ふむ。

劣等感各種、
苦手意識各種、

まあありますけども
いろいろありますけどもね、

なにができるかしら
ですよ。

あの年の個人的な複合型無力感を経て、
ほら

『強さ』ってなによ?

だの

強さを積むための『土台』をどうやってこしらえるのよ?

などの

途方に暮れるばかりのテーマを、ある種の小学校男子が給食のパンをそうするように、ぎゅーぎゅーに小さくして、なんならポッケに入れて、

つまり持ち運んでね?

そうやって(忘れるくらいさりげなく)テーマと共に生活していた気がするのですが
みなさまいかがお過ごしですか?


どこにいてなにを見てなにをしててもしていなくても、
あのテーマに関係していたような(引き寄せられてしまっていたような)気もします。


最近、仲の良い友達が結婚しまして、赤ちゃんも産まれたのですが(おめでとうございます)、

それにわたしも便乗して、子を育てていくのってどんなかんじかなあ?
などと思いを巡らしてしまうことを許していただきたいわけなんですがね。

おかげで
こう

赤ちゃんと過ごすわたしや
やんちゃな幼児とわたし、
小学校に上がった子とわたし
などを断片的に
想像しつつも
なんかいろいろ
思い当たったり反省したりしてしまう日々です。

興味深いです。
というか
クラクラします。


長い間、
もう単純に
『生活力がなあ』
いやつまり
『収入も多くないしなあ』
なんてことを
持ち出すことで
『むずかしいよねえ』
という感覚があたかも答えであるかのように居座っておりましたよ。


そういった論調に
対して

わたしはとりあえず
静かに暮らすことで
なにか見いだせないか探りつつ、

すこし前には
ようやく
内心で

『いや、それでもこう、ふたりで居ることによりかつてない(なぞの)安定感、(見えぬ)安心感、などを醸し出せる誰か(娘)がいるかもよいるかもよ(いねえか…)いやいるかもよ』

といったせめぎ合いは発生しておりました。

根拠はないったらないです。


あと『スラリとしたい』とか『ドラムやるよ』とかも思いつつ。

にっちもさっちもどうにも猫山田です。





(つづく)





とくになにもしていません。

例の数年前に途絶えたテープ作品の
続きを久々にこしらえて、
(『レッツ・ゲット・ロスト』)

そのあとはやはり数年前に途切れていた独特ないい絵を描く独特な友人の絵をコラージュしてわたしがストーリーをでっちあげるという試みも
ようやくの作品化(試作品)したりしておりました。

うむ。


共通しているのは
「思い知った」
ということかもしれません。

そうですね。

わたしは
「こういう場所」に
居るんだということでしたよ。


なんだろうね
育った場所や現在地のことを
しっかり認識(できるのならば)したいという気持ちもあります。


今までにも増して、
今までになく、
ちゃんと静かにしているので、
ええ、
ひとりで暮らしてますので、

その静けさがもたらす冴えのようなものは
あると思います。


覚悟に似たものが
剥き出しになりつつある、と。

まあ

そりゃあまあ愛について
考えたりします。

以前の十数年と様相が違うのは

そこに
家族についてのことがめきめきと存在感をあらわしていること。

家族について考えるときには
自分の子どものこと、
そして自分の子どものころのことが
同じくらいに
めきめき存在感です。

ええ。


おそらく考えたことがないことを考えたりもしていると思います。

悲しさとかではなくて冷静さなのではないかしら?


親がどうあると子がどうあって。

そこやその周りあれこれの要素のことを把握(認識)しなおして、まあぼんやりの素振りでわたしなりに着実に鍋に放り込みつつ煮込んでおるつもりであります。

やー
だから
今までは

ほら
こう、生まれて

しんどさがありつつも(たのしさもあったさ)生き延びていくのにたいへんだったわけで、

そりゃあまあ今もたいへんではありますけども、生き延びていくだけならば出来そうな感じはあるわけなのです。

しかし花がたくさんひらいてるわけではないので、ある種の寂しい景色(そしてある種のたのしさも引き連れるさ)を背負っていくことが確信に変わりつつあるわけよね。

丁寧にしたい。

日々がそうやって過ぎていくだけ(過ぎていくだけですけど)ならば、やり過ごしちまえばいいんだけどさ。

わたしの子どもよ。
(全くあてはありませんが)

子どもと向き合うときのことをわたしは考えますよ。


今の生活ではそれほど意識しなくて済むようになっている
わたしの『かたより』や『歪み』(いいにせよ悪いにせよ)、わたしの育った家庭の『かたより』『歪み』、『欠落』。
とりあえず認識をしたくて。(できるものならばね?)

