『認知症(かもしれない人)の生き方』

『認知症(かもしれない人)の生き方』

2020年秋に健忘型MCIと診断されました。
2022年夏に別のクリニックでMCIではないと言われます。その後、アルツハイマー型に戻ったり、前頭側頭型を経て
2026年秋にはレビー小体型認知症に。謎多き若年性認知症の世界を探検中。

先週の金曜日、10月30日が仕事納めでした。

最近、記憶の飛び方が一段とひどくなりました。

仕事では、引継ぎをしたこと自体が丸ごと消えてしまったり、1週間、自分が生きていた記憶がなかったり。カレンダーを見ても今がいつなのか分からないまま、会社に通っていました。

そんな状態だからと言って、引継ぎをしなくていいという流れにはならず、3回ほど引継ぎの時間が設けられました。

日々の仕事も覚えられず、毎日ノートを見ながら担当業務を進めている私ですが、退職に当たってはそのノートが引継ぎ書になりました。

上司から「マニュアルの参考にしたい」と言われ、ノート(OneNote)全体を共有することになりました。
そこで、自分のノートを見渡し、内容を整えたり、引継ぎの直前には、説明するために何度かノートを読み返したりしました。

それでも、内容が頭に入らないのです……。

何度再生したか分からないくらい、内容を確認して引継ぎました。
それなのに、2日後に上司に尋ねられた時、引継ぎが終わったかどうかさえ分からない自分がいました。
 

 



今年の秋は、認知症が一段と進んだように感じます。

最後に勤怠を締めるときも、記憶がすっかり飛んでいました。
私の記憶は、まるで泥の中に沈んでしまったかのようです。

金曜日は、夕方パソコンや携帯、IDカードなどを返却し、上司に出口まで見送ってもらって退社しました。

肩の荷が下りたような気がしました。

帰宅して夕食を食べ、お風呂に入った後も、ホッとした気持ちが続いていました。
久しぶりに窓の外に月を見つけました。
これからは、月を眺める余裕のある生活が始まるんだ。
そう思って、安堵したり、少し嬉しくもなりました。

ところが、部屋の方へ振り返ったとき、いつもチェストの上に置いてあるはずの社用携帯が見当たらないことに気づき、ハッとなりました。

数時間前に会社へ返却したことは思い出さず、いつもある場所に携帯がないことにしか意識は向いていません。

「いやいや、退職したから返したやん?」とは思わなかったのです。

「紛失したのだろうか」
「外で落としていたら一大事だ」と考えていました。

その後、「えっと、退職する日はいつだっけ」と考えました。
はっきりした答えは分かりません。
そもそも、普段から『今がいつなのか』が分かりません。

ただ、「多分、もう退職日を過ぎているから、携帯がないのだろう」と考えて、就寝することにしました。

眠りに入る前、帰り際のことを思い出して来ました。
上司が「〇〇さん、今日が最終日です」と、皆に声をかけてくれた場面です。

その日は送別ランチをしてもらい、餞別もいただき、最後には出口まで見送ってもらって帰ったのです。

退職したと考えるべきだけど、退職した実感が湧かない…。
何が事実なのかが分からなくなっていました。

「週明けに出社してしまいそうで怖い……」そう思いながら眠りました。

翌朝、土曜日になっても、頭の混乱が若干残っていました。

また携帯を探し、自分は退職したんだろうかと考える。
デジャブのように繰り返されました。

最終日まで、普段とは違うことがありすぎて、脳が疲れてしまったのでしょうか。

これまで、認知症の人が何年も前に勤めていた職場へ行こうとする姿を、映画や本、ドキュメンタリーなどでたくさん見てきました。

それが今、自分の身にも起こりそうになっていることに、「ここまで来たか」という思いです。

辞めた実感がないというか、頭で理解できていないというか。

目の前で起きたことが現実なのか、それとも自分の勘違いなのか、頭が判断できないのです。

目の前にある餞別の品も、目に入りません。
朝礼で挨拶したことも、夢だったのか現実だったのか区別がつきません。

明日、間違えて出社しないようにと、自分に言い聞かせています。

まさか、本当に会社へ向かう前には気づくだろうと信じていますが、自分がいつ、どうなってしまうのか分からないんだと感じる週末でした。

noteで、アメリカにいた頃のことに少し触れました。

 

 

 

ブログには、その頃にお付き合いがあった、ある方の話を書きます。

 

