今年の1月にふじみ野市立上福岡歴史民俗資料館を訪問。

 

上福岡貝塚遺跡のM竪穴住居跡模型を「屋根の拭き方がちょっと変わってるな( ・ω・)」くらいの浅い印象、ほとんど忘れかけていた。

 

M号住居址

 

 

 

 

で、一昨日唐突に再会。「あっ! あの住居跡のことだ。Σ(゚Д゚)!!」 

  • 建築史学者の関野克は、埼玉県ふじみ野市の上福岡貝塚で検出されたM号住居址が7回の拡張痕跡を残していたことに注目。
  1. 一回の拡張が平均3m2であることを見出し、それは大人一人が手足を上下左右に広げて寝た際の面積の相当すると考え、一人の居住に必要な面積は3m2であるとした。
  2. 炉の周辺は寝るのに適していないから、これを3m2として引いた。
  3. 【関野公式】 居住人数 = 住居址面積 ÷ 3ー1 (m2)

 

 

 

ふじみ野資料館の展示にも、これを匂わせた記載があった。

でも、これじゃ知らないと絶対分らんぜ(^^;) 誇れることなんだからもっと上手にアピールしてほしい。

 

 

 

芦苅場遺跡を例とした縄文ムラの考察にも、そのベースとなった考え方かもしれない。

 

 

 

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上福岡貝塚(縄文前期/関山式~黒浜式期)

  • 縄文海進期の古入間湾西岸(新河岸川沿い)の武蔵野台地上にできた環状集落。関山期3軒、黒浜期17軒を検出。
  • 昭和12(1937)年、山内清男博士の発掘調査より始まる。