「うん、いま降りる」

  よねも小さな声で答えた。



   よねは材木の上に、寝床代わりに敷いておいたベニヤ板を、割れないようにカンナ屑の中に放り投げ、材木をスルスルっと器用に降りてきた。


   左胸に白字で「手嶋」と書いてある紺色の半纏(はんてん)を着た拓也は、よねが無事に降りるのを確認して、笑いながら話しかけてきた。


   「何やってんだ、こんな所で!……ははーん、さては、家の手伝いが嫌でサボりにきたな。」


  「ちょこっとそれもある……。」

  よねは苦笑いして拓也を見上げた。

  冬だというのに、よく日焼けした顔がよねをやさしく見下ろしていた。



    拓也はよねが五歳の時にこの手嶋屋に奉公に来た。当時は、まだ十二歳だった拓也だが元来負けず嫌いだったせいか、泣き言ひとつ言わずに頑張ってきた。


   拓也には、拓実(たくみ)という三つ離れた兄がいて、拓実もここ手嶋屋材木店で奉公をしている。

   拓実も頑張り者で、そんな兄に負けたくないという気持ちが拓也をここまで引っ張ってきたのかもしれない。

   そんな拓也のことをよねは「あんちゃん、あんちゃん」と慕っていた。



  「いい新年が向かえてぇからよ、…髭はどうなった?」

  髭!と言われてよねは慌てて自分の喉を触わった。

    拓也は何で急にそんなことを言ったのか。それには理由がある。



   よねは変わったものを持っていた。それが今、拓也が言った髭だ。

   丁度、喉と顎の中間あたりに3cm程に伸びた真っ黒な髭が一本生えている。

   よねが小学校に入学する頃、突然生えてきたこの髭は、最初のうちは周りの者も別に気にも留めていなかった。というよりも「女の子なのに髭が生えるなんて、可笑しな子だねえ」と周囲に言われるくらいだった。


    女の子だから可哀相だと抜くのだが、またすぐに生えてくる。だから、生えては抜き生えては抜きを繰り返していた。放っておくとどんどん伸びてきてしまうのだ。


   それ以外には、別に何の変哲もないこの髭が不思議な力を見せはじめるのにそんなに時間は掛からなかった。


    抜いても抜いても生えてくるこの髭が、ある日突然、自然と抜けた。真っ黒な髭なので抜ければ家族もすぐに分かる。

    髭が抜けた三日後に祖父が死んだ。その時は別に髭と祖父との因果関係など誰も関連付けたりしなかった。


   それから三ヶ月後、真っ黒に伸びた髭がまた突然抜けた。

   この時も「自然と抜けたんだね」と周囲も本人も別に気にも止めなかった。しかし、その二日後、祖父の後を追うように祖母が他界した。突然だった。


   この頃から「よねの髭がおじいちゃん、おばあちゃんのお別れを教えてくれてたのかねぇ」などと周囲が言うようにはなったが、この時も別にただの偶然だろう、くらいですまされていた。


    がその後、偶然ではすまされない事態がよねの身辺で続くようになってきた。


    髭が抜けるとその二日後か三日後に必ず誰かが息を引き取る。それは、よねの親戚に限られたものではなかった。

   よねの家族と親しい者。例えば、父・辰五郎(たつごろう)の商売仲間。母・きせの友人。よねの姉・あさの裁縫の師匠など……。


   よねの髭が抜けると誰かが死ぬ!まるで「死神の髭」だ!という、よねにとってはうれしくない代名詞までついてしまった。


   つい一ヵ月程前のこと、よねの家から三軒左隣の床屋のおじいさんが倒れた時も、おかみさんが血相を変えて飛んできて「よねちゃんの髭、抜けてない?」と聞いて来た。


   抜けてないことを確認すると、ホッとして帰っていくという始末だ。さすがに十歳のよねは、いささかうんざりしていた。


   だから、自分ではあまり髭のことは考えないようにしているので、さっきのように拓也から聞かれてあらためて髭の存在を思い出す様な感じだった。



 「うん、大丈夫。しっかりあるよ」


   拓也はニコッと笑いながら「おっ!いい新年が迎えられるな!」とよねの背中をポンと叩いた。そしてぶっきらぼうに喋り出した。


   「人は、その髭のことを『死神の髭』だなんて言うけど、俺はそうは思わねぇ。その反対に『幸せの髭』だと俺は思う」

    拓也が突拍子もないことを言い始めたので、よねはポカンと聞いていた。


   「人の命っていうのは、大切なもんだろ。人だけに限らねぇ、命は生きてるもんにとって大切なもんさ。でも、命がいつなくなるかなんてわからねぇ。誰も教えてくれねぇ。それをその髭は、知らせてくれるんだ。逆に言えば、その髭が抜けてないっていうことは、みんなが幸せに暮らせてるってことだろ?」


