猿くんが通った小学校の、卒業式が終わった。
中3カピ姉の卒業式から、丸っと1週間予定が詰め込まれていたねこまたお母さん。
ついに風邪を引く
。

花粉症なんだか、風邪なんだかよくわからんのだけども、とりあえずめっちゃしんどいので、
本日の人生すごろくは一日休みだ。
布団の中でごろごろしながら、よし、今週の記録を綴ろう。









姉のカピバラ姉さんとは違い、普通のど真ん中に位置する猿くんは、今は学校が好きだ。
集団教育に向いているタイプだし、ちょうど良い具合に周囲にアンテナを張れる彼には、友人も多い。
先生とも友達とも写真を撮る事なく、「そろそろ解散です〜!」の先生の声が上がると、するすると学生の中をすり抜けてねこまたお母さんと合流したカピバラ姉さんとは、対局に位置すると言えるだろう。
卒業式後の猿くんは、クラス全員の集合写真を撮り、仲のいい男子とわちゃわちゃ写真を撮り、
「もうええか
??もう帰ってええか
??」


と保護者達からお声が掛かるまで、アホーな写真を撮りまくっておられた。
その後に別れる時も、「昼から遊べる人〜!!」の声に飛びついて、男子6人でねこまた家のリビングで遊ぶ約束をして来られたくらいだ。
ねこまたお母さんが風邪をひいた原因は、
疲労困憊な卒業式の後に大急ぎでリビングを片付けたからだと思う。
うん絶対。

、、、、、、、
(彼の思い出作りに手を貸したねこまたえらい)

そんな猿くんだが、彼の小学校の6年間は順風満帆であったわけではない。
過疎化が進む田舎の小学校に、クラス替えはない。
どんなに揉めようとも、6年間を同じメンバーと共に過ごすしかないのだ。
小1の時には、半年間学校へ行けなくなり、
小4の時には学級崩壊にも陥った。
クラスの全員が、楽しく過ごせたとは全くもって思えない。ねこまたandカピ子のように、アウェー感満載で卒業する方々も間違いなくいるだろう。
仲の良いクラスでしたね。
なんて歯が浮くようなセリフは、決して言えないのだ。
(全ての歯が抜け落ちるわ。)
それでも、
1ミリも降水量(⚠︎涙)がなかった、かぴ子の中学校の卒業式とは違い、
それなりに友達と切磋琢磨しながら小学校生活をやり遂げた猿くんの卒業式だ。
涙が出るかもしれない。
そんな思いを心に秘めながら、ねこまたは卒業式に参加した。単身で。
、、、、え?
埴輪くん??
埴輪くんは土壇場で風邪を引いたので不参加です。
、、、、、、
(動画送ったからええやろ)

担任の先生が、「保護者の皆さんを泣かせて見せます!!」と、最後の懇談会で宣言なされた卒業式。
感動的なセリフが、これでもか!!と羅列された卒業生からの言葉。
啜り泣く音や、涙声な子ども達の声を聞いても、
やっぱり涙は出なかった。
もうねこまっさんの涙腺は、娘の臍曲がった反抗期からの不登校で悩みに悩んで涙したシーズンで、
枯れ果てたのだと思う。
、、、、、、。
ちゃうちゃう

あんさん、映画のスラムダンク見て号泣してはったやん

感情が枯れ果てたのは、学校内での出来事においてのみ。
という事なんだと思う。
、、、、、ちなみに卒業式では、
猿くんも泣かなかった。
「俺さ。まじで何も感じへん。」
「泣いてる女子とか、え?何で
??って思っちゃう。」

