こんにちは、たまこです。
昨日の夕方、テレビを見ながらちょっと寝落ちしてたんです(笑)。
そして、ふと目が覚めたら、ファンヒーターが消えていました。
あ、延長ボタン押さなかったから切れたんだな、、と思って改めて電源ボタンを押したのですが、何の反応もなく。
あれ?壊れたかな?と一瞬思ったのですが、周りを見ると、テレビも消えていて。
あれ、私、テレビ消したっけ?
そして、前回まで熱く語ったキューブル先生には槽洗浄を、寝室では布団乾燥機を稼働させていたはずなのに、家の中はシーンとしていて、、
やっと、停電??
と思い付きました。
スマホで電力会社のサイトを確認したら、確かにたまこの住む地域に停電が発生しているようでしたが、原因や復旧の見通しなどは一切表示されず。
幸い30分ほどで復旧しましたが、夕暮れ時だった事もあり、かなり不安な気持ちになりました。
たまこ家はオール電化ですので、停電したら基本的には家事はできません。
ただし、水道は出ますので、夜間ならある程度の灯りの確保と今時期なら暖房、食料さえあれば今日はさっさと寝てしまえばいいよ、、となります。
一瞬そういう事も考えましたが、すぐに復旧したので対応する行動はしませんでした。
たまこ家の地域で停電があったのは引っ越してきてから初めてです。
去年の台風19号の時も、いつ停電してもおかしくないと思い、備えはしていましたが停電はしませんでした。
そのように、ある程度予測がつく災害に関しては備える事は比較的容易だと思うのですが、災害はいつどんなタイミングでやってくるかはやはりわからないものなんだ、、と再確認させられた気持ちになりました。
そして一夜明け、朝ゆっくりしていましたらはっきり感じる地震、、震度3くらいの揺れを感じたのは久しぶりだったような気がします。
以前の記事でも少しお話していますが、たまこの住む地域は東日本大震災の被災地域です。
津波被害地域ではなかったものの、電気水道ガスの全てのライフラインがストップし、不安な日々が1ヶ月近く続いた経験があります。
ライフライン復旧後も、改めて電気が付く事、蛇口から水が出る事が当たり前の事ではないのだと胸に刻んだつもりでも、やはり日々の生活で忘れていく、、という事は感じていました。
たまこは本当に幸いな事に、震災で大切な人を失う経験はしませんでしたが、少し強い地震や、災害のニュースを聞くたびに9年前のあの日を昨日の事のように思い出します。
たまこはその年、ヘルパーになったばかりでいきなり震災を経験してしまったんです、、。
忘れもしません、その日は精神障害の女の子の入浴介助でした。
1人では食べる事も、話す事も、トイレに行く事も何もかも放棄してしまった子をお風呂に入れるのがたまこの仕事でした。
初回訪問から、10回以上は経っていて、お母さんともある程度信頼関係ができていてからの事だったのが、本当に良かったと思います。
(入浴介助時はお母さんはお仕事で不在でした)
たまこは訪問ヘルパーは基本的に介護保険の利用者で高齢者がお客様だと思っていたのですが、近年は障害者の利用者の割合が非常に増えている印象です。
(自立支援法との関係もあると思います、、)
そして、本当にラッキーだったのですが、お風呂は14時からで震災の揺れが来た14時46分にはもう、着替えもドライヤーも済ませて、そろそろ帰ろうかな、という時だったんです。
最初の揺れが始まった時、これは数日前に来た地震と同じくらい強いかもしれない、、と思いました。
でも、様子を見ていたらもっとどんどん強くなってきて、そのうち家具も倒れ出して、たまこは必死でその女の子をかばいながら地震の時は窓を開けなきゃ!と思ったのですが、ほんの数歩で見える窓まで、あまりの揺れで進めないんです。
でも、、
その女の子はボンヤリした目をしたまま、何の反応もありませんでした。
ああ、この子は1人だと死んでしまうんだ、、とはっきり感じた瞬間でした。
なんとか揺れが収まって、停電してどんどん暗くなっていく中、電話ももちろん通じる訳もなく、思い出したのが近くにお祖母様の住まいがあると聞いていた事でした。
この女の子のお母さんはとても真面目な方で、防災のしおり的な玄関先にぶら下げるヤツにちゃんとお祖母様の住所と電話番号を書いていたんですね。
それを頼りに、飛び散るガラスをかき分けながら外に出て、地鳴りを伴った余震を感じながら女の子をお祖母様の住まいまで送り届けたのを覚えています。
あの時は、本当にこの世の終わりが来たと思いました、、。
それまでは震災や、防災の備えなんて真面目に考えるなんて、、という感じでした。
9年前のあの日までは、本当にそうだったんだなぁ、、と今思い出してもびっくりします。
それからは毎年のようにどこかしらで災害が起こるようになり、最早日本で安全な所なんてあるのか?という状況になっていますよね。
あれから、9年も経ったのか?それとも、9年しか経っていないのか?、、それはその人の感覚次第でしかないんですよね。
でも、、
私たち人類には天災にもコロナ禍にも負けずに生きていく知恵がある限り、なんとか頑張っていくしかないんだと思います。
そう、思った日が防災日和ですね。
我が家の電気に頼らない照明を集めて、、
アラジンストーブを付けて、脱オール電化を意識する日がもっとあってもいいのかなと思いました。
キャンドルはルミナラです。やはり、本物のような質感とタイマー設定できる便利さはさすがですよね。
まあ、この程度の明るさでは何もできませんが、、。
それでも、周りの照明という照明が全て消えた夜の暗さ、、というものを田舎者のたまこも震災時に経験して本当に闇なんだ、、と思ってからは暗いのは怖いし危険だと思うようになりました。
と、いうわけでちょっとセンチメンタルな防災記事になってしまいました。
たまこのヘルパー時代の思い出は、これからもお話していきたいなと思っていますので、良かったらまた来てくださいね。
ではまた!