本ブログでも再三お伝えしたとおり、今日(2023年5月22日)砂川事件国賠訴訟の第12回口頭弁論が、東京地裁第103号法廷で開かれました。

証人・孫崎享さんと、原告・土屋源太郎さん、坂田和子さんの尋問が行われる予定で、これまで以上に多くの傍聴希望者が予想され、傍聴券交付手続が行われる見込みでした。

 

開廷時間の午後1時30分の1時間以上前から、整理券を求める人の姿が地裁前に現れ始めました。いつもの第103号法廷はまだ閉じられていましたが、その扉には「砂川事件裁判国家賠償等請求事件」の傍聴整理券が、地裁正面玄関わきで交付される、と書かれていたのです。

地図で示されたその場所に行くと、正式な掲示板に「民事法廷の傍聴について」と題する告知が貼りだされ、同事件の整理券は午後0時50分から配られることが、より明確に記されています。正午過ぎからでき始めた列は徐々に長くなり、予定より早めに整理券の交付が始まりました。

 

整理券を受取ったら外の待機場所に集まり、1時10分過ぎから、並んだ順に玄関の手荷物検査を通って、第103号法廷に入りました。開廷までに傍聴席はほぼ埋まり、その後遅れて入ってきた人々も着席して、100人近い傍聴人が見守るなか、予定通りの尋問が行われました。

 

最初に証言席に座ったのは、孫崎享証人でした。原告側代理人の尋問に答える形で孫崎さんが明らかにしたのは、本件の重要資料となっているアメリカ国立公文書館の解禁文書が、まぎれもない公文書であるという真正性、そしてそこに書かれた内容の信憑性と重大さ、ということでした。

 

原告側弁護士の尋問が終ると裁判官の一人が、問題の文書の日本語訳と英語原文双方の具体的な文言について、いくつか細かい質問をしました。

カナダの日本大使館の公使やウズベキスタン大使を務めた後、日本の外務省の情報局長となった孫崎さんは、外交の現場を熟知した人ならではの説得力ある言葉で、二国間外交における大使館の役割や、外交文書が書き手と受け手にとって持つ意味を、説きました。

 

たとえば、原語である英語と日本語訳文との間のちょっとした表現の違いなどもあって、マッカーサー大使の書いた電文中に、田中長官の発言に関して、彼〔田中〕は「~と語った(told)」と、事実として端的に記されている箇所だけでなく、「~と確信した(believed) 」とか、~のような「様子を見せなかった(gave no indication) 」といった、表現が使われている場合もあります。

それに関する孫崎さんの発言をを聞くと、事実の記述としては曖昧に思われるそのような表現は、むしろ、明確な文言を発して後に言質をとられることを避けつつ、しかし自分の伝えたいことは相手に伝える、という独特の話術や外交上の技能の一端として理解されるべきなのだ、ということがよくわかります。

 

本来、アメリカ大使が最高裁長官に会うとすれば、公邸や公式の場で、通訳をつけたり記録を残したりすべきところ、私的に会いながら日米間の重要事項に関して意見を交わし、その内容を正式な電文として本国に送って、それが公文書として残されていた。しかも、60年安保を控えた時期に、米軍基地や日本国憲法に関わる裁判を担当する裁判官が、一方の当事者であるアメリカの高官に対して、裁判の見通しや結審予定、判決のありよう(裁判官全員一致とするか補足意見にするか)に至るまでの情報を伝えていた――それが、外交のプロの読みとり方であり、最高裁における裁判の公平さを疑われる所以でもあったわけです。

 

次に原告側弁護士の尋問を受けたのは、原告の二人です。

土屋源太郎さんは午後2時35分から、そして坂田茂さんの娘・和子さんは3時15分からでした。

二人の話を聞いてあらためて考えさせられたのは、米軍基地のフェンスを越えてわずか1、2メートルの敷地内に足を踏み入れたという軽微な違反によって、しかもその違反が明白であった当日の現行犯逮捕ではなく、進入した側も警官側も同時に解散・撤退してから2ヶ月以上も経った後に逮捕され起訴された当事者には、その後の人生がいかに過酷であったかということでした。有罪が確定して罰金2000円を払った後、学生だった土屋さんは就職に苦労し、また家族7人の経済的支柱であった坂田茂さんは勤めていた大手企業を解雇されました。

 

そんな二人にとって、米軍基地の存在を違憲とし、被告全員を無罪とした伊達判決は、極めて有意義なものでした。それを異例の速さで覆した最高裁判決が、実はアメリカの介入や政治的圧力によるものだとわかった時の衝撃と憤慨は、土屋さんの生の声からも坂田和子さんの記憶の語りからも、充分伝わってきました。

最高裁長官とアメリカの駐日大使との密談を裏付ける文書がアメリカで発見されたことから、土屋さんたちは日本側にもあるはずの文書の情報開示を求め、「伊達判決を生かす会」を結成して、裁判闘争にとりくんできました。

 

憲法37条で認められた公平な裁判を受ける権利を阻害された当事者は、何よりも人権と名誉の回復を求めています。これまでのところ、当事者たちの求めは棄却され続け、この国家賠償を求める訴訟でも、国側の弁護士は、アメリカの重要文書に対して「不知」または懐疑すら表明してきました。

今回の三人に対する尋問においても、裁判長はいちいち被告(国)側の弁護士に「尋問はありますか」と尋ねましたが、誰に対しても一言の尋問もありませんでした。

 

「終決」近い今回の法廷で、土屋源太郎さんの最後の訴えには、集団的自衛権にしろ敵地攻撃にしろ、明らかに憲法に抵触する重大事項がことごとく閣議決定によって決められ、政治の力で戦争のできる国に変えられようとしている今、司法の独立と公平さを求める切実さがあふれ、傍聴席からは思わず拍手が起こりました。

 

原告側は、7月末までに最終準備書面を作成することとし、次回口頭弁論は9月11日㈪の午後2時から、と決まりました。

 

2008年と2013年にそれぞれ報道されたアメリカ公文書館の新資料に関する記事

(2023年4月に坂田和子さんが砂川平和ひろばで行った講演のスライドより)

 

「砂川事件」米軍基地違憲判決は なぜくつがえされたか?! 坂田和子さん講演 | 砂川平和ひろば Sunagawa Heiwa Hiroba (ameblo.jp)