週末のとあるイベントに出掛けたところ、嬉しいことがありました。
会場で会いたかった人に沢山会えたのです。
数か月ぶりに会う人も、皆んなお互いの顔を覚えていて笑顔で挨拶を交わしました。
少し前に認知症の進行という不安要素について見聞きしたばかりでしたが
それを打ち消すような変わらない笑顔を交換できました。
温かい気持ちが後からどんどん沸き上がって来る時間でした。
私たちの記憶は確実に霧に包まれて行っています。
今回も家族の方から「人を覚えられなくなって、分からないかもしれない」と伝えられることがありました。
でも実際にご本人と目を合わせると、本当に初めて会った時とは違う表情で落ち着いて私を見ていて(初対面の時は初め目を見返してくれなかったので)
その表情からその時点では私の事を分かっていると確信しました。
暫く見合っているうちに以前交わした会話を少しずつ思い出して来て、私は当時と同じように話をした気持ちになりました。
忘れたって何度でも出会い直せばいい、いつでも友達になれるよ、と心の中で言いました。
言葉では何も伝えませんでしたが、気持ちは伝わるのではないかなと。
言語そのものより私たちが手に取りやすいのは、こうした非言語のコミュニケーションです。
『分からないかも知れない』と言われたので、挨拶は半分冗談で「初めまして」に変えましたが
「お互い顔見知りだよね?」ということは確認が取れていた気がします。
そして又別の当事者の方からは「誰だっけ?」と聞かれる場面がありました。
急に聞かれてまず自分の名前を伝えましたが、続きの言葉が出て来ません。
とっさの質問が記憶と繋がるまで、長い時間がかかります。
「〇〇のイベントでお会いしました」と辛うじて頭に浮かんだことを伝えました。
最近の私は頭に浮かんだ事を取り合えず伝えるのが癖になっていますが、これには情報精査が必要です。
例えば自分自身の体験ではなく見聞きしただけの情報が混ざっていないかとか、そんなことはないと思いたいのですが、どこまでが現実なのか自信が持てません。
相手の方が「マスクをしていたから分からなかったよ」と言って、会話は再び流れだしましたが、マスクは大体いつもしているんだけどな。
会がお開きになった後、私は別のお友達と食事に行くことになりました。
そして、ふとあることを思い出しました。
さっき「誰だっけ?」と聞かれた人とも、3~4か月前に2人で食事をしているんです。
そのことをさっきまで完全に忘れていました。
確かブログにも書いた、新大久保と大久保と大塚の3つの駅を勘違いして待ち合わせが大変だった、あの一件です。
あんなに印象深い出来事をどうして思い出せなかったのでしょうか…。
私の場合、人の顔を覚える力は残っていると思います。
顔を見分ける能力は生後数か月から人に備わっているので、本能に近く崩れにくいのでしょう。
一方で目をつむった状態だと家族の顔でも頭の中に像を再現することはできません。
不思議です。
言語能力については、言葉を発すまで時間がかかるようになっています。
言葉の使い間違いも前より増えて、使える語彙数も絞られて来ました。
じっくり時間をかけて書く時はまだ良いのですが、話す時は常に負荷を感じるし、言い間違いなどの失敗も多いです。
頭の中で情報を呼び出している状態がしばらく続くと、思い出しただけで言ったつもりになることも多いです。
頭の中には答えがあっても、発言するには何故か凄く高いハードルがあって発言できないことがあります。
世間一般では「言葉にしないと伝わらない」と言いますが、当事者間では不思議と細かい所まで言葉にしなくても案外正確に伝わることがあります。
それは何故かと考えると、芯の所に信頼関係があるからなのかと思います。
