ここは品川…といっても旧東海道の品川橋(目黒川)を渡った南品川地区。この橋を挟んで北側が、北品川地区となる。
この旧東海道は遊郭や旅籠(はたご)でひしめき合い、海も近く品川宿として栄えた地域だ。
今で言う東海道線のJR「品川駅」は、ここから北へ約1.2キロの所に位置している。
南品川のほぼ真ん中を第一京浜国道(昭和三年七月竣工)が、北(東京方面)から南(横浜方面)へと走っている。
この第一京浜国道、通称・一国(いちこく)を挟んで東側(東京湾方面)に、京浜急行の前身である京浜電気鉄道が敷設されていた。
補足だが『シン・ゴジラ』が第2形態の時に破壊したのが、京浜急行「北品川駅」だ。
その後、第2形態から第3形態に進化を遂げて立ち上がった場所が、品川の遊郭や旅籠が建ち並ぶ旧東海道沿いと考えられる。
この写真は「土蔵相模(どぞうさがみ)」という妓楼で、品川遊郭のひとつ。維新の折には高杉晋作、伊藤博文、久坂玄瑞らが宿泊して密談を交わしていた旅籠。
昭和初期まで現存していた。
話を戻そう。南品川のずっと西側にはゼームス坂があり、南へ上ると大井町駅(現在のJR線、東急大井町線)へと続く。
よねの家がある銀幕商店街は、一国(いちこく)とゼームス坂を結ぶ直線道路にある。
直線道路と言えば聞こえはいいが、荷車を引いた馬がやっとですれ違えるほどの道幅であった。
現在のゼームス坂。よねの住んでいた頃は、すべてが木造住宅でアスファルト舗装ではなく、砂利道だった。
近辺は細い路地が多く碁盤の目のようになっていて、古い街並みが一層下町情緒をそそっている。
両脇には豆腐屋、魚屋、乾物屋、薬屋などの店が約六十軒から並び、江戸っ子気質で気っ風(きっぷ)のいい商人が多い賑やかな商店街だ。
そんな商店街の裏通りに広場があり、ここに「荏原(えばら)オデヲン座」という映画館があった。これが銀幕商店街の名前の由来だ。
そして・・・この物語の主人公、よねの家は下駄屋を営んでいる。
横浜の田奈という田舎から十代の頃、単身東京に出てきたよねの父・辰五郎(たつごろう)は8年奉公した煙草問屋で、妻となる同じ奉公人の「きせ」と知り合い結婚。根っから働き者の辰五郎は金を貯め、40代で18軒の家作をあちこちに持つまでになっていた。
一定の家賃も入り、金には困らなくなったが、人間やはり仕事をしていなくては駄目になると言って下駄屋を始めた。別に商いは何でもよかったが、近所に下駄屋がなかったため始めたそうだ。
儲けは当てにせず、無欲だったのが功を奏したのか店は大変繁盛していた。 特に暮れは新年を下ろしたての下駄や草履で迎えようとする人が多く、大晦日が一番の盛況振りで、猫の手も借りたいくらい忙しかった。
そんな中、よねはのんきに昼寝をしていたのだ。見つかったら大目玉だ。しかし、子供たちが七人の大家族。よね一人の姿がなくても、この忙しさの中、気にする者などいなかった。その点はよねもある程度、計算に入れていた。
「良いお年を!」と客に挨拶をしているよねの二番目の兄・裕司(ゆうじ)の声が裏口まで響いてくる。大晦日の三時近くになったというのに、客の足は途絶えていないようだった。
よねは裏口から居間を抜けて店先に出るため、そんな中を「すみません、ごめんなさい」と言う変わりに「良いお年を、良いお年を」と小声で右に左にと突き進んだ。そして何食わぬ顔をして小さな箒を持ち、玄関先を掃き出した。
下駄屋は、入り口がガラスの引き戸になっていて、二間(約3.6メートル)あった。だからガラス戸は四枚あったのだが、今日は全部取り外されている。
さぼっていたのはバレていない様だ。三人の兄さんはまるでよねのことを忘れているかのように、お客の応対に追われていた。
店の真ん中から右側に大きなショーケースがあり、この中には桃色や金色の光る布地できれいに彩られた子供用のポックリや高級な草履、下駄が並んでいる。
中でもユニークなのは、異常に足の高い草履だ。これは、品川の遊郭で花魁(おいらん)が廊下で履くものだ。草履の足の部分が、赤白赤白と紅白の縞模様で彩られていた。
店の手前一番左は、人一人入るのがやっとという二畳ほどの作業場で、掘りごたつのように低くなっていた。ここは兄の正司が一本の木を器用に削って、下駄を作る場所だ。
店の右側は棚になっている。客によく見えるように、下駄や草履が斜めに置ける棚だ。一番下の段には、ゴム長靴や足駄(あしだ)が置いてあった。
足駄は、雨の日などに履く高下駄(歯の高い下駄)のことで、これさえあれば泥水の中でも平気で歩けた。
ショーケースと作業場の間は、少しだけ広くなっている。ここには、いつもなら椅子が二脚置いてある。
これは、客が下駄の寸法を合わせるために座ったり、作業場の正司と話すために問屋の人が座ったり、ただ何となく近所の人が世間話をするために座ったり、そんな為に使われている木製の肘掛け付きの椅子だ。でも今日は邪魔になってしまうので、裏に持って行ってある。
よねは手伝いをしながら、校長先生と父・辰五郎の話が気になっていた。
(校長先生は一体何をしにいらしたんだろう?)
きっと、辰五郎が小学校の風紀委員をしているので、それに関係することだろうとよねは思っていた。
風紀委員とは、風紀が乱れるような問題が生じた時に出番がやって来る委員のことだ。
(でも、風紀が乱れるようなことが学校で起きているのかしら?)
もしかすると……、とよねは思った。
今年に入って子供が神隠しにあう事件が五件ほど、世田谷で起きている。
(それかもしれない!)と。
ワカバのよもやま話コーナー ②
ワカバのお家の物置きにはですねぇ…何十年も開けたことがない…というか触ったこともない大きな木箱が幾つもあるんです〜
物置きは床下の高い高床式の構造になっているので、まさに正倉院笑
なのに湿っているのはなぜ〜
どうかワカバの嫌いなムカデが出てきませんように…と祈りながら、へっぴり腰で奥にある最初の木箱に手を伸ばしたよ〜
まるで「舌切り雀」で強欲なお婆さんが背負ってきたつづらみたいに大きい〜
どうかお化けなんか出て来ませんように…と思いながら、重い蓋を開けるワカバ…
ボロボロの布に包まれた堅い物が出てきたよ〜
恐る恐る、そっと布を広げると…
なんと壁掛け時計が出てきましたぁ
綺麗に拭いて壁に掛けて記念撮影‼️
そういえば、ヒィお爺様が明治の頃に購入した古時計がある〜、と聞いたことがありました。
扉に「SEIKOSHA」ってあるねぇ
それを手掛かりに調べてみたら〜
と、わかりましたぁ
残念ながらバネが壊れていて動きませんが、私の部屋に飾りましたぁ
小さな壁掛けの古時計…ヒィお爺さんの時計…
とても素敵ですぅ
第2章「土志田家の人々と不吉な流星」② へつづく
※ 画像はネットからお借りしました。
「およねさん」
今回の主な登場人物…
土志田(どしだ)よね…この物語の主人公。土志田家次女。朝美台(あさみだい)尋常小学校4年生。まだ自分にもわからない未知の能力を秘めている切れ長の目を持つ10歳の女の子。