2022年は、趣味と実益を兼ねて縄文土器を中心に各地の博物館、郷土資料館、埋文センター他を訪れまくった。 本や発掘調査報告書等で夜毎行った至福のクロスチェック作業と合いまって、やがて『縄文土器を創った縄文人って誰? 私たちとの関係は?』等々の思いに至った。

上;埼玉歴民館、左下;加曽利IV式(早稲田の杜ミュージアム)、中下;水煙紋土器/勝坂III式(南アルプスふるさと郷土伝承館)、右下;合掌土偶/縄文後期(是川縄文館)

 

上;大湯環状列石遺構/縄文後期(秋田鹿角市)、中;亀ヶ岡遺跡/縄文晩期(青森つがる市)、下;里浜貝塚(宮城東松島市)

 

 

 

 

『縄文土器を創った縄文人って誰? 私たち現代日本人との関係は?』

 

1.三重構造モデル

  • 現代日本人の形成に関する埴原和郎・東京大学名誉教授の仮説。
 
 
  • 東南アジア起源の縄文人という基層集団の上に、弥生時代以降、北東アジア起源の渡来系集団が覆いかぶさるように分布して混血することにより現代日本人が形成された。
 
 
  • 渡来系集団は、北部九州及び山口県地方を中心として日本列島に拡散したので、混血の程度によって、アイヌ、本土人、琉球人の3集団の違いが生じた。
 
 
 
  • 本モデルは、多数の古人骨と現代人骨の形態データを多変量解析法を用いて解析し,日本人の成立に関するセオリーとして提示された。
 
  • この仮説は大筋では受け入れられているが、基層集団の起源が北東アジアではないかとの意見も強い。

 

 

 

2. 縄文人のヒトゲノム

2-1. 【ヒトゲノムの基礎知識】

  • 大人では約60兆個もの細胞からなっている。細胞には、細胞と呼ばれる部分があり、その中の24種類の染色体に”遺伝情報”が蓄えられている。遺伝情報を担っている物質は、DNA(デオキシリボ核酸)で、これをヒトゲノムの呼ぶ。
  • ヒトゲノムのDNAには、アデニン(A)グアニン(G)シトシン(C)チミン(T)の4種類の”塩基”(部品)よりなり、その文字列(塩基)は32億文字列(塩基対)にもなる。この32億文字列のうち、タンパク質の設計図の部分を「遺伝子(約23,000個)とよぶ。


※ ミトコンドリアにも遺伝情報を伝えるDNAが存在するが、 母系遺伝(母親からの性質だけしか伝えない)であること、ゲノムサイズが小さく遺伝情報に制限があること等から細胞核内のヒトゲノムを用いた分析の方が有利。

  • 細胞核中のヒトゲノムを用いて先祖から子孫へと連綿と繋がる遺伝情報を解析し、『 縄文人はいつ、どこから来たのか。現在の日本列島人は本当に縄文人のDNAを受け継いでいるのか』を解析、検討してゆく。

 

 

2-2. DNA 主成分分析

参考;

神澤秀明 (国立科学博物館) . 2015. 縄文人の核ゲノムから歴史を読み解く. 季刊「生命誌」87号

篠田 謙一(国立科学博物館 館長)新学術領域研究「ヤポネシアゲノム」A02班研究代表者. 2022. 古代ゲノムで検証する二重構造説. 埴原和郎二重構造モデル論文 発表30周年記念 公開シンポジウム 

Takehiro Sato, et al. 2021. Whole-Genome Sequencing of a 900-Year-Old Human Skeleton Supports Two Past Migration Events from the Russian Far East to Northern Japan. Genome Biol. Evol. 13(9)
長田直樹、河合洋介.2020. ゲノム規模の遺伝子データを用いて日本列島への人類の移動モデルを探索する. Anthropological Science
 
  • ヒトゲノムの分析は,人骨等を用いた形態学的な研究からは捉えることの難しい混血の程度 までを明らかにすることができる。
  • ↓図は、現代の日本人を含む東アジアの集団および縄文人と弥生人のSNP(ヒトゲノム中に存在する1塩基の違い)デー タをもとに、主成分分析という方法を用いて、個人・集団の関係を図式化したもの。

