先日、NHKフロンティア 『日本人とは何者なのか』に関したメモ

 

東アジアにおける現代・古代のヒトゲノムデ ータを概観するとともに、これらの再解析をおこないました。その結果、縄文時代人のゲノムが弱いながら古代北シベリア集団のゲノムからの影響を受けていたことを発見しました。

 

 

 

1.ホアビニアン;東南アジアに進出した最初のホモ・サピエンス

  • 現在の通説である『約7万年前の出アフリカ』。シナイ半島を北上したホモ・サピエンスは、一派はヨーロッパ方面に、もう一派は東に進んだ。東に向かった一派は2手に分かれ、ヒマラヤ山脈の北側の乾燥極寒地域を伝い中国大陸へ進み(マルタ人骨)、もう一方は南側の高温多湿地域を伝い約5~4万年前に東南アジアへ到達した(ホアビニアン人骨)。
 
 
  • ホアビニアンの最古例は、43,500年前の中国雲南省のXiaodong Rockshelter(ジアドング岩陰)遺跡
 
 
 
  • ホアビニアンとは、ホアビン文化片面加工の大型礫石器を主とし,後期更新世の約5万年前から完新世のはじめ頃(4,000年前)までに東南アジア大陸部に分布した石器文化。仏考古学者 マドレーヌ・コラーニ Madeleine Colaniの命名)の使い手である狩猟採集民。4,000年前にこの地に進出してきた農耕民族との交配により彼らの古いDNAタイプは消滅(縄文と弥生の関係と似ている( ・ω・))

 

 

 

 

 

 

2. ホアビニアンならび古代東南アジア人のゲノムと現代アジア人ゲノムの解析

  • ラオス Pha Faen洞窟遺跡で発見された8,000年前(=早期縄文)のホアビニアン人骨(La368)からDNAの抽出に成功。

 

 

 

  • 他に25の東南アジア古代人のゲノムを解析しGroup2~6にまとめた。
 
 
  • 上記ホアビニアン(La368)はGroup1とし、現在のアジア人のDNAと近親度を比較した。 ⇒  ① 古代東南アジア人(Group2/3/4)は、時代的にも近いこと、近隣地域でもあることからもホアビニアンDNAと高い近縁度を示す想定通りの結果、 ② Group5/6が遠い近縁度を示すことはホアビニアンの東南アジアにおける拡散の仕方が一様ではないことを示唆、 ③ ホアビニアンから一番遠い近縁度は当然のことながらヨーロッパ人。

マレーシアGua Cha遺跡出土のホアビニアン人骨

 

 

 

 

3. 縄文人(晩期, 伊川津貝塚@田原市)の近親度

  • 上記ホアビニアン遺伝子との近親度に縄文晩期の人骨(IK002 / 井川津貝塚@田原市)から抽出したDNA解析結果を重ねてみた。

 

 

 

  • なんと、伊川津縄文人(IK002/縄文晩期)は、ホアビニアンの遺伝子と極めて近い近親度を示す分析結果となった。 

 

 

 

 

4. ホアビニアンと伊川津縄文人(IK002)

4-1. ホアビニアン

  • 4~5万年前にアフリカから東南アジアに到達したホモ・サピエンスは、ホアビン文化の使い手であるホアビニアンとして4,000年前頃まで東南アジアに拡散し狩猟採集生活を送っていた。その拡散は、DNA分析から↓図のような移動経路が推定される。
  • Group5に関しては単純な南下ではなく台湾 ⇒ フィリピン諸島 ⇒ インドネシア・カリマンタン島 ⇒ スマトラ島と大きく太平洋諸島を回遊し到達していると考えられる(遠い近縁度)
  • 4,000年前に揚子江周辺から水稲農耕民が南下しホアビニアンと交配、その過程で彼らの古いDNAは薄まり消滅(古代東南アジア人と現代東南アジア人との遠い近縁度)
  • 農耕民が東南アジアへと南下する以前に、東南アジアを脱して北に向かうホアビニアンの一派がいた。彼らはホアビニアンDNAを保持したまま南中国を通過、日本列島に入り伊川津縄文人のルーツとなった。
 
 
 
 
4-2. 伊川津縄文人(IK002)と現代日本人
  • 2万年前のLGM(Last Glacial Maximum)など、日本列島は対馬海峡・宗谷海峡・津軽海峡で大陸と地続きとなった時期があった。それを機会に渡来したと推察。(38,000~37,000年前に既に縄文人による神津島黒曜石を求めた外洋シャトル航海がなされている。大陸との地続きではなく海峡が存在していたにせよ、彼らの外洋航海術があれば日本渡来は可能であると考えられる。)
  • 温暖期に入り海面上昇による大陸からの切り離し効果で、大陸人とのDNA交配は急減もしくは途絶しホアビリアンのDNAは列島内に保持された。
 
 
 
  • ゲノム分析から想定される渡来し縄文人となったホアビニアンの数は、およそ1,000人。 たった1,000人ながら現代日本人の中に縄文人(ホアビニアン)のDNAは確実に残っている(1割の縄文人DNAが東京の人たちに、3割および7割の縄文DNAが沖縄の人たち、アイヌの人たちにそれぞれ残されている)。 

 
 
 
  • 東南アジアから中国大陸、モンゴルに住む現代人DNA主成分トレンド(大陸トレンド)から外れている現代日本人。 更に外れたところにプロットされる縄文人(ホアビニアン)DNAに引っ張られて大陸トレンドから外れている様子が見て取れる。(現代日本人に縄文人のDNAが残っている証拠)

 

 

 

 

 

 

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補足;

  • 古代北シベリア集団のゲノムからの影響が見出された縄文人DNA(長田直樹、河合洋介 2021)のサンプル資料は、北海道礼文島の船泊遺跡からのF23人骨から。 F23は北回りのマルタ人骨系との交配する機会も多く、一方のIK002にはなかったのかもしれない。 多方面から日本列島にホモ・サピエンスがやってきたのだろう。言葉も風習も異なっていたのだろうな。「まさに人種の坩堝だった」のかも。
  • 冒頭の現在のマニ族の写真;他族と非接触生活をおくる『山の民』。しかし、彼らとホアビニアンのDNA近親度は番組では示されていなかった。彼等は縄文人(ホアビニアン)と近い関係にあるのかDNAなどの具体的データで見てみたい(モニター継続)。

 

  • 考古学は発見の学問; 人類の足跡と縄文人のルーツの解明はまさに現在進行中
  1. 2015年10月14日 NatureTeeth from China reveal early human trek out of Africa』中国南部の洞窟で出土した歯化石によって、ホモ・サピエンスが約10万年前には中国に到達していたことが明らかになった。これまで多くの研究者は、この年代に我々ホモ・サピエンスがアフリカから遠く離れた地域に達していたとは考えていなかった。 DNA分析では7万年前に出アフリカしたホモ・サピエンスが原人類の祖先(ミトコンドリア・イブ)であると。 その前に出アフリカして10万年前に中国に到達していたホモ・サピエンスは子孫を繋ぐことに失敗し途絶えたのだろう。

 

 

 

  1. 2018年01月29日 NATIONAL GEOGRAPHIC人類の出アフリカは18万年前?定説覆す化石発見』イスラエルでの今回の発見は、ホモ・サピエンスが今から約18万年前にユーラシア大陸に足を踏み出していたことを示している。これまで考えられていたより5万年以上早く、モロッコでの発見を補強するものになっている。