こんにちは、たまこです。


たまこは自他共に認める面倒くさがりですが、「丁寧な暮らし」系のブログや本を見るのが大好きです。


「丁寧な暮らし」と言えば!で思い付く方は、内田彩乃さん、雅姫さん。

お料理系なら、栗原はるみさん、平松洋子さん。

みなさんたまこの憧れなんです、、。



(内田彩乃さんのインテリアや暮らしに憧れて、真似っこしてみたりしたなぁ、、笑)



丁寧な暮らしと言えば、重曹やクエン酸を使ったナチュラルクリーニング。

あるいは、食卓にお花を欠かさず、コーヒーを豆から挽き、パンを焼く、、みたいな手間を惜しまない、余裕のある暮らしというイメージでしょうか。


でも、たまこの現実は、ナチュラルクリーニングどころか普通の掃除すらままならず、汚部屋暮らし。

お花どころか鉢植えもことごとく枯らす女(笑)。

コーヒーは一杯分のドリップコーヒーでいれるのが精一杯、パンは今ではたま〜にホームベーカリーで焼きますけど、お金に余裕があれば、間違いなく美味しいパン屋さんから買います(笑)。


そんなたまこが目指すべきは、まずは最低限の家事はこなせる暮らしであり、丁寧な暮らしはそれからだ!って事に気づくのにも、ずいぶん時間がかかったような気がします、、。


このブログでは何度もお話していますが、たまこは汚部屋脱出の為にまずは断捨離からはじめて、試行錯誤の結果、今のEASYLIFEに落ち着いた感じです。

それは、丁寧な暮らしというよりはどちらかと言えば前回ご紹介した勝間和代さんの「ロジカル家事」に近いと思います。


そして、現在たまこ家は一応綺麗キープはできていますので、このやり方でいいんだな、とは思っているのですが、、。


でも、たまこは断捨離して綺麗キープできるようになったら、その先に「丁寧な暮らし」があるんだと思っていたんです。

だから、今はなんかアレ?って感じ(笑)。


今のたまこは「丁寧な暮らし」をしているという感覚は全く持てないんですよね。

そして、「丁寧な暮らし」がこれから自分の生活に来る気配もあんまりない(笑)。

むしろ、EASYLIFEは「丁寧な暮らし」の対極にあるんじゃないかと思うくらいの感覚で、、。


でも、今の暮らしにはかなり満足しているんです。これは、一体どういう事なんだろう、、?

と不思議な気持ちになりました。


そこで、そもそもたまこはどうして「丁寧な暮らし」に憧れたのか?について考えてみたら、憧れの気持ちの中には大きくわけて2つの意味があった事に気付きました。


まずひとつめは、たまこ自身に

「丁寧な暮らし=幸せな人生」

という思い込みがあったという事です。


汚部屋時代のたまこは、こんなはずじゃなかった、一生こんな暮らしは嫌だという現状への不満から、丁寧な暮らしができれば幸せになれると思い込んでいたんだと思います。

でもじゃあ、丁寧な暮らしをしている人が全員幸せか?と言われると、、それは本人にしかわかりません(笑)。


もちろん、汚部屋暮らしよりは綺麗な家で快適に暮らす方が気持ちいいですが、、。


おそらく、たまこは「快適な暮らし」と「丁寧な暮らし」をごっちゃにしていたんだと思います。

ただ、、言い訳が許されるなら、昔は断捨離やミニマリズムの概念がほとんど無くて、「快適な暮らし」のお手本がほぼ「丁寧な暮らし」一択だったような気がするんですよね、、。


だから、快適に暮らしたいなら、手間暇かける事が一番、、みたいな考えになるのはある意味当たり前かなと思うのですが。


でもそれだと、手間をかければかけるほど快適な暮らしになるという考えになってしまいがちですし、自動的にハードルがどんどん上がってしまうから、元が面倒くさがりのたまこには到底無理、、という話になってしまう。


それに、快適な暮らしのために、日々自分をすり減らすようにして家事の奴隷になるような感覚が、どうしても納得いかず、、というか、その状態がもう、快適じゃないですから(笑)。


