新田豊蔵 伍長 18歳 昭和20年5月25日出撃戦死
知覧基地より都城基地へと移動する為に急ぎ書き残した書状。
現物は風化により開くことができなくなり礼子が下記写した物です。礼子の直筆は写真にて。



鳥濱さん、寺師さん、帖佐さん、松村さん、馬場さん、高城さん、三宅さん、名前は忘れましたが、皆さん本当に短い期間ではございまゐたが、いろいろと楽しく遊んで戴き真に有難う御座居ました。
楽しかつた思ひ出は何日迄も自分の胸に収めて何時迄も何時迄も忘れません。
皆さんも自分達の事忘れないで下さい。
命令の前には何処迄も自分達は征きます。
何もかも会ふは別れの始で此の世の運命で仕方がありません。縁があつたら、又何処かで会へる事と秘かに心に念じお別れします。
皆さんも近く何処かに動員で行かれる事と思ひますが、何処に行かれましてもお身体には充分気を付けられて、何時迄も元気で楽しくお暮し下さい。
自分達も心から皆さんの御健康をお祈り致して居ります。
最後に特に思ひ出になる様に自分が今考えました歌を次に書き残してお別れします。
一、何処までも君がおくりしマスコット
愛機に乗せて吾は征くなり
二、思出は吾は征くとも何時迄も
胸にきざみて忘る事なし
三、身はたとへ知覧の空を離るとも
とどめおかまし思出の花
皆さん、さようなら
以上が新田豊蔵 伍長が、当時女学生だった私の母・旧姓 鳥濱(礼子)達に宛てた最後の手紙です。
文中の「マスコット」は礼子たちが自分達をモチーフに徹夜で作ったマスコット人形です。
(一)、の文はこのマスコット人形は君達だから一緒に特攻しようね。と言う意味です。
(三)、当時の時代背景を考えると「思出の花」は母(礼子)達の事を花に例えたと私は思えてなりません・・・
桜、散りゆけど
想いは、散らん
知覧特攻の母 鳥濱トメ 孫
赤羽 潤より