その方と私は社宅で同じ階に住んでいました。

部屋が近かったので色んな当番を一緒に回すことが多く、自然と気心が知れて仲良くなりました。

 

綺麗なお母さんでした。

確か上のお子さん2人は大きくて、一番下の中学生の娘さんだけ当時よくお見掛けしたかな。

 

お互いに大の小鳥好きということが分かると、一気に距離が縮まりました。

 

私は当時飼っていたインコ、その方はベランダに遊びに来る野鳥のことを話しながら、良く自宅でお茶をしました。

海外経験も豊富な方で、まだ見ぬ世界の話や生活の知恵などをたくさん伺いました。

 

その社宅から引っ越したのは私が先で、その後、私は渡米。

その方もご主人が関西に転勤になって、その後、関西で家を購入され定住されました。

 

 

「遊びにいらっしゃい」と言われていたのに、私は帰国後にケガをしてしまい、長距離移動のハードルが上がって決心がつきませんでした。

 

手紙のやり取りと、ごくたまに掛ける電話ぐらいで、月日は駆け足で過ぎて行きました。

 

ある時、一番下の娘さんから私の元に珍しく直接連絡が来ました。

その電話で、「お母さんが若年性認知症と診断されている」と打ち明けられました。

 

あの、美しくて、明るく快活で、聡明な方が認知症ですって?

大きなショックを受けました。

 

その後も私は病気のことには全く触れず、ご本人と連絡を取っていたと思います。

病気のことに触れなかったのは、私の心がその話を信じることを拒絶していたから。

 

話していて認知症とは一ミリも感じなかった。

 

やがてその方の認知症の症状が強く出るようになり、施設に入ることが決まりました。

その少し前からご家族に事情を伺い、連絡を取るのは娘さんに変わっていました。

春にはお母さんが大好きな花の写真を沢山撮って送り、面会に行く時に届けてもらいました。

 

ケガをおしても会いに行こうと決めた時には、娘さんから「もう家族の顔も分からないようだから」と言われました。

それから、食事や立つことが難しくなったと聞き、数年の間にお亡くなりになりました。

 

私は、あの聡明な方は最後までご自分のことを分かり、人生を全うされたと信じています。

 

更に何年かして、社会人になった娘さんと都内で会いました。

結婚され、お子さんを二人産まれ、四国に引っ越され、というところまで年賀状のやり取りで繋がっていたのですが、年賀状仕舞いをしてからはご無沙汰になっています。

 

娘さんには私の認知症の事を伝えました。

彼女もかつての私のように認知症のことは全く聞きません。

 

それから10年程経って見た認知症がテーマの映画では、認知症になった人が少しずつ自分らしさを失っていく姿が描かれ、やがて亡くなって行きました。

そうした物語の影響で、当時の私には認知症は深刻で怖い病気に見えていました。

 

けれど、実際にその入り口に自分が立つと、印象は大きく変わりました。

そこには映画では見えなかった日常があり、血の通った本人の想いがあります。

 

人生を楽しむ時間は、どんな時にも完全には無くなりません。

七転び八起きの毎日ですが、私はそこそこ楽しく平和な時間を持てています。

 

今日はクリニックで「レビー小体型」の認知症と言われました。

 

過去のMRI画像(2022年と2024年の比較)を並べて、後頭葉の萎縮が進んでいるからという説明でした。

 

今までも脳の形を見て「アルツハイマー型」と言われたり、側頭葉に目立った萎縮があるから「前頭側頭葉変性症」と言われたり、他にも色々言われてきたと思う。

 

その後、アミロイドペット検査をして再びアルツハイマー型に戻って驚いたような気がします。

 

忘れることへの対策をしているというと、その行動が「強迫性障害」と言われた時期もありました。

説明すると強く否定される。圧が強い。担当医と言葉で分かり合えないのは、ジェネレーションギャップかな。

 

7年目で変わるのだから、今後も変わる可能性があるのかな。

私としては、少し前から病名は何でもいいという境地にある。

 

だって、このオリーブの木を見て。

 

ベランダの工事で数か月部屋の中に避難して日照不足なんだけど

そうしたら新しく生えて来る葉の幅が2倍くらいになってるの。

 

 

 

暗い場所でもサバイブしようと自分の身体を変化させている。

 

認知症がなんだ。

人の世の課題はそれだけじゃないんだ!

 

今日は待ち時間を含めて5時間を無駄にした気がする。
というのは診断名のことだけが理由ではない。

 

これから夕飯の買い出しに行って、気分を変えようと思います!