「俺心冷たいんかな
。」

と仰られていた。
真面目で、学校のシステムにすぐに順応して、学校が求める「優等生」になるのが「絶対に」「正しい事」だと認識してしまいがちなタイプであったねこまたお母さんや猿くんの精神世界から、
この世の全てに等しかった「学校内の世界」
が、「そこらへんにある世界のうちのただのひとつ」に、とうとう落ち着いたのだ。
そんな風に思う。
猿くんから母への誤字脱字満載の手紙の中から、一文をチョイスする。
「一年生の時不登校になって悲しんでる時それを忘れさしてくれてありがとう。ふつうのおかさんなら不登校の時に遊ばせてなんてくれない。でもちがったおかあはヒーロです。」
「(中略)今では元気に登校できます。ありがとう」
早く遊びに行きたかったから、一瞬でスラスラっと書いたらしい。見直しなどせずに、そのままお手紙いれに放り込んで遊びに行ったらしい。
「おかさん」て誰やねん。
「ヒーロ」て、惜しい棒が一本足りない。
猿君の父、埴輪くんへの手紙には
「ぼくがまだ不登校になりかけた時、学校にはぜっ対に行かないと、と思っていたけど埴輪パパが言った「休み(←休んでいいでの関西弁)」は、ぼくの心に一生残る言葉の一つになると思う。そう言ってくれた埴輪パパの背中を見ておとなになります。
と書かれてあった。
猿くんが悩んで苦しんで、苦しんで苦しんで学校に行けそうになくなった時に、
埴輪くんが即断即決で「よし!休もう!!いややすめ!!」と言ってくれて良かった。
学校に行けなくなったら、人生が終わると思い込んでいたがゆえに焦るねこまたに、「そこまでして学校なんかに行く必要なんか、ほんまにないねん!!」と一喝してくれて良かった。
心がポキポキに砕けてしまって、母や自宅からはなれられなくなってしまった猿くんに、
学校以外にも世界はあるし、楽しいことも楽しい経験も山ほどできる!!と証明するために、
おんぶや肩車をして(外の世界の地面に立つのを怖がった)、外の世界で遊びまくって良かった。
「お母がおんぶしている時は、地面に足がついてないからそこは外じゃないねん!セーフセーフ!!」
を合言葉に、山登りや早朝の鹿せんべいや川遊びや、図書館に行った。ほとんど毎日一緒にどこかに行った。
埴輪パパやちょんまげ爺とでさえも、母不在で過ごすことはできなかったあの日々。猿くんの心に気を遣って、24時間一緒にいる毎日はひどく堪えた。
こっそり泣いた。
今、色々あった猿くんの卒業式を終えて、あれら全ての出来事が過去の思い出として、整理整頓され始めた事を感じている。
一生引きずるんちゃうか。
この経験によって、猿君の人生が良くない方に変わるんちゃうか。
そんな恐ろしい思いに囚われてしまっていた、約6年前のねこまたさん。
全ての出来事が、なぜか過去の事として考えられるように、なったよ。
苦しい記憶の上に、楽しい記憶を積み重ねた事で、
苦しい記憶を思い出したらそのまま芋づる式に、楽しい記憶が引っ張り出されてるよ。
この先、これから先の長く短い人生で、
涙を流す日もたくさんあるだろう。
猿くんが辛い思いをした時。
カピ子が辛い思いをする時。
原因を究明せず、悪い所を直させようとせず、解決の道を考えようとせず、ただ話を聞いて、
「そりゃあ辛いわ!!なんてこった!!心ちぎれるわ!!聞いてるおかんも腹立つわ!!」
の後に、
「よし、おかんと焼肉行こ!!」
「ジェットコースター乗りに行こ!!」
「温泉でも行くか。」
「富士山でも見て美味しいものでも食べよう。」
「ハイキングして山の上の喫茶店行こう。」
と、誘ってみる事にしよう。
彼らの人生の辛い思い出の〆に、なんとなく楽しい感じの思い出がいつでもくっついているように。
もう後数年で、その役目は、友達になったり、パートナーになったり、ペットになったりするのだろう。
彼らの「直属お母さんの業務」をしている間は、この気持ちを忘れないよう精進したい。
「カピ子の尻拭いは、一生ねこまたちゃんやで??
」

という埴輪くんの恐怖の予言は、
無視していいぞ。ねこまた。
猿くんの不登校エピソードはこちら↓
ブログテーマ内の「野猿的ね息子、のこと」の初期をご覧ください。