こんにちは、たまこです。
たまこは今月末、子宮筋腫の手術で入院予定です。
今日は入院時の持ち物に、名前付けをしました。
入院案内のパンフレットに、「持ち物には全て名前を書いてください」と書かれていたので、100均でこんな物を買ってみました。
(1番右は、白いマスキングテープです)
持ち物全てと言われても、靴下や下着とかも??と思って夫にどう思うー?と聞いてみたら、
「そこまでじゃないでしょ」との答え。
とはいえ、夫の場合はもしも自分が入院になって自分で準備となったら、おそらく名前付けなんて一切しないタイプの人ですから、あんまり参考にならないかな。
(だったら聞くなよって話ですけど 笑)
名前をつける理由は、もちろん置き忘れや落とし物をしてしまった時に持ち主がわかるようにですよね。
無くしたら本人が困るのはもちろんですが、病院側としては、名前が無いからと言ってすぐに処分という訳にはいかず、看護師さんが持ち主を探したりと余計な仕事を増やしてしまうのを防ぐという意味もあると思います。
私はそんなに忘れたり落としたりしないわよ、という人でも入院中は絶不調な状態が当たり前ですから、普段はしっかりしてる人でもビックリするほど落としたり忘れたりすると思っておいた方が良いのでは?と思ったり。
たまこは普段から抜けてる事も結構あるので、手術後しばらくは、まるっきりポンコツになるだろうと想定してますから、やっぱりなるべく持ち物に名前を付けておこうかなと(笑)。
たまこは本名じゃないですが、イメージとしてこんな感じという事で。
たまこが持ってるイヤホンはiPhone8時代に付属してたヤツなので(今はSEを使ってます)ライトニングケーブルだから多分テレビには使えない、、ですよね。
うーん、普通のイヤホン買うべきか?
帰ったら絶対使わない物なので、なるべく買いたくないんですよねぇ。
名前付けグッズは積極的に買うくせに、我ながら変なとこがケチだなーと思います(笑)。
いえね、時間が無くて忙しいなら名前付けなんて面倒でしかないですけど、時間があるならこういうチマチマした作業は嫌いじゃないんですよー。
名前を書いたり貼ったりしながら思ったのは、、。
普通ならこういうグッズは子供の物に親が付けてあげる時に使うんだよなぁと。
たまこは今回、子宮筋腫と一緒に子宮も全摘しますので、これで本当に子供を持たない人生が確定する事になります。
たまこがそこら辺について、今でも後悔や納得しきれない気持ちが残っていたとしたら、今回の入院手術は相当しんどいものになっていたかもしれないなー、と思ったり。
これまでもブログ記事で入院にまつわる準備についてはいくつか書いてきましたが、たまこ的に1番大事かなぁと思っていたのは、やっぱり「心の準備」だったりします。
そこはどうしてもすぐに気持ちを切り替えるのは難しいので、普段から自分と向き合って、人生について考えておく必要があるのかなーと。
とはいえ、たまこも「自分と向き合う」という事を意識し始めたのは、ほんの2〜3年前からの話で、今思えば50年近い人生のほとんどは本当に無駄に過ごしてしまったなぁ、、と思います。
子供が欲しいと思った事もありますが、たまこが30代の頃は今ほど不妊治療が一般的なものではなく、夫もたまこも不妊治療してまで子供が欲しいとは思わないという事で今に至ります。
そんな風に言うとあっさりした感じに聞こえるかもしれませんが、たまこの心の奥底では「自分にはまともに子育てができないんじゃないか」という不安が常にあったから、本格的な不妊治療に踏み切れなかったという事の方が大きかったです。
つまりは、自分も母親のような毒親になってしまうんじゃないか。
それどころか、もっとひどく虐待してしまうんじゃないか、、という恐れです。
もちろん、自分はちゃんと子供を愛して可愛がりたいとは思っているのですが、実際は母親と同じ事をしてしまうのではないか?
ダメだと思いながらも、感情を抑えられずに子供にひどい事を言ったりやったりしてしまうんじゃないか?と全く自分を信用できなかったというか。
どうしてそんな風に思ってしまうのか、若い頃はわかりませんでしたけど、今なら自分が極端に自己肯定感が低いという事も自覚していますし、その原因が母親との関係だという事も理解しています。
母親を反面教師にして、自分はそうはならない!と頑張れる人もたくさんいると思いますが、たまこはできませんでした。
かと言って、子供がいない人生を選ぶ事に何の迷いも無いのかと言えば、全然そんなんじゃなくて。
心が揺れ動く時(やっぱり子供、欲しいかも、、と思った時)に、夫と納得いくまで話し合える関係だったら良かったんでしょうけど、たまこ夫婦では話し合うどころか子供の話はいつの間にかタブーになっているような雰囲気すら感じていました。
今思えば、それもたまこの勝手な思い込みというか、、。
夫が子供が欲しいという気持ちに積極的ではなく、「どちらでも良い」というスタンスを取り続けた事に対する不満が根底にあった結果なんだろうと思います。
そういう事も含めて、思い通りにならない自分の人生を受け入れられず、認められず、死ぬまでモヤモヤを抱えて何もしないまま老いて、、このまま一生を終えるのか?という事を考えた時、そんなの絶対イヤだ!このままで終わってたまるか!とやっと最近思えたんです。
今までは50代以降の自分の人生について、本当に「消化試合」みたいなものだろうとしか思えなかったのですが。
(つまり、負け確定。みたいな、、)
数年かかって自分と向き合い、夫と向き合う努力ができるようになってから、、たまこは初めて「生き直したい」と思いました。
今までも「生まれ変わりたい」と思う事はありましたが、それは今の人生の否定でしかなくて。
ホントのホントは、何にも生まれ変わりたくなんかない。
あえて言うなら「無」になりたい。
それくらい、自分の存在は意味がないと思っていたんですよね。
今でもそういう感覚は消えた訳ではないですが、このまま本当に意味のない人生にするかどうかは自分次第なんだって、やっと思えたというか、、。
でも、そう「思えた」というだけで、行動に移せるようになった事はまだまだほんのわずかですから、スタート地点に立てただけなんですよね。
ただ、そう思えるようになってからの手術になった事は、少しは気持ち的には救われたように思っています。
自分の子供を持つ事はなかった人生ですが、手術して元気になったら、その気があれば地域の活動などでいくらでも子供たちと関わる事はできる訳です。
(例えばの話で、本当にやるかはわかりませんけど 笑)
そういう意味では、年齢的にも子宮という臓器を失う事に関して、それほど悲観する事ではないかなと。
強がりではなく、そう思えるようになれて良かったと考えながら、ちまちま名前付けをした1日になりました。
手前の田んぼの稲刈りは終わりましたが、目の前の空き地にセイタカアワダチソウがあるので鮮やかな黄色が広がってます。
秋らしい風景で、晴れた日は本当に美しいです。
毎日こんな景色が見れる家に住む事ができた事も、生き直したいと思えるようになった要因かもしれませんね。
ではまた!