  1. 図の下から斜め右上の方向に向かって,ユーラシア大陸東部の集団が北から南に向かって並ぶ。
  2. 現代日本人はこの大陸集団から離 れた部分に位置しており,北京の中国人と現代日本人の中間には韓国人が位置している。
  3. 縄文人は現代のアジア集団とは大きく異なっている。  
  4. 本土の現代日本人が持つ遺伝的な特徴は,北東アジアの大陸集団と縄文集 団の混合によって形成されたということが図から読み取れる。
  5. 興味深いのは,韓国人の位置で,これは朝鮮半島集団の基層にも,縄文につながる人たちの遺伝子があることを意味している。このことは初期拡散で大陸沿岸を北上したグループの遺伝子が朝鮮半島にも残っていたためだと考えられる( 6千年前の韓国新石器時代の䉌項遺跡の2体のゲノムで,いずれも現代の韓国人よりも縄文的な遺伝的要素を持っている
  6. 東北の弥生人は完全に縄文的なゲノムを持つが,縄文人の直系の子孫と考えられてきた西北九州の弥生人では,かなり混血の進んでいるものもいた。
  7. 渡来系とされる弥生人もこの分析では現代日本人の範疇に入っている。これまでは渡来系弥生人を,現在の朝鮮半島集団と同一視するイメージがあったが,この分析結果はそれを変える必要がある(≒ 渡来系弥生人の起源に関しては、最近の研究では、稲作農耕民と雑穀農耕民が朝鮮半島に流入し、そこで在地の縄文系の遺伝子を持つ集団と混合することによってあらたな地域集団が形成され,その中から生まれた渡来系弥生人が三千年前以降に日本列島に到達したというストーリーが提唱されている)。
  8. 弥生の中期以降にも大陸から多くの人々 の渡来を想定しないと現代日本人の遺伝的な特徴を説明できない。  
  9. 現状では稲作の起源地である揚子江中流域の古代ゲノムデータがないので検証はできていないが、渡来系弥生人の主体を、北東アジアの西遼河を中心とした地域の集団と考えており、二重構造モデルと概ね一致(↓グラフ)
  10. 一方、本土の現代日本人集団に関しては、在来の縄文人と渡来人の混合によって成立したというスキームは支持されるが、北海道の集団に関しては、 在来集団が周辺地域からの遺伝的な影響を受けていることも明らかになっている。とりわけオホーツク文化人の影響は無視できず、北海道の集団の成立史を考える際に、本土日本の周辺という見方は適切ではなく、日本列島集団の成立は、複眼的な視点で語る必要があることも分かってきた。
 
※3. 縄文人のDNAが、現代アジア人集団(北東&南東アジア人)のそれと大きく異なっているということは、かなり早い時期に現代アジア人集団から分かれたことを意味している。すなわち、縄文人は北東 and/or 南東アジア人のどちらにも属さず、東アジア人の共通祖先から分岐したという系統関係になった。
 
 
※9. ヒトゲノム主成分分析;『縄文人という現代日本人の基層集団に縄文人が居り、弥生時代以降に中国・朝鮮半島から北部九州及び山口県地方を中心に渡来した渡来人が、日本国内に拡散した』 よって、推定上陸地から距離的に遠い地域に住む北海道アイヌ、琉球人のDNAは、本土日本人のDNAよりも縄文人のDNA主成分値に近い位置にプロットが落ちる。

 

 

※ 10;礼文島船泊遺跡で発見された12世紀(平安院政期)の女性遺骨から抽出したDNAは、北方の極東ロシアのニブフ族、ウリチ族のDNAに近い。これは、弥生・古墳時代以降もオホーツク文化圏での交流・交配があり、日本列島集団の成立に影響を与えていることを示している。

 

 

 

  • 東アジアにおける現代・古代のヒトゲノムデータの再解析を実施した結果、縄文人のゲノムが弱いながら古代北シベリア集団(オロチョン人、ダウール人、ホジェン人)のゲノムからの影響を受けていたことが判明。

 

 

 

 

3. 縄文人はいつ、どこから?

  • ヒトゲノムという強力なヒトの体内に記録されている人類史を読み解いた結果は、現時点で、縄文人の人骨形態データを多変量解析法により解析し提示された『二重構造モデル』を支持する体となっている。
  • 従来の『縄文人は東アジア人から分化した』とする考え方に対して、更に早い時期である『東アジア人の共通祖先から分化した』可能性が出てきている。
  • 南方から日本海流に乗ってやってきた縄文人のイメージ(≒ 東南アジア人)があったが、北東アジアから(サハリン島経由等?)で日本列島にやってきた可能性がある。
 
 
 
 
 
 
 
この美しい縄文の土器を創った縄文人と私たちは、遺伝情報的には少し異なっているようだが、この体の中に縄文人の遺伝子(精神)は間違いなく生き続けているようだ( ・ω・)