むうさんです。


今日は「ひじ」について取り上げます。


ひじをピンと張って踊っている人を見ると、

綺麗に見えます。
では、どれぐらいの高さで、どの程度ピンと

張れば良いのでしょう。


上手い人がこれぐらい上げているからこんな

感じかな!は一番危ないと思います。


武道の達人がこんな感じで相手を投げている

から、こうやるのかな?
は、大体上手くいきません。


見た目には分からない感覚の力が働いている

からです。


この力を発揮するために、

ベースとなるカラダの使い方が

大切になってきます。


カラダをどう動かせば良いのか、
骨格上どの程度の肘の高さが良いのか

の前に、

目的に対して

   どれだけの覚悟が必要か


ということ。
これが、カラダの使い方を探求する醍醐味。

ひじを上げてピンと張ることで、
目の前の相手に嫌な思いをさせていないか。


他の人にぶつかりそうなときに、
ちゃんと守ってあげられるのか。


このようなことを想定した上で、
ひじの高さや張り具合を決めるべきだと
思います。


お母さんが赤ん坊を抱いているとき、
顔を洗うときの手のひらで水をすくうとき、
五郎丸選手のあのポーズ。


どれも、カラダの中心へ
ひじを寄せて成り立つものばかり。


社交ダンスも相手を大切に思うなら、
ひじを下げても良いはず。

抱きしめるときのように。


こんな気持ちが微塵もないのに、
見栄えや、競技で勝つためだけに
ひじを真横へがっちり張っている人を
見ると悲しくなります。


物事には全て二面性がある。

ひじを上げてピンと張った方が、
カッコ良くて美しいと思う人がいる反面、
窮屈で、動くときに相手とズレてしまう
人もいるでしょう。


ひじを下げて緩い方が、
相手を大切に思う気持ちが発動して
心地よいと感じる人がいると思えば、
腑抜けになってしまう人も出てくるでしょう。


どちらか良いのかではなく、
ひじは上げてピンと張っているようで、
下げて緩んでいるような感じを体現できれば、
見た目も感覚もフィットするはず。

大切なことは、
相手のバランスに責任を持つということ。


社交ダンスの踊り方を追求するあまり、


目的に対して

   どれだけの覚悟が必要か


ということをつい忘れてしまいます。


ひじを上げてピンと張ることだけを
良しとするのではなく、
ひじを下げて緩めてもいいんだという
気持ちを持っていれば、


もっと深みのある社交ダンスが踊れる


と思います。そして社交ダンスこそ、
相手への思いやりを養え、
人と人が支え合って生きていく社会をつくる
土台作りができると確信しています。


ご拝読ありがとうございました。