「クックク、おめぇ、真弓……。真弓だ。やっと……会えったぞ」
 変な日本語が足元の方から聞こえてきた。

 (誰?誰なの?)
 真弓の部屋は四畳半で広くはない。置いてあるものといえば、枕元の勉強机だけでタンスも小物入れもない。洋服や雑貨類はすべて壁の中に収納できるようになっている。
 だから誰かが部屋に入ってくれば隠れる場所などない筈だ。だが『金縛り』のせいで目が開けられない。確かめることができない。そうなると、一層気味が悪くなってくる。

 「怖くはねぇ。俺は……いま着いた。こんにちは……。あれっ、こんばんはって言うのか?」
 (何ふざけたこと言ってんのよ!まさか、お父さんじゃないでしょうね!)
 真弓は思いっきり指先を曲げようとした。そして瞼に力を入れた。

 (はぁ、やった!目が開いた!)
 真弓は天井を睨んだ。息も少し楽になってきた。でもそれだけ。首が動かない。声がする方向を確かめようにも、どうすることもできなかった。
 「あれ?俺の『闇縛り』が取れちった。でも、こっち見れねぇだろ?クックク……」

 (「金縛り」ってリアルだわ!誰かがいる錯覚を起こさせるのね。気味悪いわ…。何とかしなきゃ!)

 真弓は剣道で徹底的に「足さばき」を教わった。
 「足さばきで呼吸を乱すな!整えろ!ほんの僅かな呼吸の乱れが隙になる!」監督によく怒鳴られたことが脳裏を過ぎる。
 真弓は呼吸を一定に整えることにより、気持ちを冷静な状態にもっていこうと考えた。
 手も足も指さえも動かないのだ。とにかく今は落ち着くことが先決なのだ、と天井を見つめた。
 するとさっきまでコチンコチンに固まっていた体中の筋肉が、嘘のように柔らかくなった気がする。

 真弓は指を動かそうとした。ダメだ!まだ動かない。首は?そっと首を起こす。動いた!そのまま首を持ち上げた。
 足元に何かいる!そんなに大きくない生き物が……。部屋の一番小さな灯りに、そいつはほんのりと映し出されている。それは見たこともない子供の姿だった。

 (この子は誰?どうやって家の中に入ってきたの?「金縛り」ってこんな幻影まで見せるの?リアルだわ!)と思いつつも、真弓は頭の中で戸締りを再確認した。
 確かに玄関もリビングのサッシも鍵を掛けた筈だ。
 (おかしい!)

 もう一度子供を見る。焦点の合わなかった目が、だんだんと暗闇に慣れてきた。それに従って、目の前の子供の異様な風体が浮かび上がってきた。
 その子供は土色の体に薄茶色の汚い布を纏っている。いや、左肩がむき出しになっている。
 その布がブカブカなのか、麻縄のようなものでお腹の辺りを縛っていた。
 ズボンは…?汚い!まるで泥んこ遊びをしてきた様。膝まである半ズボンはもうボロボロ!

 真弓は自分の目がボヤけているのかと思った。だって着ている物がボロボロだし、肌もデコボコしている。
 暗くてよく見えないが、顔も体もツギハギだらけ。頭はデコボコ。それに目の位置が左右別々の高さについている。
 右目は普通だが、左目はかなり下。頬っぺたの辺りだ。それもすごく細いキツネ目!
 それに鼻が極端に低い。というより無いに等しい。小さな穴が二つ、顔の真ん中に開いているだけ。
 耳も……ない。真弓の位置からはよく確認できないが、顔の両側に耳らしき突起物がついていない。口もひん曲がっている……。
 はっきり言って醜い!
 そんな異様な子供がどこからか家に入ってきて、いま自分のことをジッと見ている。
 真弓は息を呑んだ。叫んで問い詰めようとした。しかし、口を開けることが出来ない。口も「金縛り」にあってしまったのか。
 「ウッウウ……」と喉の奥を鳴らすことしか出来ないでいた。

 (この子は誰?こんな子、近所で見たことないわ。男の子みたいだけど……。何でわたしの部屋にいるの?一体何処から入ってきたの?)真弓はありったけの疑問を心の中で繰り返すしかなかった。
 すると目の前にいる男の子は、まるで真弓の疑問に答えるかのように喋り始めた。