   「うん、うん……」よねは髭のことを言われてちょっと塞ぎ込みそうになった顔に笑みが戻ってきた。


   「だから、それは死神の髭なんかじゃない!幸せを教えてくれる髭だ!」拓也は笑いながら言った。

   「うん、ありがとう、あんちゃん!」よねはちょっと頬を染めながら言った。



    2人がそんなたわいも無い話をしていると、資材置き場へ下駄をカラカラ鳴らしながら誰かが駆け出してくる音がする。

   よねは、ハッとした。

   「いけない、お店の手伝いしなくちゃ!」


   音の主は、家の者だ!きっと私を迎えに来たんだ。こんな所でサボっていたら、大変っ!怒られる。

   咄嗟によねはそう思った。しかし、下駄を履いてきた人物を見て、よねはホッとした。よねの一歳年下の妹、麻美(まみ)だ。


   麻美は、よねとは違い目がパッチリとお人形のように大きかった。髪は長く、三つ編みに結んでいた。深緑に象形文字のような模様がついたモコモコの綿入れを着ている。


   まさか妹に怒られることはないだろう。そう思いながらも麻美のちょっと尋常ではない顔を見て何を言っていいのかわからなくなってしまった。


   「どうしたの?」そうよねが言うのと、麻美が口を開くのがほとんど一緒だった。

   「おねえちゃん、やっぱりここにいたわ。……あのね今ね、校長先生が来てるの」


 「えっ、何をしに?……まさか私のこと?じゃあ、ないわよね」

   そう言って、目を白黒させるよねが余程可笑しいのか、麻美の口元が少し緩んだ。

   「ううん、違う違う!元旦に行く初登校が二日の日になったんだって」


   この頃は、元旦に先生と生徒の初顔合わせがあった。無事に新年を迎えられた喜びをみんなで分かち合うのだ。

   でもそんなことだったら、校長先生がわざわざ知らせに来るなんて可笑しい。その辺を麻美に問いただしてみると……。


 「あのね、校長先生。お父さんと話したいからって部屋の中に入っていった」

   よねは咄嗟に思った。こうしてはいられない!父親が校長先生と話をしているうちにすぐに戻って家の手伝いをしなくては……


   そう思うが早いか、裸足のままで家の裏木戸へ向かってよねはダァーッと一目散に駆け出した。


   「それじゃあね、あんちゃん!そういうわけだから!いい年をね」という言葉を残して。

   その場で拓也と麻美は呆然と立ち尽くしてしまった。


  「なあにが、そういうわけだからだよ」

   そう言いながら、よねが忘れていった草履を拾い上げて麻美に渡した。


   「さっき、およね坊が材木に登った時に脱いだ草履だ。まったく、ああいうそそっかしいというか、落ち着きのない姉ちゃんをもつと麻美もてぇへんだな」


   麻美はそれを受け取り「ううん、私達といつも遊んでくれるいいお姉ちゃんよ」と笑った。


 「じゃあな、寒くなるから早く入りな」

 「はい。じゃあ、良い年をお迎えください。さようなら」そう言って、手を振りながら麻美は家へ戻って行った。


 「まったく、どっちが姉貴だかわかんねぇな」と拓也は着物の懐に手を入れながら「さて、こちとらも親方に怒鳴られないうちに風呂掃除を早いとこ片付けるか」と今更寒さが身に染みるのか、少し体を揺らしながら戻って行った。




ワカバよもやまコーナー


   先週、道枝駿佑くん(なにわ男子)と福本莉子ちゃんW主演の「今夜、世界からこの恋が消えても(セカコイ)」を観て来ました ラブラブラブラブラブラブ




   映画公開日当日にNHK大阪の「ぐるっと関西おひるまえ(ぐるかん)」になんと道枝駿佑くん、福本莉子ちゃん(通称 : ミチリコ)」が生出演してくれましたぁ クラッカークラッカークラッカー




   「眠ると記憶を失ってしまう実在する難病『前向性健忘』を患い恋することを諦めていたヒロインを福本さんが演じられたんですよね」



   「その彼女にボクが出会うんですよねぇ」



   「では、映像があるので少しだけご覧くださ〜い 音譜






   「じゃあさぁ、透くん!恋人のフリをするっていうのはどう?」




   「恋人のフリ……?」







   「あっ!目、覚めた?」




   「…… ……?」




   「…… ……!?」




   「ダレ……? …… ですか?」




   「えっ…… !?」




   この映画は見終わったあとに、このタイトルの意味がわかるんですよねぇドキドキ





  おまけ画像……


   NHK・Eテレ高校講座・物理基礎をやっていた当時15歳の福本莉子ちゃん…




   お風呂に入ってる小2の頃の道枝駿佑くん…







第2章「土志田家の人々と不吉な流星」① へつづく


※ 画像は「ぐるかん」からお借りしました。





「およねさん」


 今回の主な登場人物…


土志田(どしだ)よね…この物語の主人公。土志田家次女。朝美台(あさみだい)尋常小学校4年生。まだ自分にもわからない未知の能力を秘めている切れ長の目を持つ10歳の女の子。


山崎 拓也…よねがあんちゃんと慕う手嶋屋材木店で奉公をしている17歳。兄は拓実。


土志田 麻美(まみ)…土志田家三女。よねより1歳年下の小学校3年生。土志田家ではただ1人、目がパッチリの可愛い妹。