#今日のおやつはこれ【とらやの一口羊羹】 | 座って半畳、寝て一畳

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【とらやの一口羊羹】

 平日の午後、仕事中ボ~とパソコンを眺めていると、協力業者さんの差し入れで、「とらやの一口羊羹」を頂きました。

 

 私は、この「とらやの一口羊羹」が大変好物なので、早速、会社の給茶機で緑茶濃い目のボタンを押して、ありがたく頂いたおかげで、眠気も取れ、午後の仕事もテンション高めに、行う事ができました。

 

 子供の頃、この黒く甘い羊羹は、ポテトチップなどのスナック菓子や駄菓子屋で購入するお菓子に比べて大変地味なので、苦手なお菓子でしたが、大人になるにつれて、羊羹のおいしさに目覚めました。(大人の階段を登ったようですね♪)

 

 羊羹(ようかん)は、一般的に小豆を主体とした餡を型(羊羹舟)に流し込み寒天で固めた和菓子ですが、鎌倉時代に中国へ渡った僧たちによって、日本にもたされたようで、黒くて甘い塊がなぜ羊羹と言われているのか不思議でなりませんでした。(羊って何?)

 

 寒天の添加量が多くしっかりとした固さの煉羊羹(ねりようかん)と、寒天が少なく瑞々しく柔らかい水羊羹(みずようかん)があり、寒天で固めるのではなく、小麦粉や葛粉を加えて蒸し固める、蒸し羊羹と呼ばれるものがありますが、単に「羊羹」と称した場合は、一般的に煉羊羹を指すことが多いようですね。

 

 煉羊羹は糖度が高いため保存性が高く、適切な状態で保存すれば常温で1年以上の長期保存が可能な為、非常食や保存食としても重宝されている他、少量でも高カロリーで、体内ですぐにエネルギーに変換されることから、スポーツの補給食や登山などにも多く利用されている方も多くおられるようです。

 

 この羊羹ですが、起源となる中国大陸では、お菓子ではなく、料理名の事で、読んで字のごとく羊の羹(あつもの)、つまり羊の肉を煮たスープでありました。

 

 鎌倉時代から室町時代に、中国に渡った禅僧により、点心の文化が日本に伝えられましたが、禅宗では、肉食が戒律(五戒)により禁じられているため、精進料理として羊肉の代わりに小豆や小麦粉、葛粉などを用いたものが、日本における羊羹の原型になったようです。

 

 当時の羊羹は汁とともに食べ、羊羹の膳で汁と具が別々になっておりましたが、その後に酒宴での料理の一品から、菓子へと変化していく中で汁が添えられなくなっていったようです。

 

 1500年代半ばに茶の湯が盛んになると、羊羹は「菓子」として茶会で供されるようになりました。(茶の湯の菓子として、定着してゆきました)

 

 当時の羊羹は今で言う蒸し羊羹でありましたが、18世紀の後半に寒天を用いた煉羊羹が登場し、食感がよく日持ちもする煉羊羹は江戸で人気を博し、数十年のうちに地方の菓子屋へも製法が広まってゆきました。

 

 戦前〜戦中、満州から晩年の愛新覚羅溥傑が訪れた際、羊羹を購入したことにより、現在の中国でも天津や北京で、日本のものと同じような小豆や栗を使った甘い「羊羹 (ヤンカン) 」が逆輸入されている他、台湾でも日本統治時代に広まったものが羊羹として、現在も人気商品とされている様です。(本当に日本人のアレンジ力には、脱帽です)

 

 夏目漱石の著した『草枕』の作中において羊羹の美しさを表現した「どう見ても一個の美術品だ」という、有名な一節がある様に、美しさにおいても、日本を代表するお菓子です。

 

 お疲れ様の晩酌も良いですが、たまには、濃い目の日本茶でも入れながら『羊羹』をお供に、幸せな甘い、ひと時を過ごされては、如何でしょうか?

 

小形羊羹14本入|商品詳細|高島屋オンラインストア

今日のおやつはこれ

 

 

 

 

 

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