 「俺はラウラ。この下から来た。真弓たち、助けに来た」
 (えっ?わたし、喋ってないのに!きみ、わたしの思っていることがわかるの?)
 ラウラと名乗った男の子は、ひん曲がった唇を余計ひん曲げてニヤッと笑い、そしてコックリ頷いた。
 真弓は、夢でも見ているのかとふと考えた。すると、「俺はホントにいるぞ。夢でないぞ」と言うではないか。
 何だかキツネにつままれた気持ちになったけど、えーい、こうなったら何でも言ってやれ!どうせ体は動かないんだし。と半ばやけくそになった。

 (ここは2階だし、きみが下から来たって言うのは当然だけど……。勝手に人の家に上がってはいけないのよ!)
 真弓がそう注意はしたが、何を言われているのかわからない、とでも言いたげに天井を見上げて顔の真ん中の穴(きっと鼻の穴だ!)に細い指を差し込んでほじっている。
 ちょっとリアルな夢だわ!と思いつつも少しカチンときたが、もう一度質問を試みることにした。

 (助けに来た……ってどういうこと?それに、きみ、『ラウラ』って言ったけど、外人の子?近所に住んでるの?)
 すると、ラウラと名乗った男の子は、ほじくっていた指を引き抜いて畳を指した。

 この子、頭が変なのかも……。やっぱりちょっとリアルな夢だわぁ……そう思いつつ、何とか口が開かないものかと真弓は唇をモゴモゴとしきりに動かしてみた。
 「何だ、真弓?喋りたいのか?だったら早くそう言えばいいのに」
 (言えばいいって言ったって、口が開けられなくちゃ言えるわけないでしょ!)
 そう思う真弓を無視するかのように、ラウラはひん曲がった口をペロペロ舐めだした。ドス赤く細長い舌は、まるでミミズを10匹くらい固めたみたいにヌメヌメしている。見るからに気味が悪い。

 突然、閉じていた真弓の口がシャッターのように上下に開いた。
 「ハァ〜ッ、苦しかった〜。鼻が詰まっていたら窒息するところだったわ!」真弓はラウラをキッと睨んだ。
 「ちょっと!いくら夢とはいえ変なマジック使わないでよ!早くわたしの体を元通りにして!」そうなのだ。真弓の身体は依然『金縛り』にあったままでいる。

 「やだよ。動けるようにしたら、真弓は俺を叩きに来る」
 「ううん、そんなことしないから……。ね、お願いだから、動けるようにして」なぁんて言って、『金縛り』さえ解ければ、こっちのものよ。ふんづかまえてとっちめてやる!真弓は心の中でそう思った。

 「ほ〜れ、やっぱり俺のこと叩こうと思ってるでないか」
 (しまった!この子は、私の思っていることがわかっちゃうんだっけ)真弓は舌打ちした。
 「それよか、さっき聞かれたこと。俺がなんで真弓たちを助けに来たかってこと」ラウラは体育座りをして膝を抱えた。

 「真弓たちは狙われてる。だから俺が助けてやる」
 「狙われてる?一体誰によ。わたし、人に恨まれるような悪いことしてませんからね。そんなデタラメ言って!わたしを怖がらせようとしてるんでしょう」
 真弓はさすがに起こしている首が痛くなってきて、天井を向いた。
 するとラウラがピョ〜ンと蛙のように飛び跳ねて、真弓の布団に乗ってきたではないか。
 「キャッ!」さすがに真弓もびっくりした。目の前に、それもアップでラウラの顔を見てしまったのだ。ここまでそばに来られれば、暗がりでもよく見える。
 その顔は本当に醜かった。

 左右高さが違うところについている目の中の瞳は澱んでいるし、頭は左側の方が極端にへこんでいるし、顔はツギハギだらけだった。漫画のブラックジャックどころではない!と思った。

 そばで見て初めてわかったことがある。耳は小さいが付いていた。右耳はほんの少しだけ肉片がくっついているし、左耳は耳たぶがケロイド状に顔の端にへばり付いていた。

 布団の上でラウラは両手を真弓に向かって突き出す蛙のような格好で座っている。
 ここでも初めて気がついたことがある。指が5本ない。右手の指は3本、左手の指は4本。それも指の長さが互い違いだ。
 例えば、右手の中指は人差し指よりも短いし、左手の薬指は途中で千切れているし。

 真弓はほんの少し恐怖を感じた。この子……人間じゃない……かも、と。
 夢なら早く覚めて欲しいと思った。


           ……つづく

 (闇鬼は毎週火曜日0時2分に更新予定です)