こんにちは、たまこです。


前回の記事で、先週末からなるべく散歩に行く事にしたとお話しましたが、今日は朝から結構な雨降りで。


こんな時、以前のたまこだったら確実に今日はやめようと思っていたでしょうけど(笑)、お昼近くなってきたら雨も上がったので行ってみようかなと。


たまこが今、散歩コースにしているのは自宅から南の方向にある桜並木を目指して歩く、田んぼの中の一本道です。


ゴール間近。

突き当たりの大きな桜の木まで行ったら、回れ右で折り返して帰ります。


この道を真っ直ぐ行って、地平線あたりにこちゃこちゃ見える家のどれかが、たまこ家です(笑)。


すごく遠く見えますけど、片道20分くらいでしょうか。

術後50日くらいのトボトボ歩きのペースでも、1時間かからず帰って来れるコースです。


この散歩コースの良いところは、誰とも会わない、すれ違わないというところ。

たまーに車は通りますけど、人は全くいません(笑)。


自宅から北方向へ行くと、夫実家を含めた集落があって車の通りも多くなるんですが、南はこの通り。

まあ、田んぼしか無いんですからそりゃ誰もいないのは当たり前なんですが、これがたまこには非常に都合が良い訳です。


実はこの家を建ててから、何度か散歩を習慣にしたいと思った事はあったのですが、結局習慣化はできずに5年も経ってしまいました。

その理由のひとつに、散歩コースの設定ミスがあったと思っています。


ミス、、と言うと大袈裟ですが、最初たまこは家の周りをぐるりと一周するような道を散歩コースにしていたんですね。

ちょうどその道の途中にゴミの収集場があったから、朝のゴミ捨てのついでにぐるっと回るように散歩すれば良いかなと思ったんです。


でも、それは1度しか実現しませんでした。

なぜなら、そのゴミ出しをした数日後に夫母から「こないだ、夫くんの奥さん(たまこの事です)がゴミ捨てのついでに散歩してたって、〇〇さん(近所の奥さん?)が言ってたよー」

と言われて、怖っっ!と思ってしまったからです。


もちろん夫母は単なる事実を言ったまでの事で、何の悪意もないのです。

そして〇〇さんとやらも、見た事をそのまま夫母に言っただけなんだと思います。


今ならそう思えるのですが、家を建てて引っ越してきたばかりのたまこは、その夫母の一言でなんだか知らない人からも行動が見張られていて、夫母に全部筒抜けになっているように感じられて、すごく嫌な気持ちになってしまったんです。


そしてそれ以来、散歩をしようとして歩いている時に向こう側から人が歩いてきてすれ違う感じになってしまった時など、何メートルも手前からどうしよう、挨拶するべきかな?

たまこは知らない人だけど、あちらはたまこを知ってるかも?だったら挨拶しなかったらまた夫母に言われたりするのかな?

でも面倒くさいから、今のうちに反対側の歩道に行ったら不自然かしら?

やっぱり挨拶するにしても、どれくらい近づいたタイミングにすれば?

とか、本当にどうでも良い事で頭をフル回転させて、家に着く頃にはグッタリ、、みたいな感じで散歩どころではないくらい、外に出るのもイヤになってしまいました。


つまり、当時のたまこは必要以上にめちゃくちゃ「人の目が気になって」いたんですね。

そんなたまこが、あなたこないだゴミ捨てついでに散歩してたよね、と言われると、脳内でどう変換されるかと言いますと、、

「子供が居ない専業主婦が平日の昼間にフラフラ散歩してるなんて、良いご身分ですね」

と言われてるように感じます(笑)。


もちろん本当は、そんな事誰も言ってない訳で、、そう思ってるのは紛れもなくたまこ自身な訳です。

たまこ自身こそが、平日の昼間にお年寄りや子供以外の成人の大人が、1人で散歩してるのを見かけたら、

「あの人、仕事してないのかな、、」

とか思っているという事ですね。


自分では夫婦でも話し合って、納得して、家を建ててしばらくは専業主婦で良いとなったからこうしてると思ってるつもりなのに、心の奥では「子供がいない無職の自分」という立場に強烈な負い目を感じていたから、人の目が気になってしまい、引きこもりがちになってしまったという事です。