まずはそれだ。


べつに修正をしょうというわけではないんだとおもう。
完全版を目指したりするわけではないんだとおもう。

ただ
認識をまずしなくては。

わたしが
『こんなかんじ』で
わたしの子どもに接すると
『こんなかんじにされた』感触が
子どもに残る、
子どものなかに根付く、
子どものなかで育つ、
そうなるかもしれない。


それを踏まえて

わたしは
わたしを
ちょっとはましにしたい

そのための
丁寧さでありたい。

なんだかそんなふうに考えています。


もしかすると
それは大人になったということなのかもしれません…


…まさかね?


そうね


だから

最近は

自分の独特さを

意識的に
再認識するようにして

『それでわたしはだれかの家族になれるかなあ』

というラインに
つなげたりしています。

ふむ。

そのわりには、
(あるいは反動なのかしら)
わたしの音楽のあれこれの興味はにょきにょきに伸びているので伸ばせるところまで伸ばすつもりでいるしこれからはそれを何かに譲ることはないような気はするわけで、(矛盾発生中)しかしわたしの子どもには譲るのだろうか?
などなども思うし。

それはキャパシティの問題でもあって

わたしのそれが
小さい
ことはひしひしと感じていますしね相変わらず。

うーむ。

でもわたしの音楽のあれこれは最新のものを追うようなものではなくて、
わたしの傾向を醸造したいようなある意味では狭めてそれを手間をかけて手入れするようなことかもしれなくて、
それについて行くと、物事はシンプルな場所を目指すことになる気もするから、
子どもと向き合うこととは
相反したりしないのかもしれないよね?
とも思っていて。


そんなふうです。


愛なき愛です。



(やれやれ)


べつにいいんですよ。

何かによく似ているけれどもはじめてのことを丁寧にやるのだ。

やれるかわかんないけどさ。









このあいだ。

ジョビのすけが
部屋に上がって
(とくに親しげではない)
ごはんを食べようとしているとき

そそそ

開いた窓越しに

軒先に
ボスが登場しました。

ひゅがーん、
しゅふふふぅぅっ!

毛を逆立て
取り乱したのは
ジョビのすけです。

ぶふうううっ


短い時間
ボスと向き合い
すぐ
とりあえず

ボスの視界から隠れるように
電気ストーブの陰に
身を潜めました。

開いた窓(出口)にはボスがおり

わたしは
いちおう部屋を縦断した向こうの玄関のドアを開けてジョビのすけを逃がすルートも
とっさに準備してみましたが、

ジョビは
それまで部屋の奥に来たことがありませんでしたので

こちらにはこないようでした。

(というか、そもそもわたしはジョビに『味方』だと認められてませんからね)

修羅場か!?

と思いましたが

よく見ると
初めから
ボスのほうは
(いわゆる)なにくわぬ顔です。

基本的に
あのひと(ボス)
鳴かないからね?

もちろん声も出さず
毛も逆立てず

どちらかというとキョトンとした(そぶりに徹している)かんじです。

なになに?
と穏やかに見ているのでしたよ。
(攻撃的でないのだけれど、その場を去らない)

でもやっぱり
ちょっと修羅場感。
しかしまあ
ボスもやはり
わたしに親しげな仕草などは見せないので

まあ
わたしはごはん小皿広場の管理人さんという程度の認識なのだろう。

いいぜいいぜ
かまわないさ。

まあ
そう言いつつも
ゆうべ白黒柄の猫が4匹くらい居てそっと手をのばし撫でる(逃げない)という夢をみましたが。

まあ、猫の夢はわりと見ますけど。

いいぜいいぜ。


そんなわけで

このままでは身を潜めるジョビのすけに悪いなあと

その小さな心臓が早めに脈打ったままに張り詰めさせるのは悪いなあと
思うわけで。

ボスも動かない(あくびさえしましたよ)ので

これは
わたしが打開しないとなあと

立ち上がり

(ちょっとジョビが怯えて見上げる)

(や、味方なんだけどなあ)

いつもの開いている窓のほうにボスがいるので
わたしがゆっくり立ち上がり(敵意のない動作を志向しつつ)窓の反対側の端を開けましたですよ、
それでまあ
結果的に
ジョビのすけが
鋭く駆け出し
(結局いつもの隙間から)
外に脱出しました。
はい。

そのあと
(見送ったあと)
ボスはやはりテンション低めのまま、
ひと呼吸置いて
『しょうがねぇなあ』というかんじに
ジョビのすけを追いかけるように立ち去りましたですよ。

ふー。

どうですかねえ。


初の部屋の修羅場でした。

でもあれだよジョビのすけ、

一度目が一番恐いのだから、もう一度目は終わったわけだから、だんだん大丈夫になっていくよ

というようなことを思いました。


そんなふうに
ごはん小皿広場の管理人を続けようと思いますよどうぞよろしく。