こんにちは、たまこです。
10月も今日で終わりですね。
引きこもり主婦のたまこ的には、今月は法事で実家にも帰ったし、夫実家でも親戚が来たりと、いろいろあったなぁという印象です。
(一応洗面所の窓辺も、ちょっとハロウィンぽくしています 笑)
そして、自分では内面の変化も緩やかに続いていると感じています。
本を読んでインプットした事を、自分なりに考えてブログで自分の言葉でアウトプットし、行動に繋げる事で、少しずつ現実が変わっているのを実感するというか。
もっと端的に言えば、「幸せだと感じる」時間が増えたと思います。
今までのたまこは、以前の記事にも書いた通り「幸せな家庭生活」がどういうものなのかわかっていませんでした。
なぜなら、たまこの両親は常に仲が悪くて、「仲が良い夫婦」がどういうもので、仲が良い両親のもとに生まれた子供が家庭の中でどんな生活をしているかを「知らなかった」からです。
ですから、ドラマやアニメなどで見る「仲の良い、楽しい家族」というのは完全なるフィクションだと思っていました(笑)。
というか、そういう風に見せかけているだけで、実際はみんな本当は不満や不安があるけど隠しているだけなんだろうと、、。
まあ、そういう家族もあるでしょうけど、もちろん本当に幸せな仲良し家族もちゃんと存在しますよね(笑)。
そして、たまこ両親はそうなれなかったかもしれないけど、たまこ自身は楽しく幸せに生きていくんだ、いけるんだと、40代後半にしてやっと確証が持てた感じ。
その確証を持つために、いろんな本やネット記事を読んだりしてきましたが、今の時点でたまこが最も重要なキーワードだと思っているのが、「自己肯定感」です。
昔は自己啓発本や心理学の分野でしか見聞きする事がなかったように思いますが、今は割と一般的に使われるようになってきたような。
それでもまだ、言葉は聞いた事はあるけど、正しい意味はよくわからない、、という人も多いのかなぁと思います。
まあ、たまこも専門的に学んだ訳ではないので、大学の一般教養程度の知識と、後は独学での解釈になるのですが。
それでも、「上司に怒られて自己肯定感が下がった」みたいな言い方をしている人を見ると、それは違うだろー、、とは思います(笑)。
でも人の事は言えないというか、いわゆる「自己肯定感を上げるには」みたいな記事を読んだりしても、たまこもいまいちピンと来なかったんです。
たまこはアダルトチルドレンの自覚は早くからあったので、自己肯定感が低い自覚もありましたけど、「自分を大切にしましょう」的な事を言われても、本当によくわからないというか。
自己肯定感を上げるために自分を大切にしましょうという記事などを読むと、具体的には美味しいものを食べたり、好きな音楽を聞いたりとかが挙げられていますが、たまこにはどうしてそれが自分を大切にする事になるのか?がどうしても繋がらないんですよね。
確かにそういう事をすれば、一時的には満たされる感覚になるかもしれませんが、その時が過ぎればまた欠乏感に襲われるだけなのに、どうしてそれで自己肯定感が上がるの?みたいな。
そもそも自己肯定感とは何か?と検索すると、
「ありのままの自分を受け入れ、尊重し、ポジティブに捉える事ができる感情」とあります。
たまこには、これがさっぱりわからない(笑)。
でも、その逆は何か?を考えてみたら、すごくよくわかったんです。それはつまり、
「ありのままの自分ではダメ。そのままの自分には生きてる価値がないし、おそらく努力しても、自分の価値が上がる事はない(どんだけネガティブ)」。
これはもう、めっちゃしっくり来ます。
たまこの生き方の基本スタンスそのものと言っても過言ではないというか(笑)。
つまり、たまこは自己肯定感が「低い」んじゃなくて「ゼロ」だったのかと。
だから、ゼロに何をかけてもゼロになるように、普通の人なら自己肯定感が上がる事をしても意味が無かったという事か!と気づいたんです。
突き詰めればそれは、
「自分は存在してはいけない」という事。
そりゃ、生きづらいわ!って思いますよね(笑)。
我ながら、なんでそんなにネガティブなんだ?と思いますけど、たまこも常に自分の心の闇を覗くような生活をしている訳ではなくて、むしろ見ないようにして今までなんとかやってきたから、、生きてます(笑)。
でも、たまこは子供時代に喪失体験やあからさまな虐待は無かったので、ずっとそういう思いを持っている自分を「甘えてる、贅沢だ」と思ってきたし、だからこそネガティブな事はなるべく考えないようにしてきたんです。
だけどその生き方の先にあったのは、頑張ってマイホームを建てて専業主婦になれたのに、「いまいちパッとしない自分、パッとしない結婚生活、パッとしない夫婦関係」、というか、なんだかどんどん悪化してるような、、?
