何のための掲載し直しかと思えば,ヘアアイロン事件行為者の「宝塚グラフ」での問題発言に関して,一部追加・訂正されていた.


https://www.tca-pictures.net/info/240328.html


 それにより,担当部門が「何故,語尾に(笑)を付けたのか」が明らかになった.


 (↓以前の記事)

 「本劇団員は、インタビューにおいて、「稽古に出発する際の荷物は最低限か、それとも大荷物か」との質問を受けたことに対して、「大荷物」だと回答し、それに続けて全国ツアーを経験したことで、予備の荷物を持って行かないといけないと考えるようになったという話を行う中で、「色々ハプニング想定して、雨だからカールが取れるかもとなったらコテを持って行かないといけないし」と発言し、また、しばらく会話が続いた後に、心配性で多く持って行くということなのかと質問されたことに対し「汗かいた(場合に備えて)着替えをたくさん持って行くとか、あとは、絆創膏とか」と発言し笑いました。その他にもメイク道具を持って行く等の発言もありました。」(上記記事を引用)




担当部門が語尾に「(笑)」をつけたのは何故か?


「ヘアアイロン(コテ)」,「絆創膏」に言及した発言者が笑ったため,担当部門が「(笑)」をつけた.



「宝塚グラフ事件」に関するほぼ全ての疑問が明らかになった今,改めて下記の遺族側の指摘(2月27日)は正しかったと確信した.


「上級生(発言者)が被災者に対し、やけどを負わせたことを反省せず、また、被災者を悼む気持ちを持っていないと言わざるを得ない。」との遺族側の主張を当該発言者は否定することはできないだろう.(以前の記事から引用)


https://ameblo.jp/20240229/entry-12843315021.html


 少なくとも,当該発言者(ヘアアイロン事件行為者)は,故人(被災者)の額に火傷を負わせたことを反省していなかった.何をしでかそうと,いつものように劇団が揉み消してくれると高を括っていたから出た発言,態度だったと思う.


 遺族側は早い段階から,ヘアアイロンによる火傷が「故意か」,「故意でないか」を争点にしていなかった.

そこを争点にするまでもなく,当該発言者(行為者)のハラスメント行為を裏付けるに十分過ぎる証拠は劇団にも,ファンの手元にも,さらには国会図書館にもあったのだ.


https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007428130-i32291994




 昨日の「宝塚グラフ事件」の経緯の記事掲載し直しがある前から,ヘアアイロン事件行為者が少しでも自分の罪を軽くしようと画策し,逆にそれが仇になって逃げ場を失っていく様子が,遺族側会見の内容から想像できていた.

「宝塚グラフ事件」の詳細を知り,やはり筆者の想像は強ち間違いでは無かったと確信した.


筆者が「宝塚歌劇団宙組団員自死事件」における14のパワハラ行為のうち,取り分け⑴ ヘアアイロン事件に言及するのは,この件は宝塚歌劇団の組織的な問題というよりも,行為者による個人的な犯行(敢えてこう書く)に思えてならないからだ.


これまでに本件を特集した番組等において,複数の宝塚OGや関係者の証言に,「フェルマータ」に代表されるような集団での叱責が共通して挙げられた.

つまり,このような叱責行為は宝塚歌劇団内で半ば推奨され,組織の因習(伝統)として続いてきた事であり,加害者個人の問題のみならず,劇団の組織的な問題としての側面が強いパワハラと考えられる.

(勿論,組織的要因が強いからという理由で該当する行為者らの責任が軽くなるものではないが.)


しかし,ヘアアイロンで額に火傷を負わせる傷害行為も劇団の伝統なのだろうか?

それこそ,音楽学校で平手打ちなどの暴行に及んだ事件は96期虐め裁判にまで発展したが,後輩に大怪我を負わせることも劇団の伝統だったとは考え難い.

(もし,「先輩が後輩にヘアアイロンで火傷を負わせることも宝塚歌劇団の普遍的な指導かつ伝統である」というご意見があれば本記事を訂正する.)



劇団も「ヘアアイロン事件」だけは,劇団に責任があるなどと言って擁護してはならなかった.この発言は他の現役タカラジェンヌだけでなく,数多のOGの価値を下げ,ファンや世間の劇団への不信感を更に募らせるものだった.



他人の身体と心を傷つけてはならない.

これは20代後半〜の女性が,誰かから教わらなくては分からないことなのだろうか.

この様子では,今後の加害者の更生など不可能だろう.


同じ職場でパワハラ行為者らと仕事をしなければならない方々を不憫に思う.

劇団には,パワハラ行為者だけでなく,彼女ら以外の劇団員の精神的・身体的安全も十分に配慮して欲しい.

このような言葉で締めくくる.