おっ、意外といい話し相手になるかも。真弓はそう思いながら、鞄から『ドラゴンボール』の漫画を取り出して真琴に渡した。

 「わぁ、おねえちゃんありがとう!見たかったんだぁ」真琴は大喜びで両手を差し出す。
 「すぐ退院ってお父さんから聞いてたんだけどさ。1分でも読んでいたいかなぁと思って持ってきたのよ」
 真琴は『ドラゴンボール』が大好きなのだ。

 真琴はいつも父の勝彦と母の清恵と同じ部屋で「川の字」になって寝ている。いつ何が起こるかわからない真琴の体を心配してのことだ。
 その部屋の本箱には『ドラゴンボール』の漫画ばかりが並んでいた。勝彦が学生時代に買ったコミックスを真琴が引き継いでいるわけだ。

 『ドラゴンボール』には、すごく強い正義の味方・スーパーサイヤ人の孫悟空やその子供の悟飯、ライバルのベジータなどが登場する。
 敵を蹴散らし大空を飛び回る悟空たちの姿に、体の弱い真琴は「いつか自分も悟空のように強くなりたい」という思いを抱いて読んでいるのかもしれない。そんなことを真弓はふと考えたことがあった。
 真琴はこの『ドラゴンボール』の漫画を何十回、何百回読んだことだろう。はっきり言って本はボロボロ状態だ。

 「何だ、それ?」ラウラが覗き込む。
 「アフリカにはないから、わからないよね。これは『ドラゴンボール』って言う漫画なんだ。ほら、面白いよ」真琴はラウラにページをめくってやった。
 「ふーん、俺、ひらがなしか読めない。でもこれなら読める」ラウラは真琴から漫画を受け取ってパラパラとページをめくり始めた。

 「おねえちゃん、ラウラ君って日本語読めるんだね。すこいね」言われてみればその通りだ。
 真弓はラウラをジッと見た。そして聞いてみた。
 「ねぇ、ラウラ。何処から来たの?」するとラウラは漫画を読みながら、指を一本下に向けた。
 またぁ?夕べと同じ返事じゃない。
 するとラウラは「ありがとう」と真琴を見上げて漫画を返した。
 「もういいの?つまらなかった?」
 「面白かった。もう全部読んだ」ラウラは左目を細めた。ウィンクのつもりだろうか?気味が悪い。
 「早いねぇ。で、誰か好きなキャラできた?」
 「キャラ?何だ、それ?わからない」ラウラの口がひん曲がる。
 「漫画に出てきた人で、好きな人ができたかなぁと思って」そんな質問してもラウラにわかるわけないわよ。真弓は真琴の会話を聞いていておかしくなった。

 「真琴は誰、好き?」逆にラウラに質問されている。
 「ボクはねぇ……、魔人ブウ!」
 そうなのよ、マコのお気に入りは魔人ブウ。
 それでわたしが学校に行く時に、一回転させられる。

 「おねえちゃんのスカートが風で広がると、魔人ブウの穿いてるダブダブのズボンみたい!」なーんて、冗談じゃないわよ!ブウっていうのは、ピンクの豚みたいな顔をしてるんですからね。わたしのどこが豚よ!と思いつつ、真琴がいない今朝もいつもの癖で一回転していた真弓ではないか。

 「魔人ブウ……。あいつ面白いな」そう言うが早いか、ラウラはお皿にのっているほうれん草を指差した。きっと真琴がお昼に残してしまったのだろう。
 「チョコになっちゃえ!」突然ラウラが叫んだ。するとどうだろう。真琴が目を輝かして喜んでいるではないか。
 「わぁ、すごい!ボクの嫌いなほうれん草がチョコになっちゃった」
 「えぇ?」真弓には普通のほうれん草に見える。とてもチョコには見えないのだが、真琴はほうれん草を摘んで、一口で食べてしまった。