もうたまこには無理!と吹っ切れて、とにかく簡単な暮らしを目指すEASYLIFEに切り替えてからは、だいぶラクになれたので、気付いて本当に良かったと思っています。



そして、もうひとつの憧れの正体は、以前の記事でもお話した、たまこの中の母親の存在がかなり影響しているんじゃないかと思いました。


と言いましても、たまこの母親はいわゆる「丁寧な暮らし」のお手本をしてる人だとはあまり言えないと思っていて。

むしろ、常にパートに出るなど兼業主婦として働き、日中は不在のイメージばかりです。


祖母が寝たきりの自宅介護になってからも、ずっと家にいる事はなく、お昼の休憩で家に戻って食事の介助をしたら、またすぐ仕事に戻る、、という生活をしていました。

経済的な理由、、というよりは、介護の為に一日中家にいるのが嫌だから、仕事を理由に家に居なかった、、というのが本音だったようです。


それで、たまこは小学校からずっと鍵っ子で、学校から帰るとテーブルに置かれたお小遣い50円を握りしめて、妹と駄菓子屋さんにオヤツを買いに行く、、というのが当時の思い出です。


とにかくその思い出に母親はいなくて、家の中はいつも薄暗くて、、。

汚部屋ではないですが、きちんと片付いているという感じともまた違う、、まあ、あまり居心地が良い家と感じた事はなかったかな〜という感じです。


要するに、たまこは子供ながらに母親があまり幸せじゃないと思っていて、幸せになるには母親と同じじゃダメだと思うから、丁寧な暮らしをすれば幸せになれる、、と無意識のうちに考えていたのかなぁ、なんて。

たまこの丁寧な暮らしの中には、優しいお母さんというのがセットになっていて、おやつやご飯を一緒に作ったり、お休みの日にはどこかに出かけたり、髪の毛を可愛く三つ編みにしてくれたり、、という事にずっと憧れていたんですよね。


でも、たまこは母親と料理をした記憶はなく、休みの日というか、そもそも家族でどこかへ出かけた事がなくて。

そして、髪の毛は朝の忙しい時に編んでとか言われたくないという理由で、伸ばす事は許してもらえませんでした。


今となっては、母親もいろいろ精一杯過ぎて、子育てを楽しむ余裕がなかったんだろう、、と理解できるようになりましたが、、。

そういう子供の頃の母親へのいろんな気持ちが、「丁寧な暮らし」への憧れに繋がっていたのかもしれないと思ったりしています。


でもまあ、これも思い込みというか、勘違いですよね。

「丁寧な暮らし」をする人が必ずしも良い母親とは限らない、、というのは自分でもあまりにもひねくれた考えだとは思いますけど(笑)。

ただ、たまこは「優しいお母さん」と「丁寧な暮らし」を混同して考えていたんだなぁ、という事は間違いないと思います。



今はどちらかと言うと、丁寧な暮らしをしたい、したかったというよりは、子供の頃のたまこの母親にはEASYLIFEを教えてあげたかったという気持ちです。


もちろん当時はドラム式洗濯機もコードレス掃除機もないですけど、もう少しいろいろな物や人に頼りながら、簡単に暮らせる工夫をしても良かったんじゃないのかな、、。

なんて、教えたところで当時は受け入れてはもらえなかったと思いますけどね。

それに、余裕が出たからと言って、たまこ母がその分子供に手間暇かけるとは限りませんし(笑)。


でも、以前の記事でも書いた通り、主婦とは、家事とはこうあるべき。という価値観が、やりたくてもうまくできない主婦を苦しめる、、という事は、あるあるなんじゃないのかな〜と思います。

まあ、たまこ母は自分ではできてなかったとは思ってない系だから、いまだにたまこにダメ出ししたりするんだと思うんですけど(笑)。


そこら辺は、丁寧な暮らしとはまた別の話になってくるのかなぁと思っているので、今回はここまでにしたいと思います。



今回考えてみて、改めて思うのは「丁寧な暮らし」っていろんな意味でレベル高いなぁ!って事かな(笑)。

だからって、EASYLIFEがレベル低いって事ではないと思ってますけどね。


また別の角度からいろいろ考えてみて、改めてブログでご報告できたらいいなと思います。

ではまた!