ねこまたは、
今現在のねこまた家のUMA(未確認生物)娘よりも、より小さな、ちびっこUMAのブログを読むのが好きだ。
同じお年頃のUMAブログを読んで、ものす〜〜ーーごく共感して(笑)、いいねを押すのとは、ほんのすこし違って、
ちびっこUMAに寄り添って(かくされた葛藤があるとしても)、ちびっこUMAと過ごしている。
ちびっこUMAと目線の高さを合わせて(隠せない葛藤があるとしても)、ちびっこUMAと過ごしている。
そんなブログを読んでは、
温かい気持ちと、素敵だなぁと思う気持ちと、いいなぁ、うらやましいなぁ。と思う気持ちをシェイクして、
いいね。を、押す。(気持ちの上では100回くらい)
のである。
その昔、ねこまた家の思春期UMA娘が、まだ、ちびっこUMAちゃんであった頃、
ねこまた家の日常は、ねこまたの通勤電車の発車時刻と、起床時刻から逆算しての就寝時刻の厳守と、
それに伴う、食事時間、お風呂時間、自由時間(短い、もしくは、無い。)の厳守で回っていた。
つまり、
UMA娘のペース??何それ?
UMA娘の気持ち??何それ?
の状態であったのだ。
(スーパー健常児息子の方は、それらのルーティンに苦労なくついて来てくれたので、あえて触れない。)
ひとつ時間の歯車が狂えば、日常ルーティンは崩れ落ち、明日の仕事に差し支える。という、強迫観念的な何かと、いつも戦っていた。
UMA娘が、小学1年生になって、
仕事と、家庭と、娘の学業のトリプルパンチにより、ねこまたお母さんの気力と体力がスパークし、半端な時期に退職して以降の年月ですら、
たくさんの時間をかけてUMA娘に寄り添うのではなく、
あろうことか、たくさんの時間をかけて学校の規定に寄り添ってしまうという、
おったまげた
作戦で、突き進んでしまったのである。
その結果、
わたしなんて価値がない。
何ひとつまともに出来ない。
友達だって作れない。
勉強だって、にっちもさっちもついていけない。
という、人生が詰んだ的固定観念が、コンクリートのように娘の心を覆い、
現状(ぼっちで不登校でへそ曲がっている)の娘が誕生したわけである。
ブログ「IQ69の娘」を読むと、よーくわかるとおもうのだが、
目下、UMA娘を観察しつつ、さりげな〜く様々な作戦&実験をとり行うことにより、
娘の心(きっと、わたしの心も)を覆いつくして、固まってしまった、
人生が詰んだ的固定観念コンクリート(、、、長いな)
を、のみとカナヅチで、コンコンコンコンと、
まさに今、削り割っている真っ只中、なのである。
だから、
ちびっこUMAの大切な心が、コンクリートで覆われないように、
ちびっこUMAの心を覆ってしまったコンクリートが、それ以上分厚くならないように、
イライラするけれど!大切に育てようとしている、
めっちゃ疲れるけれど、ちびっこUMAをよく見ようとしている、
そんな温かいブログを読んで、
そうそう、わたしもそんな風にしたら良かったんだわさ。
あ〜〜!!なるほど!!そういう風に、寄り添えば良かったんだ!!
うわー、もう、目から鱗!!鱗落ちまくり!!
と、
気力と体力を振り絞って、一生懸命娘本人ではなく、学校の中の普通に寄り添っていた、当時のねこまたお母さんを、
落ち着いた心で、振り返ることができるようになったのである。
真実の瞳、ついに開眼。
真実の瞳で、娘のために人生を犠牲にして、娘のために頑張っていたと思い込んでいた自分を、サーフィン↓にたとえて想像してみた。え?なんで??
頑張って描いてみた↓
(画用紙にえんぴつで、笑)
いやこれ、
あかんやろ。爆
ちなみに、水中で、必死こいて娘が落ちないように、娘の足を握ってしがみついているムンクの叫び的な人が、ねこまたである。
水中で苦しんでいるムンクなねこまたは、
娘が溺れていることに気がつかない。いや、もはや何も見えない。笑
見えるのは、学校から与えられた、サーフィン用の普通のショートボード。ただそれだけである。
ちょっと、実況してみようと思う。
ムンクねこまた、力の限りUMA娘の足を握っている!!
サーフボードから落ちないように、握っている!
必死です!!離しません!!
これは苦しい!!どう見ても、上に乗っているUMA娘より息苦しい!!
もはや、UMA娘がサーフボードに乗れていると言っていいのかすら怪しいですね〜〜。
がしかし、水中で苦しむムンクねこまたは気がつかない様子です。
あーっと!UMA娘、バランスを崩して倒れた〜〜!!
溺れている!!間違いなく溺れているー!!
ムンクねこまたの、酸素が尽きるのが先か、
UMA娘の酸素が尽きるのが先か!!
このままではDETH!確実にDETH!
という感じ。デスです。
、、、、、。
めっちゃさ、頑張ったのよ。ムンクねこまた。涙
ほんまに、自分の小学校時代のテストの勉強よりも、頑張ったのよ、、、、、。涙
でも、今こそ、本当に思う。
べっつに、サーフボードの上に寝っ転がって浮いていても、いいじゃない。
立てなくてもいいじゃない。
サーフボードをビート板みたいに使っても、人生の波に乗れるじゃない。
と、、、、、。
そして、ねこまたお母さんのポジションは、そこ(水中)じゃないのよ。
息子みたいに、当たらないくらい離れた横を並走するか、
先に波に乗って、お手本を見せるか、
ザーフボードにうつ伏せでしがみついた娘を、ちょいっと押してやって、
落ちて溺れないくらいの、穏やかな波に、乗せてやればいいのよ。
なんなら落ちたって、また、サーフボードに乗って、波のりできるところまで、戻ればいいのよ。
そんでもって、
どうやった??楽しかった??
と、聞けばよかったのだ。
なーんで、サーフボードには何が何でも立たないといけない。
と、思ってしまっていたんだろうなぁ。
しかも、
まわりのみんなと足並みをそろえて、同じ大きさの波に乗らなければならない。
と、思ってしまっていたんだろうなぁ。
、、、こりゃ、どう見ても、苦しいわい。笑
昨日、あれに荒れたUMA娘は、テキストに一切向き合っていない本日は、落ち着いている。笑
ねこまたが、パートに出かけている間に、内職のフルーツの箱を100個折りあげて、
お家に掃除機をかけて、お昼ご飯まで作ってくれていた。
、、、、。わたしよりいい主婦やでコレ
UMA娘研究家のねこまたは、
中学生の肩書きがついていない、娘を見たい。
義務教育の中では、落ちこぼれてしまった娘だから、
義務教育の外で、どう変化するのかを見たい。
今はもう、水中から娘の足を握りしめてはいないから、
やっとこさ、水上から娘を観察する事ができそうである。
ちびっこUMAだった娘は、酸素欠乏症のまま大人と同じサイズのUMA娘になってしまったけれど、
これからは、吸いたいだけ空気を吸えるから、それでいいのだ。
自分が好きなことは、何なのか、自分が得意なことは、なんなのか。
長い長い時間をかけて待って、乗ってみたい波が来たら、乗れるまでチャレンジする。
それでいいのだ。