です。
その「三韓征伐」は神功皇后の時代(3〜4世紀)
と言われますが、不明です。
また、武内宿禰が生まれたのは、西暦84年と
言われますが、それも不明。
宿禰は、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の
5代の天皇に仕えて330年も生きたという
伝説の人です。
武内宿禰がその三韓征伐の際に使ったとされる
二つの珠(満珠・干珠)は、実は「神力」でした。
無事戦いを終えた後、武内宿禰がその神力を
お返ししたのが、この龍神社でした。なので、
この地で住吉さんと同じ頃、2000年近く前に
この祠はあったということになりますね。
龍神様は、水の神、海の神、漁業の神と言われ
「龍神がつく」と、運気が全体的に底上げされ
人生がポジティブに好転すると言われています。
なので、こちらは大変なパワースポットなわけです。
境内には他にもお稲荷さんも祀られています。
そして、神社には宝物殿もあります。
こちらの画像は、神社のHPからお借りしました。
長府藩が幕末に使用した「錦の御旗」や、長府
藩主が所有していた茶道具などが展示されています。
毛利秀元(長府毛利家の祖)に豊臣秀吉から贈ら
れた茶壷や足利将軍家伝来の「大名物」と呼ばれ
る貴重な道具があります。
古田織部は、藩主・秀元公のお茶の師匠だった
とか。
あまり知られていないですが、長府にはいくつか
茶道具を焼いた窯元もありました。
松風山窯、野久留米窯などで作られた鷹羽焼、
笑山焼などだそう。
さて、実際にこの神社に行かれた方は津軽藩・
弘前城のこの絵を見て、不思議に思われるこ
とと思います。
以前は、狩野芳崖画の「武内宿禰」だったの
ですが、2022年にこの絵に変わりました。
第14代藩主・元敏氏の孫娘の久子さんが、津軽
宗家第14代津軽義孝氏に嫁いでいます。
本州北端の津軽と本州西端の下関。その交流を
記念して作成されたものだそうです。
久子さんのご子孫は、現在の皇室の常陸宮家に
繋がっています。
このブログを書いたのは、2025年1月2日です。
昨日元旦の神社境内から見た、初日の出。
左に小さく見えるのが満珠・干珠の二島。
驚いたことにこの島は、長府忌宮神社の
「飛地境内」に位置するそうです。
海の上ですが、飛地になるんですね。
2026年も、スタートしました。今年も、下関の
色々な歴史を見つけていきたいと思っています。








