知覧特攻の母 鳥浜トメ 孫 赤羽潤のブログ -7ページ目

知覧特攻の母 鳥浜トメ 孫 赤羽潤のブログ

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・・・知覧 特攻隊・・・

・・母(礼子)が遺した記録・・

稲田光男 伍長 18歳 昭和20年5月10日出撃戦死





知覧基地より都城基地へ移動する際に私の母(礼子)達に書き残した手紙
現物は風化により開くことができなくなり礼子が下記写した物です。礼子の直筆は写真にて。

皆さんさようなら
僅かな時間で急いで書きます。文も字も至って不器用でがまんをして読んで下さいね。
私達も何時迄も知覧に居たいんですが上からの命令で至し方ありません。私達の事は死んでも忘れないで居てね。花の都の靖国神社に先へ行って居ります。席も私達の横にちゃんとあいて居りますよ。皆さんも死んだら靖国神社だね。いいなあ。敵を徹底的に撃滅する迄は死んでも死ねないからね。
皆さん達と此の知覧で愉快に過ごしたことは一生忘れられません。

吾が身はたとへ此の世を去らんとも
乙女心で咲いてくれ
知覧飛行場にたそがれせまる
パット翼ばたく我が愛機
可愛いあの子のマスコット
見れば忘れはせぬよ知覧の町

まづい文ね。頭がいたくて文なんてつくれないよ。
愈々明日は出発です。お元気でね。皆さん達の御健康をお祈りします。
出撃の時は知覧の空を飛んで行きますから送ってね。私達もいざと云ふ時には喜んで死んで行きます。では さようなら
くれぐれも御身大切に
鳥濱さん
松村さん
帖佐さん
寺師さん
馬場さん
高城さん
三宅さん
田中さん

お元気でね

光男より

以上が稲田光男 伍長から私の母達「なでしこ隊」に送られた手紙です。母は毎年終戦の日に私にこの手紙を読みなさいと言い、特に文中の「私達の事は死んでも忘れないで居てね」この部分を指差し、皆忘れて欲しく無いんだよ、と言っておりました。その母の言葉を思い出します。
そしてこの投稿を読んで下さった皆様の心にも稲田光男 伍長の思いが刻まれて頂けたら有り難いです。
手紙の文中にあります「鳥濱」が私の母の旧姓です。

桜、散りゆけど
想いは、散らん

知覧特攻の母 鳥濱トメ 孫
赤羽 潤より