船橋市立飛ノ台史跡公園博物館開催の企画展『国史跡 取掛西貝塚 1万年前のタイムカプセル』を観覧。あわせて遺跡も訪問。 企画展と実際に遺跡地に赴き『取掛西貝塚遺跡が、国史跡指定に値する重要な遺跡』と実感。 その勉強メモ。

 

武蔵野線船橋法典駅まで輪行、姥山貝塚 ⇒ 飛ノ台史跡公園博物館 ⇒ 取掛西貝塚 ⇒ 夏見台遺跡 ⇒ 船橋法典駅(約17km)。

遺跡地には、ちょっとした説明板があるのみで少しの戸建群と畑地が広がっているのみで、何もないと言っていい。 でも、その分『博物館で情報をインプットし、それを脳内で膨らませるて遺跡地を歩く』ことの醍醐味を味わえた。

 

 

 

1. 2021年、国史跡指定

  • 東京湾東岸部に立地する縄文時代早期前葉の貝塚を伴う集落。舌状台地上に東西約320m(76,000m2 ≒ 東京ドーム1.6個)にわたり58棟に及ぶ竪穴建物と土坑が分布し、関東最大級の規模をなす。獣骨を並べた儀礼跡とみられる遺構も発見され、早期前葉の生業と環境、精神文化を知る上で重要。 (令和3年国史跡「新指定・新登録・新選定」答申物件より)

 

 

 

2. 遺跡位置

  • 船橋市は下総台地の北西部に位置し、一帯は樹枝状に開析された台地が展開する。市内を流れる河川は東京湾へ注ぐ水系と印旛沼へ注ぐ水系に大別でき、中でも海老川は市内のほぼ中央を北から南へ流れる主要河川であり、いくつもの小河川が合流して東京湾に注ぐ。特に海老川の東側には、こうした小河川によって開析された舌状台地が東西に細長く伸びている。
  • 東西に伸びる舌状台地のうち、海老川支流の飯山満川及び宮前川によって開析された南北約 0.65km、東西約 1.8km(76,000m2≒東京ドーム1.6倍)、標高 23 ~ 25m の舌状台地上に立地(船橋市飯山満町と米ケ崎町)。 ※ 飛ノ台史跡公園博物館から7キロほど

 

↑空撮写真中央の水色丸から矢印方向を見る。フラットな舌状台地。右家手前の緑地内に10T(トレンチ10)。

 

 

↑空撮写真左下赤〇から矢印方向(南側の飯山満川低地)を眺む。

 

 

 

3. 縄文集落とその変遷

 

 

 

  • 最古の遺物は、縄文時代草創期有舌尖頭器のみ。確実な出土遺物はこれのみであり、早期以前の生活痕跡は乏しい。

 

 

 

3-1. 取掛西Ⅰ期 縄文時代早期初頭

  • 井草式土器を含む土坑/10T-008のみを検出。住居跡は未確認、同時代の遺物の出土数が少ないことなどから現時点ではキャンプサイト的な利用としておく(※ 今後の発掘調査のポイントの一つ)。

井草 I式深鉢(10T-008土坑) 丸底の深鉢。口縁は大きく外反。口縁文様帯が発達し、羽状縄文が施文されている。胴部にははっきりとした縦縄文が施文されている。

 

 

 

  • 夏島式/稲荷台式期の土器は出土量は乏しく、したがい本時期の居住域としての利用度は低いと推察(※ 飯山満川対岸の舌状台地上に夏島/稲荷台式の土器を多く産出する上ホシ遺跡が存在。

 

 

 

3-2. 取掛西Ⅱ期 縄文時代早期前葉(早期集落の開始)

  • 稲荷原/花輪台式土器を含む住居跡を13軒検出。
  • 遺跡中央部から西部にかけて分布
  • 10T-007住居跡の覆土からは早期撚糸文系土器の初期段階である稲荷台式が稲荷原式土器とともに出土している。一方、12T-002住居跡の覆土からは稲荷原式とそれよりも新しい平坂式土器が出土している。 これより、10T007住よりも12T-002住が土器編年的に新しい時期に建てられたものと解釈でき、取掛西Ⅱ期と括られている13軒の住居跡には時間の幅があると推察される。今後の発掘調査で細分の是非が検討される。
 
 
 
3-2-① 10T-001住居跡 ;稲荷原式/花輪台式
  • 稲荷原式/花輪台式時に使用されていた住居と考えられ、後述する12T-002住居と比して古い時代と解釈される。

10T-001住居跡;隅丸方形、中央付近に炉。覆土より花輪台式/稲荷原式土器片が出土。

 

 

 

3-2-② 10T-007住居跡 ;稲荷台式/稲荷原式(比較的古い時期)

  • 稲荷台式と稲荷原式が覆土より出土。比較的古い時期の竪穴住居と解釈可能。

 

 

 

3-2-③ 12T-002住居跡 ;稲荷原式/平坂式(比較的新しい時期)

  • 早期撚糸文系の最新段階にある平坂式が稲荷原式土器とともに出土。

 

 

 

 

 

3-3. 取掛西Ⅲ期 縄文時代早期前葉(早期集落・貝層形成)

  • 東山式 ~ 平坂式土器を主体とする住居跡を13軒抽出。遺跡東部を中心に分布。

 

 

 

