#私の親孝行【父の日に思う事】 | 座って半畳、寝て一畳

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【父の日に思う事】

 本日6月16日(日)は、父の日ですね。

 

 父親との思い出は、あまりございませんが、今日は、父の日でありますので、数少ない父親の思い出でも語らせていただきたいと思いますので、しばしお時間を頂戴いたします。

 

 私の父親は、在職中、仕事も忙しかった事や仕事が終わってからもお付き合いが多かったようで、お酒が弱いのに、毎日夜遅く帰宅しており、たまに定時で帰宅した時など、私達家族から、会社を辞めてしまったのかと、疑われておりました。

 

 日曜日などは、よくゴルフなどに出かけておりましたので、子供頃からあまり一緒に過ごした思い出がありません。

そんな父親なので、外での顔や仕事の内容などは、知らないことばかりでした。

 

 子供の頃から、勉強も運動もできない自分は、親孝行などしたことも無く、親孝行ってうまい?程度にしか思っておりませんでした。

 

 父親は、大正の終わり(関東大震災の翌年)に生まれた為か、小柄で身長160㎝、体重も60㎏程でしたが、息子の私は、身長180㎝程で体重120㎏もあったので、大学時代は、大人と子供の様で、夏休みなど、帰省した時など、よく捕まえては、寝技をかけてあそんでおりました。(まるで熊が獲物をもてあそんでいる様です)

 

 そんな父親ですが、学生時代に学徒動員で海軍に志願し、特攻隊の生き残りでした。

 

 戦争も終わり、日本が少し豊かになった頃より、当時の兵隊(特攻隊)仲間と定期的に会っていたようで、お風呂などに入っている時など、よく軍歌を鼻歌交じりに歌っておりました。(同期の桜など)

 

 父親は、私が30歳の時に亡くなり、葬儀の時に父親と同年配の方々から声を掛けられ、少しお話をする機会がございました。

 

 私の卒業した大学は、明治時代にアジアに赴き現地で指導者を養成するも無敵で創立された、バンカラ色がとても強く、私の在学していた時代でも、日本中の不良が集まってくるような、右翼系の強い大学で、戦前のおじ様(一部)の方々からは、ある意味東京大学よりも、エリー的存在のみたいでした。

 

 息子がそのような大学の柔道部で柔道の神様や監督(全日本柔道選手権優勝者)に、指導されている事を、自慢していた様で、私の知らない所で親孝行していた事を知りました。

 

 父も自分もお酒をほとんど飲まない(弱い)ので、今宵は好物であったかんぴょう巻きを仏壇にお供えし、父親の年齢に近づき、生前語れなかった事を色々と埋め合わせる様に、思い出に浸る事と致しましょう。

私の親孝行

 

 

 

 

 

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