生まれ育ったのは

神戸市の山の裏、再奥の地。

今、ここに実家はないけれど
祖父母の お墓がある。


祖母が 他界したのは
2010年11月6日(土)

(そう言えば その月から
    走り始めたんだっけ…もう14年か)


隣にあるのは
戦死した 曾祖父の兄の お墓。

『陸軍歩兵一等卒
    満州三塊石山、死』

と刻まれているように見える。

手を合わせながら思った。

(こんな立派な お墓を立てられるより
    周囲は生きていて欲しかったんじゃないかな…)




生まれ育った地を
目に焼き付けつつ 向かった場所。

兵庫県加西市
鶉野飛行場跡。

大東亜戦争の跡が残る。

爆弾庫跡



防空壕跡



これも
コンクリート造りではない
防空壕跡なんだろう


数ヶ所あった。




鶉野飛行場跡



この横を走りながら資料館へ向かう。




『1945年4月6日以降』

『ここから63人が沖縄へ 特攻隊として向かった
『特攻機へ乗務するのは 基本3人』

『一人は39歳、六十二人は 17歳~27歳』

『白鷺隊(はくろたい)という』

『姫路城…白鷺城(しらさぎじょう)が由来』


言葉を発することなど 出来るはずがない。

涙が溢れる、ただ それだけだ。


ひとつ言えるのは
もし自分が 特攻隊員であったなら

逃げ出している

もしかすると
3人を1機で向かわせた真意は
逃げられないようにする為だったのか。

これは 僕の想像でしかない


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道中、数ヶ月ぶり訪問のパン屋さん。



ピザパンを持ってレジへ。

『240円です』

『あれ?240円でしたっけ?』

『あら、ごめんなさい。170円ね。
頭まわってないわぁ。
お詫びにコーヒー入れるね』

『そんな、有り難うございます😊』

『また、次回も 間違えちゃうかも🤣』

『そん時は また コーヒー下さい🤣』

こんな やり取りが嬉しい




そして、お釣りを そっと目の前の
盲導犬募金箱へ投入する