でもですね、一応家を建てる時には、夫の地元に引っ越すという事は、田舎社会で暮らす事だと自分でもわかってて、覚悟はしてきたつもりだったんですよ。

それなのに、散歩がきっかけで人の目がめちゃくちゃ気になってしまう自分を自覚してしまうとは。

そしてそれを克服できずに、5年も引きこもり主婦として過ごしてしまったというのは、ちょっと想定外だったかなーと思っています。


もちろん、その5年の間、何もせずに暮らしていた訳ではなくて。

たまこは最初からこの家を建てたら専業主婦で暮らしてみたいという気持ちはあったから、その通りにできたのは、むしろ良かったはずなんです。

仕事していた時はできなかった家の細かい事とかも、できるようになったからその辺はかなり満足していますし。


でも、先ほども言ったとおり、子なし専業主婦に対する自分自身の考え方が、あまりにもネガティブである事を見て見ぬフリしていた為に、自分で自分をぶっ潰してしまってました。

そんなメンタルじゃ、いくら希望どおりの生活をしていても、心から楽しいとか幸せだと思える訳が無いんですよね。


そして、じゃあ子どもが居ないのは仕方ないとして、たまこがまた仕事をすれば人の目は気にならなくなるのか?というような事をひたすら考えて、本やネットなどからもいろいろ学んだりして自分なりに答えを探した5年間になりました。


そして結論としては、人の目が気になるというのは、行為や能力などでどうにかできるものでは無いという事がわかりました。


なぜなら人の目が気になるのは、他人からどうこう言われるからそうなるのではなく、もともと本人の自尊心や自己肯定感が低いからそうなるのであって、仕事をする(=行為)事や、仕事で評価される(能力を持つ)事で自己肯定感を上げる事はできないんですね。

(むしろ、行為や能力を頑張れば頑張るほど逆効果みたいです)


じゃあ、どうすれば人の目が気にならなくなるかというと、行為や能力ではなくて自分の存在そのものを受け入れられるようになるという事、、だそうです。

つまり、仕事してなくても、子供がいなくても、そんな自分でも良いんだなー。と思えるようになるという感じ。

そう心から思えるようになれば、人の目は自然と気にならなくなるそうで、、まあ確かにそうだろうなーと。


でもまあ、自分では専業主婦でも良いと心から思ってたつもりだったんですけどね。

(でも全然できてなかったって事ですよね 笑)

だから、自分で自分を正しく客観的に理解するのって、なかなか難しいんだなーと今はつくづく思います。


それでも今、再び散歩を習慣にしようと思って行動できてるという事は、少しは自分を受け入れられるようになってきたのかなー。

でもやっぱり、散歩中に誰かとすれ違って挨拶したりするのは面倒くさいです(笑)。

だったら、ゴミ捨てのついでとか考えないで純粋に散歩だけをできるように、人がいない田んぼ方向の道を歩くようにすれば良い。

そして時間帯も、散歩にベストと言われる朝にこだわると通勤や通学の人とすれ違ってしまってまた面倒になるから(笑)、お昼近くの方が誰も居なくて良い訳です。


そうやって変に効率よくとか、こうするべきとかの思い込みを捨てられるようになる事が、ダメな自分を受け入れる事にもつながるような気がします。

最終的には人の目が気にならなくなるのがベストなんでしょうけど、今のたまこの時点では、

「人の目が気になってしまう自分」を受け入れて、そんな自分でも気持ちよく散歩できる工夫を考える、、って感じですかね。


散歩の話から盛大に脱線してしまいましたが、今の自分の内面を記録しておきたくて、記事にしてみました。


この記事を書いた頃あたりから、自分が人の目を気にする事と、自己肯定感が関係あると理解し始めたような気がします。


ではまた!