日常的にイライラ不機嫌で、何かあるたびに不満が爆発してケンカになり、それでも将来が不安だから離婚もできなくて。
結局、友人に愚痴を言ってなんとなく気持ちがおさまった気になって、また不機嫌ながら日常に戻っていく生活の繰り返し。
そういうのにもう本当にウンザリしていましたし、そうやっていると、ますます自分が存在しない方が良いんじゃないかと思ってしまう悪循環だというのはわかっていましたので、たまこなりに頑張って頑張って考えた結果、たどり着いた結論が、、
「自分は価値がある存在だと心から思えないと、何も始まらない!」
という事でした。
だからー、そう思えるなら最初から苦労しないって!と以前のたまこも思ったでしょうけど、最近の学びですっごく大事だと思ったのが、「人間の価値には2種類ある」という事です。
それは、「その人の持つ能力によって生まれる価値」と「その人の存在そのものの価値」。
つまり、たまこは今まで人間の価値というのは「能力的な価値」しか無いと思っていたという事で、だから生きるのが苦しかった、、らしいです。
でも本当はその前に、「人間は存在してるだけですでに価値がある」という事を知らなかった。
知らなかったから、本やテレビなどから言葉で聞いても全然ピンと来ないし、またそんなのは理想論というか綺麗事だと思ってしまっていたという事ですね。
それは、以前のたまこはこの世に「本当に仲良しで幸せな家族がいる」事を信じられなかったのと全く同じ事だと思っています。
そしてこれも最近気づいた事なんですが、たまこは「人は存在してるだけで価値がある」という事を今まで知らず(わからず)に生きてきた訳ですが、ちょっと言い訳がましいとは思いますが、それはたまこの周りでは誰もそんな事を言ってなかったから、、とも言えるかなぁと。
でも、その「言わない」というのも2種類あって。
ひとつ目は、人は存在してるだけでは価値が「ない」と思っているから言わない人。
ふたつ目は、逆に人は存在してるだけで価値があるのは当たり前過ぎて言うまでもない事だから言わない人がいる。
、、という事なんだと気づいたんです。
そしてもちろん、正しいのは後者です。
それなのに、何も言われてないはずのたまこはなぜ「人は存在してるだけでは価値がない」と思い込んでしまったのか?という事が、結構重要なんじゃないかという考えに至りました。
つか、まあここまで来ればもう明白で、たまこの母親が存在価値を否定しまくってたまこを育てたから、そういう人間になっただけの話なんですよね。
ただ、面と向かってお前は価値がないとか、存在しなくていいとか言われた訳ではなくて。
さすがにそれは虐待だとすぐにわかりますし、そうではなくて、たまこ母はたまこに対して常に「そのままではダメだ」と言い続けるような育て方をした、という事です。
そして、もし今それを母親に言っても、「それの何が間違ってるの?」としか答えられないと思います。
繰り返しになりますがそれもまた、たまこ母自身も「人は存在してるだけでは価値はない」と思い込んでいるし、そういう育てられ方をして生きてきたから。
おそらく、この考え方はたまこがどれだけ説明しても心から納得する事は無いんじゃないかな、と思います。
たまこ母が頭が悪いから、という意味ではなくて、それほどまでに人間の存在価値の定義とは、人生や価値観の大前提になるという事なんだと思います。
存在そのものに価値があると言われても、たまこも抽象的過ぎてよく分からなかったので自分なりに言い直してみたんですけど、それはつまり、
「人は誰でも今この瞬間生きていて、存在してるだけで100点満点なんだ」という事かなぁと。
これがたまこ母親にとっては非常に受け入れがたいというか、
「存在してるだけで100点な訳ないでしょう!常に何かしら努力して、生産性のある事をやり続けなければ、人は生きていけないの!」と言い張るのは目に見えています(笑)。
まあ、たまこもつい最近までその考え方からどうしても抜け出せなかったから、母親の言いたい事は良くわかります。
でも、それでもやっぱり「人は生きてるだけで100点満点なんだ」とやっと今は思えるようになりました。
というか、思えるようにならないと本当に何も始まらないんですってば(笑)。
だってそうじゃないと、どうしても自分の存在自体を疑って否定してしまうから、その先の能力的な価値を伸ばそうなんて思えなくなってしまうんです。
それでも若い頃は無理矢理やっていた訳ですが、、。
これが、今までたまこが感じていた強烈な無価値観(何やっても価値がない自分がやる事なんだから、意味がない)の正体だったんだなーと理解した感じです。
ここまでが、本当に長かったなぁと思います、、。
(今朝の明け方。綺麗な空でした、、)
生きてるだけで100点満点と、ちゃんと思えるようになったたまこの人生はまだ始まったばかりですが、、とりあえず、残り2ヶ月になった2022年を元気に過ごしたいと思っています(笑)。
ではまた!