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知覧特攻の母 鳥浜トメ 孫 赤羽潤のブログ

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・・知覧 特攻隊・・・

第165振武隊
枝幹二大尉
特操2期生
富山県出身
6月6日戦死




昭和20年、敗戦の色が濃くなってきた頃、特攻隊の方々が日々死を目の前にして考えていた事とは、私は次のように聞かされています。
「自分たちの死によって、少しでも本土決戦の準備に余裕が出来る」「愛する祖国が敗れるにしても、死をも いとわない大和魂を示す事によって、敵に日本人の強い精神力を認識させ、敗戦後の日本の立場を少しでも有利なものに出来る」「自分の愛する家族が、敵の攻撃にさらされる日を一日でも遅らせたい」 と言った家族愛、祖国愛だったと聞かされています。しかし出撃を間近にして気持ちに迷いが出ないようにと、皆さん良く軍歌を唄っていたそうです。

枝幹二大尉の父は陸軍大佐で軍人一家と言う環境で育ったそうです。枝家は7人姉妹のほか、ただ一人男の子です。お父様は学徒兵として入隊した息子(枝幹二大尉)に経理部幹部候補生になることを勧めたらしいですが枝幹二大尉は航空兵を志願しました。航空兵を志願すると言う事はもちろん、特攻隊として死んでいくと知っての志願です。お父様が経理部幹部候補生を勧めたのに親にそむいてまで航空兵を志願し、身命を国のために捧げた枝幹二大尉。
あの時代、学徒兵が正義に対してすごく鋭感だったと聞いてます。
枝幹二大尉が姉妹宛てに送った遺書。
「姉妹の皆さん いよいよ本当にお別れ。 今でも例のごとくギャァギャァ皆とさわいでいます。哲学的な死生観も今の小生には書物の内容でしかありません。国のため死ぬ喜びを痛切に感じています。在世中お世話になった方々を一人一人思い出します。時間がありません。ただ心から有難うございました。笑ってこれから床に入ります。オヤスミ」

(作戦命令を待っている時の気持ちを次のように書き残してあります)
あんまり緑が美しい
今日これから死にいくことすら
忘れてしまいそうだ
真っ青な空
ぽかんと浮ぶ白い雲
六月の知覧は
もうセミの声がして
夏を思わせる
(作戦命令を待っている間に)
小鳥の声がたのしそう
「俺もこんどは
小鳥になるよ」
日のあたる草のうえに
ねころんで
杉本がこんなことを云っている
笑わせるな
本日十三時三五分
いよいよ知ランを離陸する
なつかしの
祖国よ
さらば
使いなれた
万年筆を かたみ に
送ります

私の祖母、鳥濱トメはよくこう言っておりました「みんな、優しいの。みんな、私の子供にしたかったの・・・。」

桜、散りゆけど
想いは、散らん

知覧特攻の母 鳥濱トメ 孫
赤羽 潤より