 「えぇ、どうなってるの?」そういえば、魔人ブウも気に入らない人間などを「◯◯になっちゃえ!」とか言って、お菓子にして食べていたような。
 「真琴だけ、チョコに見える。これくらいいいだろ?」ラウラの高さが違う目がニヤッと笑った。
 「すごいマジックじゃない!」真弓は真琴に聞こえないように囁いた。
 「ラウラはその力でわたしたちを守るって言ってたの?」真弓は不意に昨日言われたことを思いだした。
 「闇鬼のことか?」ラウラは首を横に振りながら言葉を続けた。「闇鬼、こんなことで騙されない。すごく悪くて、強い」
 陽射しがカーテンの隙間から入ってくる。ラウラが少しだけ、脇に避けた。

 「ラウラくんってすごいねぇ。マジシャンだね。あのね、ボク、ブウも好きだけど、ベジータも好きなんだ。カッコいいだろ」
 「あぁ、すごくプライドが高くてカッコいいな。俺もあんな風に闇鬼と戦ってやる」ラウラの話し方が少し違ってきた。
 「わぁ、何だかベジータの喋り方に似てるよ。いい感じ」入ってきた陽射しに負けないくらい、真琴の目が輝いている。
 「そうか?俺はあまりおまえたちの言葉を知らないからな。漫画でもいいからたくさん読んで、いろいろなことを吸収しないといけないようだ」

(ラウラって一体何者?やっぱりお化けなの?)
 ラウラの話を聞いていると、真弓はたくさんの疑問が湧いてくる。
 一体どこから来たの?話に出てくるオババって誰?闇鬼ってどんな奴……?真弓の疑問に答えるように、ラウラが喋り出した。

 「俺は、おまえらの知らない世界から来た。いずれ、おまえらも行く世界だ。そこでオババに作られた。闇鬼はその隣の世界からやってくる。俺も行ったことがない闇の世界だ。最強になるために、おまえらの元へやってくる」真弓は話半分に聞いたとしても、実際ラウラが目の前にいるのだし、闇鬼っていう奴が現れてもおかしくないと思った。
 「闇鬼ってラウラの敵?何でわたしたちの元へ来るの?他の人でもいいじゃない?」真弓の質問に、ひん曲がった口が少し真っ直ぐになった。
 「俺はおまえらを守るためにやってきた。……俺は絶対にあいつを許さない!俺と清恵をメチャクチャにしたあいつを八つ裂きにしてやる!」ラウラがそこまで言った時だ。病室のドアをノックする者がいる。

 「あら、真弓来てたの?」入ってきたのは、母の清恵だった。真琴が入院しているという日にも母・清恵は例の場所に行っていたらしい。
 例の場所。それが何処かはわからないが、真弓は物心つく頃からそう呼んでいた。
 清恵は、毎月20日になると必ず、家族に行き先も言わないでフッと出かけてしまうのだ。大体2時間程度で帰って来るから、勝彦も詮索したことはなかった。
 暮れのどんなに忙しい時でも、清恵はこのたった2時間の家出を欠かしたことがなかった。真弓も慣れっこになっていて、別に尋ねることもしなかった。

 「う、うん。さっき来たの」ラウラの最後の言葉が引っ掛かり、返答に慌ててしまった。
 ラウラも清恵が来たと同時に姿を消していた。
 「あれぇ、ラウラくんがいなくなっちゃった」
 「誰?お友達が来てたの?」清恵に訊かれ、真弓は「うん、そう。近所の子」とごまかした。
 「ふーん、そんな珍しい名前の子、いたかしら」清恵はふと考えながら、さっきから自分のことをジッと見つめている真弓が気になるようだ。

 「なーに?何かお母さんの顔についてる?」
 「えっ、あっ。うん。……ねぇ、闇鬼って知ってる?」真弓はラウラが最後に発した(俺と清恵をメチャクチャにしたあいつ)という言葉が気になり、オドオドしながら尋ねた。
 「さぁ、な〜に?それ?『やみナントカ』って、新しいゲーム?」清恵は、またゲームを買わされるのかしら?と笑いながら、真琴の下着をバッグから出している。
 何だ、お母さん何にも知らないんだわ。さっきラウラが言ってたのは、わたしの聞き間違いだったのかも。
 真弓はホッと胸を撫で下ろして、真琴の着替えを手伝い始めた。


        ……つづく

(闇鬼は毎週火曜日0時2分に更新予定です)