その男性は席に着きました。
山本さんが笑顔で紹介します。
「佐藤くんの職場の先輩で私にとっては後輩の、榎木さんです」
「遅れてすみません」
そう言って軽く頭を下げた男性。
「榎木恒一です。よろしくお願いします」
――榎木恒一さん。
その名前を聞いた瞬間、わたしは心の中で小さく繰り返しました。
榎木さん⋯。
本名は恒一さんなんだ。
マッチングアプリでは「裕太」というニックネームだったので、本当の名前を知ったのは、この時が初めてでした。
「こちらは佐藤くんの彼女の、ななさん」
山本さんが紹介してくださると
「初めまして、よろしくお願いします」
榎木さんは、ごく自然な笑顔で会釈をしました。
その表情を見る限り、わたしに気付いた様子はありません。
⋯よかった。
胸の奥で、そっと息をつきます。
でも、その安心はほんの一瞬でした。
みんなで乾杯すると、職場の話で盛り上がり始めます。
仕事の失敗談や忙しい時期の話に笑いが起こり、和やかな空気が流れていました。
すると榎木さんがビールを一口飲み、ニヤッと笑いながら佐藤さんを見ました。
「佐藤、お前いいよなぁ」
突然話を振られた佐藤さんが笑います。
「何ですか、急に」
「何ですかじゃないよ、彼女できて幸せそうじゃん」
「そんなことないですよ」
「いやいや、あるだろ」
そう言って榎木さんは笑いながら続けました。
「しかもマッチングアプリで彼女見つけるなんてさ、佐藤見て『俺もやってみるか』って始めたんだから」
その言葉を聞いた瞬間、心臓がドクッと大きく鳴りました。
次回へ続きます。
