「それは、薔薇の品種でしょ。薔薇にもいろいろあるのよ」
サチの説明を聞いて、聡はまたしまった!という顔をしたが「薔薇は薔薇しかないのかと思った」と言って、またサチの失笑を買っていた。
「他にはどんな薔薇があるの?そして、花言葉は?」とふみが聞いてきた。
「えぇとね、俺もあんまり知らないんだけど、さっきのヴィヴィッドは、真っ赤な薔薇で花言葉は『情熱』。あと、プレゼントする薔薇の本数で相手に気持ちを伝えることも出来るんだよ」
「えっ!本数で…?」サチが目を輝かせた。
「うん、そうだよ。じゃあ、山村さんは何本プレゼントされたい?」
「そうねぇ…、控えめに言って10本かしら」
「10本だったら『あなたは完璧な人』だったかな」
(おっ、サチにピッタリじゃん)
聡がニンマリする。
「じゃあ、ワタシはその半分の5本!」
ふみが割って入って来た。
「5本だと、『あなたに出会えて良かった』だよ」
「まぁ…!」ふみが、少し顔を赤らめた。
「じゃあ、土志田さんは?」
「私はたくさんもらっても、飾るところがないから…1本でいいわ」控えめなよねだ。
「あっ!でも1本じゃ可哀想だから2本にする」
「2本だと…『この世界には、あなたと私の2人だけ』かな」
よねもふみもサチも「この世界には、あなたと私の2人だけ!」と聞いて、頬をポッとピンク色に染めてしまった。
そんな3人を聡が見逃すはずがない。
「ばっかじゃねぇの、おまえら!これは花言葉なんだよ。花をもらってから喜べよ」
「まったく、デリカシーの欠片もないわね、この男は!」
「うるせんだよ、サチは! 俺が何を言おうが勝手だろ(デ、デリカシーって何だよ?)」
よねはまた始まったという顔で、二人の間に割り込み「でも、今の花言葉の薔薇を覚えておけばいいんじゃない? ね、……聡ちゃん、そうしてみたら?」と何とかその場を収めることに苦慮していた。
どうもよねは、家にいても外にいてもこういう場を収めるようにできている。
(聡ちゃんは早速、坂口君のお母さんのところで花を買うことを考えているなんてやさしいのねぇ)とよねは聡の気持ちにあたたかさを感じた。
しかし聡は、そんな自分の気持ちを悟られまいとするのか、すぐに話題を他へ変えたがった。ふみとサチはもう少し闘馬に花のことを聞きたがっていたようだったが……。
「よぉ、もう少しでお彼岸が来るだろ。そうしたら、すぐにお荒神(こうじん)様だぞ。みんなで行かねえか?」
「えっ、それって岩田君が私たちを誘ってるわけ?」ふみが聡の顔を覗き込んだ。
「なんだよー、俺が誘っちゃいけねえって言うのかよ。……だって、闘馬も横浜からこの品川に引っ越してきてもうすぐ3ヶ月が経つだろ。だからさぁ、品川の名物みたいなもんを見せてやりたいと思ってな。闘馬の4歳になる妹にも見せてやりたいと思ってよ。どうだ、俺ってやさしいだろ?」
聡は照れを隠すようにわざと言った。
聡の照れを知りつつ、サチもちょっと意地悪に聞いた。
「私たちと一緒に行きたいのなら、素直にそう言えばいいんじゃないかしら?」
「うるせぇよ! まったくああ言えば、こう言うし……口の減らない奴だ……」
今度は聡が顔を赤くしながら、トーンダウンしていった。
そんな2人の会話を聞きながら目を輝かせる闘馬。
「こっちに来てあんな事件が起きちゃったろ。妹をどこへも連れて行けなくて……。この辺の地理もまだ全然わからないんだ。妹も連れてっていいの?」
「おぉ、いいっていいって! 俺たちが案内してやっからよ」聡が鼻の頭を指でこすった。
「でも、お荒神様ってなんだい? 何か祀ってあるの?」
「えぇ、南品川の海雲寺(かいうんじ)さんに千躰(せんたい)荒神(こうじん)が祀ってあるわ」サチがさらっと答えた。
南品川の海雲寺境内に祀られている千躰荒神のお祭りは、毎年春と秋の二回行なわれる。春は、火の不始末が一番多い冬を無事乗り切れたという感謝から護摩を納める『納めの荒神』で、3月27・28日。秋は「この冬の台所を火から守ってください」という意味で11月27・28日だ。
荒神様はかまど、いわゆる台所の神様として信仰され、この祭りの日には朝から夕方まで護摩が焚かれ、参詣人は荒神様の御宮や御札を受け、護摩の火で潔めて家に持ち帰る。
御宮や御札は手で持ってはいけないといわれ、風呂敷に包み、これを首にかけて帰るしきたりになっている。また、途中で寄り道をするとご利益(りやく)が薄れるといわれている。
旧東海道や青物(あおもの)横丁の両側と境内には数多くの露天や参詣人で賑わった。
荒神様が台所の神様というだけあって、参詣人は一般の人のほかに蕎麦屋、食堂、料亭、品川宿の女将から、浅草からわざわざ足を運ぶ者もいた。
当日は、お釜の形をした「おかまオコシ」が売られた。これは、おかまを起こすという縁起から名づけられたといわれる。《かまどを築き上げる意から》身代を築く、財産を作るという意味。
しかし、そんな賑やかだった荒神祭も二十一世紀の今となっては廃れてしまい、おかまオコシを作っている店も一件だけとなってしまった。よねたちの昭和初期は、荒神祭の全盛期だったといっていい。
「あたしたちが妹さんのこと見てあげるからさ、安心して一緒に行こうよ。ねっ、よねちゃん?」
ふみが鼻をヒクヒクさせてよねを振り返った。
「うん、そうよ。それにたくさん屋台が出て楽しいんだから。妹さんも喜ぶと思うわ。私も妹の麻美と弟の幸司を連れて行くから」
「よし、話は決まった。それじゃあ、28日だぞ。みんな、忘れんなよ」
そんな聡の話をそばに座っているよしえが聞いていたようだ。自分も行きたそうな顔をしたが、よねと目が合うとすぐに視線をそらせた。
「よしえちゃんも行かない? みんなで……。楽しいよ。妹さんや弟さんも連れてくればいいじゃない」そうよねが誘ったが、よしえは首を横に振るだけだった。
ふみが小声で言った。
「だめよ、よねちゃん。よしえちゃんを誘っても絶対どこも行かないんだから」
よねはそれは良くわかっていた。
なぜなら、よしえはよねの下駄屋の目の前、竹屋の長女だ。家が目の前なのに、遊んだことが一回もなかった。
よしえは学校から帰ると、絶対外に出てこなかったからだ。今年の正月もよしえの弟と妹は表で元気に羽根突きをしていたが、よしえは外に出てこなかった。
(何でだろう?)よねはよくそう思っていた。しかし、このよしえには、ある秘密があったのだ。それがわかったのは、もっともっと後のことだった。
ワカバのよもやま話コーナー
(71)
年明けより心痛める出来事が続いてしまいました。
被災された皆様、事故に遭われた皆様に心からお見舞いを申し上げると共に、一日も早く平穏な日々が戻ってきますよう祈るばかりです。
ワカバの部屋の花瓶に入れた生花の松
ワカバの部屋から見える竹
竹は成長が早い事から『生命力・成長』の象徴とされています。
梅は、早春に花を咲かせるので『気高さや長寿』の象徴とされています。
どうか、このパワーが少しでも多くの方に届きますように…
第16章「惣八の逆上」① へつづく
※ SNS からお借りした画像があります