こんにちは、たまこです。


こちらの記事↑の、続きです。


当時の心境としましては、父親に感謝の気持ちを伝えたのはたまたまの思い付きというか「母親のついで」という感覚でした(笑)。


でも5年後の今になって改めて考えてみると、それぞれに感謝を伝えた時に感じた違いこそが、その後の「人生の変わらなさ」の原因だったんだろうという事がわかったんです。


どういう事かと言いますと、この頃のたまこはまだ母親に対しては「期待」というか、「話せばわかる」という気持ちを持っていたんですよ。


ですから感謝の電話の後も、なるべく実家には帰省して一緒に過ごしたり、電話でやり取りをして愚痴を聞いてあげる事で良い娘になれるように努力していました。


でも以前の記事でも何度か書きましたが、母親との電話の後は気持ちの落ち込みがひどくてしんどいし、こちらが親孝行のつもりでいろいろした事に対しても何かの形でダメ出しされる事がほとんどで。


特に父親に対する悪口や愚痴に関しては、たまこ自身も夫との関係に長年悩みつつ、自分の考え方や行動を変えれば少しずつですが良くなった所もあったので、なるべく母親ができそうな範囲で具体的に「こうすれば良いみたいだよ」と言ってみた事もあったのですが、聞く耳持たず。


それどころか「お母さんは年寄りで、今から変わるなんて無理なんだから、もうほっといて」と言われたのが、今から2年前くらいだったかなー(笑)。

ほっとくも何も、自分から電話してきて長々と愚痴を言うから真面目に答えてただけなんですけどね、、。


でもおそらく、母親は2年前にそんな事を言った事すら覚えてないでしょうし、なんなら5年前に「産んでくれてありがとう」と言われた事も忘れてると思います。

ま、それは言った本人も忘れてたんですから責める気は全くないんですけど(笑)、つまりは母親にとっては娘が心を尽くして言ったりやったりする事も、自分の意に沿わないものであれば何の意味もないという事です。


たまこは長年、自分の母親がそういう人だとは思いたくない一心で、話せばいつか分かり合える日が来ると思っていました。

だからこそ、自分が本当に感謝の気持ちを持つ事ができて、その証しとして「産んでくれてありがとう」と伝える事ができたら、母親も応えてくれると信じたかった。


でも実は、当時の電話のやり取りで答えは出てるんですよね。

声を震わせながら44歳の娘が「産んでくれてありがとう」と言っているのに対して「そう言ってくれるの、、」みたいな返事は、当時のたまこは母親も胸がいっぱいで言葉に詰まったのだろうと勝手に美化してましたけど、よく考えたらこれって何の返事にもなってなくないですか?(笑)


しかもその後に母親が話始めたのは、自分の妹(たまこからすれば叔母)が認知症で施設に入所したから面会に行ってきた時の話ですからねー。

それで「自分が認知症になったりする前に、言ってくれて嬉しい」とかって話に繋がるならまだわかりますけど、話はどんどん逸れて結局いつもの愚痴みたいな感じで終わってるし(笑)。


それでもたまこ自身は、長年言えなかった感謝の言葉が言えた事でテンション上がってて「もう、全部許す!」ってなってたみたいですし、そう考えたら結局たまこも母親も自分の事しか考えてないのは同じって感じで、、つまりは「似たもの親子」って事かなーと。


ですから、ここで「感謝の言葉を言う実験」が終わっていたとすれば、母親とたまこは似たもの親子が証明されただけ。という事ですから、その後の人生が何も変わらないのは本当に当たり前の事だった訳です。


もしもあの時、たまこが滅多に味わう事のない感情の高ぶりに惑わされずに「あー、お母さんってやっぱり娘が何を言ってもやっても、受け取れない人なんだなー」という事に気付けていれば、5年後の現在はきっと違う未来になっていたんじゃないかなー、なんて思ったり。


でもここで注目したいのが、父親バージョンの事です。


たまこが母親に感謝を伝えたすぐ後に、父親にも同じような言葉を伝えたら、「お前もそんな事を言えるようになったんだなー。まあ、親が子供を育てるのは当たり前だからな」という返事だったと前回の記事でもお話しましたが、当時のたまこは「プッ!この人、自分がまともに子育てできてると思ってるんだー!(何もしてないくせに)」と笑いそうになってました。


ですがこの言葉の内容だけ見れば、母親よりもよっぽど会話が成立してるというか、たまこの気持ちに対する父親なりの答えになってますよね。

まあ、たまこからすれば父親の認識と事実はかなりズレがあると思うからこそ、苦笑という形になった訳ですが。


そして「相変わらず、ズレてるなぁ。でもまあ、父親がズレてるのはもとからだってわかってるし、今さら変な事言われても腹も立たないんだよなー」と思って、終わり。

当時はこの自分の一連の思考の流れについて、それほど意味を感じずに終わらせてしまいましたが。


でも20代の頃のたまこは、むしろ父親に対しての憎しみの方が強くて、この人を許す事なんて一生ありえないくらいに思ってたんですよ(笑)。


それなのに現実では少なくとも5年前にはすでに許すというか「仕方ない」みたいな境地になれていた訳です。

(娘からの感謝の言葉を当然のように受け取り、自分がまるで立派な子育てをしたかのような言い方をされても、全く腹も立たない自分を確認できましたからね)


ですから、本来ならたまこは母親に関しても父親と同じ反応にならないとおかしいと気付くべきだったんです。

でも、今まで感じた事のない気持ちの高ぶりに気を取られてしまい、そこは完全にうやむやなまま終わらせてしまいました。


改めて、どうしてそうしてしまったのかを考えてみたんですが。


感謝の電話をしようと決めた5年前の時点で、すでに何十年と親との関係に悩み苦しんできた過去があった為に、これだけ努力して頑張ってきたんだから、もういい加減終わりにしたい!という強い思いがあって、最後の切り札的に考えたのが「産んでくれてありがとうと言う」という行動だったからなんだと思います。


たまこ的にはもう、パズーとシータが「バルス」を言うくらいの覚悟だった訳です(笑)。

だから、それぞれにバルスを言った後の考察なんて、思い付きもしなかったというか。


そして改めて思うのは、自分の人生の幸せが一番大切だと思いたいのならば、たまこが最終的に心から言えなければならない言葉は「産んでくれてありがとう」ではなく。

「生まれてきて良かった。生きてて良かった」という言葉なんだと、当時はまだ気付く事ができてなかったんだなーと、いう事です。


あれから5年たった今も、結局は何も滅びず、親も変わらず(笑)。

たまこ夫婦もまだ道半ばではありますが、少しは前進できていると思いたい今日この頃であります。


おまけ。

季節家電の入れ替えの準備の為にクローゼットを整理していたら、何年か前に友人から貰った非常食の消費期限が今年の5月なのを見つけたので、、

お昼に食べました(笑)。


食べ切れる分だけ盛り付けてますが、内容量はこのお茶碗2杯分くらいありました。

アルファ米の非常食のパウチも食べた事がありますが、たまこは正直美味しいとは思えなくて。


こちらは水も入れずにそのまま食べられるレトルトタイプですが、これは普通に食べれます(笑)。

薄味が良いたまこにはちょっとしょっぱいかなと思いましたが、単品でも美味しく食べられるようにって事かな。


7年も保存できるなんてすごいなーと思いつついただきました。

まだいくつかあるから期限すぎる前に食べ切って、また備蓄分を検討したいと思います。

(今はギフトにも人気らしいですねー)


ではまた!