3-3-① 9T-001住居跡;取掛西Ⅲ期/大浦山, 東山&平坂式

  • 9T-001(Ⅲ期)と9T-002住居跡(取掛西Ⅱ期)の切り合い関係でも新旧関係を確認。

 

 

 

 

 

3-3-②  取掛西Ⅲ期遺構内貝層(貝塚)の確認(SI-002、003, 004)

  • 住居数は取掛西Ⅱ期とほぼ変わらないが、遺構内貝層が確認された点が最も大きな特徴。
  • 早期において貝層が認められたのは取掛西Ⅲ期のみ。 汽水性のヤマトシジミが圧倒的主体となる。
  • SI-002住居跡内貝層の剥ぎ取りレプリカは、飛ノ台史跡公園博物館に展示されている。

 

貝塚確認地の上に立つ瀟洒な戸建群。

 

 

 

 

 

  • 本貝塚からは 2,000 点を超えるツノガイ類の貝製品が出土し、素材や破損品、未研磨品が含まれることから、ツノガイ類製品の生産・流通に深くかかわる遺跡であった可能性が考えられる。 また、年代測定の結果、測定機器の限界値と考えられる結果がでたことから、化石を加工したことが判明した。産地につ いては、構成される種(千葉県域の第四紀層ではほとんど産出しないヤスリツノガイを含む)から三浦半島の可能性が指摘された。 貝層を全量採取し、篩によって精度の高い回収を行って分析・報告した貴重な事例。
  • ツノガイ類製品は中部山岳地域の洞穴遺跡などでも確認されていることから,広域的に流通していたことは確実であり,とくに本遺跡と同時代の長野県栃原岩陰遺跡出土のツノガイ類製品は本遺跡資料との類似性が高い.このことからみて,本遺跡はその産地を考えるうえできわめて重要。
 
 

 

3-3-③ SI-002住居内の貝層下の動物儀礼(飛ノ台史跡公園博物館に剥ぎ取りレプリカ有);

  • ↓写真手前、褐色覆土上にイノシシ、シカ、タヌキ、トリ等の骨群が集中して検出された。
  • 後述する動物儀礼を満たす4条件のうち3条件を満たしていることから動物儀礼と考えた(縄文早期の動物儀礼として初)。
  • 取掛西貝塚は初期の貝塚とその背景となる社会・文化の特徴をよく示しており、日本の歴史を理解する上で欠かせない遺跡であり、学術上の価値が高い。

 

 

  • 動物の儀礼的取扱いと認定する条件 (西本豊弘 2008); ①頭骨があること、②一定の配列が見られること、③焼くとか孔をあけるなど骨に加工が見られること、④土壇の上や土坑内に置かれるなど施設を伴うことの 4 点をあげ、これらの条件を複数満たす事例に限って動物の儀礼的扱いと認めている。この基準の①②③を満たすことから、取掛西貝塚の動物骨集中を儀礼的取扱いとし、確実な事例としては最も古い事例であるとした。 
  • 動物の頭骨の配列が認められる例として、 他に北海道東釧路貝塚(前期)のイルカ頭蓋骨の配列2例、静岡県伊東市井戸川遺跡(晩期)のシカ・イ ノシシ・イルカの頭蓋骨とクジラ骨の配列例があげられる。類例が少なく、変遷・分布とも検討できる状況にないが、今後、縄文人の精神世界を考える上で注目すべき貴重な事例。

 

 

 

 

 

3-4. 取掛西Ⅳ期 縄文時代早期前葉(早期集落の衰退)

  • 平坂式土器を主体とする6軒の住居跡と前段階に比べ減少する傾向にあり、取掛西Ⅳ期をもって取掛西貝塚における早期集落は終焉へと向かう。。
  • 6T-001住居跡や 23T-003住居跡などは、天矢場遺跡Ⅰ群1類(≒平坂式)の占める割合が高いことが特徴。
  • 本遺跡北東部を中心に分布。
  • この後段階では、沈線文系土器の出土は数点にとどまり、条痕文系土器も出土が一定量認められるものの遺構は検出されていないことから、居住域としての利用は低調だったと考えざるを得ない。  
  • 取掛西貝塚では、早期中葉~後葉にかけて一度集落は途絶えるが、周辺遺跡にはこの時期の集落として、西に 3.2km 程の位置にある飛ノ台貝塚があげられ、この地域から縄文人の生活痕跡が消えるわけではない。

 

 

 

 

 

4. 縄文早期撚糸文系土器編年

取掛西貝塚遺跡から出土のの撚糸文系土器(船橋市立飛ノ台史跡公園博物館)

 

 

 

 

井草 I式深鉢(10T-008土坑) 丸底の深鉢。口縁は大きく外反。口縁文様帯が発達し、羽状縄文が施文されている。胴部にははっきりとした縦縄文が施文されている。

 

 

 

大浦山式深鉢(SI-002住) 砲弾型の器形。胴部に粗い横位撚糸文。

 

 

 

 

東山式深鉢(SK-005) 尖底の逆円錐形の器形。口縁を囲む太い沈線を巡らせる。胴部は無文のナデ成形。内面に棒状工具を用いた横ナデ成形の条線が観察される。

 

 

 

東山式深鉢(5次 SI-002)

 

 

 

東山式深鉢(5次 SI-002)平底