こんにちは、たまこです。


先日、79歳になるたまこ母と電話で話をしていて、またひとつ気付きがありました。


以前も記事でお話した事があるのですが、たまこ母の電話の内容は9割方父親の愚痴、、なんですね(笑)。

でもまあ、たまこは他県に嫁いだ身とはいえ、母親の愚痴を聞くのは親孝行のひとつ、、くらいに思って電話がきたら普通に聞いていたんです(だいたい月に1度くらいの頻度でしょうか)。


そんな生活が何年も続いていたのに、最近になってやっと母親からの電話の後は必ずビックリするくらいメンタルが落ち込んで、最低でも1週間、ひどい時は1ヶ月近く引きずってしまっているという事に気付きました。

でも、たまこはその落ち込みが母親との電話が原因だとずっと気づいてなかったんです。

それがまずビックリなんですけど、電話の後のどうしようもないモヤモヤなどは、まず夫にぶつけて夫は俺に言われても、、って反応なのでそれでまたモヤッとしてなんなら喧嘩になって、それをまた友人に愚痴ったりと、、もう負の連鎖もいいところですよね(笑)。


それで本当に最近になって、母親の愚痴の内容が愚痴ではなくて父親の悪口というか陰口だった、、という事に気付きました。

愚痴と陰口は何が違うのか?はたまこも明確な線引きはないように思っていたし、何かきっかけがあった訳ではないのですが、最近特に自分の夫婦関係について自分なりに考える事が多かったので気づいたんだと思います。


今回思ったのは愚痴と悪口の違いは「相手を見下して、馬鹿にしているか、どうか」が基準になるかもしれない、、と思いました。

そして残念ながら、たまこの母親は完全に父親を馬鹿にして見下しているので、愚痴の内容は主に「父親がいかに頭が悪いか、常識がないか、不潔であるか」という事のバリエーションになり、これが毎回延々と続くんですね。


たまこはずっとこれを延々と聞かされ続けて育ってきた訳ですが、そうなると子供ってどうなるかと言いますと、まあ一言で言うと「シにたくなる」んですよ。

何というか、今すぐシにたい訳ではないのですが、ずっとうっすらと生きていたくなくなるというか、自分に生きてる価値があるとはどうしても思えなくて、、。


でもそれがどうしてなのか、恥ずかしながら45年以上生きてきてわからなかったんですが、、

今さらですがこれって、ずっと母親から自分の悪口を間接的に言われ続けていたのと同じだったんだな、とやっと気付きました。

だってたまこの半分は父親ですからね。

母親から見たら所詮他人、って思っているのかもしれませんが、たまこからは母親も父親も同じ親。

その半分からもう半分の悪口を言われ続けたら、そりゃ落ち込むというか、じゃあなんで自分が存在するのか?っておかしくなっちゃうのも当たり前だったんだなぁ、って思います。


そして更に今回ビックリした気付きというのは、

普通の夫婦って、、お互いを見下したり、馬鹿にしてないんですって!!(笑)

なんか文字にするとそりゃそうでしょ、、ってなるんですけど、たまこはずっとずっと母親からの刷り込みで父親はバカにしても良い存在だって思っていたし、そんな父親の世話を一生しなければならない母親をかわいそうな人だと思っていました。

だからこそ、愚痴くらい聞いてあげなければ、、と思っていた訳です。


でも、普通に考えたらそんなに馬鹿にして見下してる人と結婚する意味は?別れたらいいだけなのでは?という話なんですが、そこはまあ、時代がどうとかお金が、、とか言って絶対別れようとはしないんですね。

そこら辺は今なら卑怯だとは理解しつつ、確かにこの時代の人たちはそういう事もあるのかな、、と勝手に納得しようとしていたのですが、、なんと。


たまこ夫に聞いたら、夫母が夫父の愚痴を言っていたり、悪口を言ってるのを聞いた事は一度もないと。

そりゃ喧嘩はしょっちゅうしてるけど、文句があれば直接言い合ってるだけで、子供は関係なくない?と。

それを聞いて、たまこは長年の自分のモヤモヤの原因のひとつが、はっきりクリアになったと思いました。


たまこの母親は完全に逆だったんですね。

父親に文句があれば本人に言えばいいだけなのに、キレるからとか暴れるからとか言って、全部何もできない子供であるたまことたまこ妹に陰口を言っていた。

父親はもともと言語化ができるタイプではないので、常に感情的に場当たり的な言動しかできなくて、自分の要求を通すには「暴君」になるしかなかったという事だったんだな、、と。


本当に不思議だったんですよね、たまこの実家も夫実家も、外側から見れば同年代のごく普通の田舎の家族、、に育った子供同士って感じなのに、どうしてこんなにもたまこは豆腐メンタルで、夫は自己肯定感の塊みたいな人間なのかと(笑)。


今まではそれは男女の違いかなぁ、、なんて思っていましたが、たまこの場合は間違いなく母親の考え方の違いだと確信しました。


まあ、もちろんこれからもたまこの母親は父親の愚痴や悪口を言い続けるでしょうけど、それを聞くのが親孝行なんて自虐的な考え方が、どれだけ自分の心を削っていたかに気付く事ができて、本当に良かったと思いました。


(霜にも耐えて、元気です、、)


そういう心の変化が、ビオラを植えようと思えるきっかけになったのかもしれない、、と思ったり。

友人や夫にも話を聞いてもらったりして、少しずつ心が軽くなってきているのを感じます。

日曜日は、また花苗を買いにいこうかな。


ではまた!