息子のズル休みをはさんでしまったが、
今回は、障害者枠とはなんぞや。ということを考えてみようと思う。
あーもう、かたっ苦しい、真面目な話になりそうで仕方がない


実は、わたしは、近い未来、(20年後くらいだろうか)
障害者に対する対応は、変わる。と思っている。
今現在の枠(ここからがグレーゾーンで、ここからが手帳もらえる。といった枠)は、
子どもの数が、圧倒的に大人より少ない今だから成り立つ。
と思っている。
圧倒的に数が少ない今の子ども達が、社会を回す大人になった時に、(超高齢者社会ですわよ)
とてもじゃないが、軽度の障害を持つ娘を、税金や国の力で、社会生活の面倒を見ます!!
なんて社会には、なっていない気がするのだ。やだ、へそ曲がり。
勝手な妄想をさらに未来へ進めると、
娘の子ども達の世代は、
障害を持った子ども達は、健常児に混じって過ごすのが、当たり前になっているんじゃないかな。
と、思うのだ。
ねこまたが小学生の頃は、支援学級には、ダウン症の生徒や、中度や重度の知的障害を持つ生徒が普通に通っていたし、
その生徒がクラスで過ごす時は、クラスメイトが協力して行動していた。
なんというか、それは日常の一部であって、どんな風に対応したらわからない。というようなドキドキ感はなかったように思う。
ねこまたが大人になって、いざ、子どもを育てるシーズンが来た時には、
ダウン症や、重度の知的障害や、身体障害の子ども達は、支援学校という所に行くようになっていた。
だから、我が家の娘や息子は、生まれてからこの方、大きなハンディキャップを持つ人と、友達になったり、クラスメイトになったことはない。
いや、これ。まずいでしょ。
と思う。
どんな人間でも、見慣れていないと、接し慣れていないと、当たり前のように接するなんてできない。
重い障害でも、軽い障害でも、とりあえずまとめた上で、専門家が対応するようになった事で、
より専門性の高い療育はできるかもしれないけれど、
普通のゾーンに入っている、普通の子ども達は、下手をこいたらハンディキャップを持つ人の存在すら知らずに大人になってしまう。
足が8本あるのが普通のタコ星人とか、
目が3つあって便利な目玉星人とか、
手が伸びる星人とか、
どんな生き物とでも、環境をともにして生きれば、大人よりも早く慣れるであろう子ども達だ。
専門家の大人が対応するよりも、頭の柔らかい子どもの方が、案外上手に、楽しく対応できるかもしれないし、
上手く対応できなくても、一緒に過ごす事で、それこそ様々な経験をして、考えるはずだ。
今の学校環境はまずい。
娘のように、見た目では普通と変わらない子でさえも、
支援学級行ってる。頭悪い。
あいつ、クルクルパーやで。
などと言う輩が出てしまっている。(べろちょんぎったろか!!
)
子ども達が感じる、日本社会の、普通。の枠が、どんどん小さくなっているように感じる。
普通の子ども達だけをまとめると、きっとやりやすい。
物事はスムーズに進むし、新しく取り組む事も、説明すればすぐに理解をしてくれる。
教えなければならないカリキュラムを持つ先生達の負担も減るだろう。
けれど、200年前ならば、まったくの普通の領域にいた子ども達を、障害の枠に入れて、今の普通を目指すのは、なんだかもったいないとも思うのだ。
息子のクラスは学級崩壊中で、
息子は、ズル休みをしたりして心の整理をしている。
かんべんしてくれ〜!!どっか行ってくれ〜〜!!
と、心底感じる問題児のネグレクト少年だが、
初めからいなければ良かったのか。
と考えると、
そうでもないな。とも思う。(嫌いやけど)
少なくとも息子は、ネグレクト少年の意味不明な行動を目の前でみる事により、世の中には摩訶不思議な人間もいるのだわ。
という事を実感しているし、
ネグレクト少年による、強烈な出来事のおかげで、ややこしい人に対する対応も、少なからず身についている。
これから先の未来で、どんな問題児を見ても、
ネグレクト少年と同じタイプやな。
とか、
ネグレクト少年よりマシやな。
という、判断の基準を手に入れたと思う。
娘は、どちらかというと、周りに迷惑をかける側だし、仲間はずれの経験もしているし、理不尽な扱いも経験しているけれど、
そんな娘でも、理解してくれて、意地悪することなく一緒にいてくれる人が、何人かいる。
同じクラスで、長い時間を過ごすことで、きっと、へっぽこで、あんぽんたんな娘に、慣れたのだと思う。
今現在の、発達凸凹キッズや、知的障害ありそうキッズは、集められてしまっているけど、
それに疑問を持っている人達が、実はたくさんいるんじゃないかな。と、思っている。
障害は集めて指導する方が合理的!!健常児をより優秀に育てて、ハンディキャップを持つ人を支えるべし!!と、考える人達が、社会を仕切っているように感じているねこまたなのだが、
あと20年もすれば、今の教育に疑問を持っている人達が、仕切る時代になるとも思っている
。
あわよくば、全国の義務教育の学校が、全てバリアフリーで、車椅子でも通学できて、目が見えなくても過ごせる校舎内になっていて、盲導犬や聴導犬も一緒に入れて、多動で飛び出してしまう子には、飛び出して行きたい場所があって、
先生だけが必死で探すんじゃなくて、たくさんいる子ども達が、多動くん発見!!ちょっと遊んでから教室へ一緒に行きます
みたいになればいいな。と思っている。
声が出ない子は、コンピューター音声を使って当たり前に喋って、義手や義足を使っている子と、走り幅跳び対決したりするのも当たり前で、
「お前の義足、めっちゃバネ効いてるやん!!」
「むっふっふ。アディダスの最新型だぜ。」
とか言う会話が、当たり前になっていればいいな。
と思う。
義務教育の最中に、事故で足を失っても、
おすすめの義足教えたるわ!!と、さらりと言ってくれて、目標になりえる先輩が、通っている学校に何人もいたらいいな。
と思う。
障害者をめぐる環境は、
時代によっていつでも簡単に変わる。
だから、今の時代の常識に、囚われすぎないようにしよう。
と思っている。(すぐ囚われちゃうので)
万が一、彗星が地球に突っ込んできて、
北斗の拳!!みたいな時代になったら(ねこまたは、漫画大好きの妄想おばさんなのだ)
45分間座っていられる療育。とか、言っとる場合じゃないもんね
45分も座ってたら、身ぐるみはがされるわ。
万が一、日本があまりの借金で、とうとう首が回らなくなって、国が潰れたら、
今の制度は崩壊するもんね。(テストで平均点とる生徒より、世界で人気のフォートナイトが、プロレベルの子の方が、引く手あまたかもしれない
)
出来ることならば、
世界が、北斗の拳みたいに変わっても、
宇宙人に植民地にされても、
あんぽんたんでへっぽこな娘を、おもしろいから好きだといって、
助け合って一緒に生きてくれる仲間ができると嬉しい。(母ちゃん先に死んじゃうから)
だから娘は、たとえ山あり谷ありでも、苦しんでも、
結局最後はひとりぼっちのまま死ぬことになっても、
たくさんの人間の中で、揉まれながら生きていって欲しい。
現代日本では、君は知的障害の子だけれど、
広い世界から見たら、誰も、何の保証もしてくれない。ただの人間だからね。
自分のスペックをめいっぱい使って、
枠にとらわれず、自由に生きていける力をつけて、
大人になっておくれ。
その手助けができるよう、
お母ちゃん、お金稼ぐわ
