加曽利 B 式:
- 1924年に調査された千葉県加曽利貝塚の B 地点貝塚出土の土器を標準として山内清男氏によって型式設定された。
- 1939年に『古い部分,中位の部分,新しい部分』と三つに分けられ,その後も多数の貝塚・包蔵地出土の資料の吟味を経て, 加曾利B1・2・3式と明確になった土器形式。
- 大型の深鉢が主体の加曾利 E 式と比べると小型の深鉢、壺、注口土器など、目的や用途に合わせて機種の多様化が見られる。
- 装飾性が低く、実用的な『粗製土器』(粗い縄文や条痕文が無造作に付けられる)と、装飾性が高く表面の仕上げが丁寧な『精製土器』(細かい縄文が付けられ、沈線で区画した部分を磨り消し、器面は丹念に磨かれる)に分類でき、精製土器は「異形台付土器」など非日常的な品種が発達する。
- 形や模様によって B 1~ B 3 式に細分され、それぞれ粗製と精製土器に分類することが可能。
- やや緻密な土で薄手につくられ、焼成は硬い
縄文土器大成③(後期)
加曽利 B2 式:皿、浅鉢、深鉢、注口土器、壺形土器などに変化が見られ、B1式から性質が変わってきている。B1式に見られた関東東部・西部の土器組成・文様の斉一性が崩れ、地域差が現れるようになる。
- 皿、浅鉢;平底の他に丸底を有するもの、台を有するものを見掛ける。
- 深鉢器形の差は多いが、底の甚だ小さなものは少なく、中には体下半筒形を手押し、比較的大きな底を有するものもある。
- 口縁は平たなものが多いが、波状の大きな突起を有するものが目立ち、堀之内以来の小突起が小さくなっている。
- 文様では「体部の装飾としては磨消縄文があるが、平行線化したものは少なくなり、性質が変わってくる。他に斜線や矢羽根状沈線を加えた特有の文様帯が一つの特徴を成している。
- 把手のある精製深鉢(↓図24/25/26)は西部方面に限られ、東部は波状口縁の形体をとる。
- 東部では早くに斜行沈線、矢羽根状沈線が出現(↓図 )。
ソロバン状体部
加曽利 B2 台付き土器(福田貝塚)
② 加曽利 B2 磨消縄文(遠部台貝塚、千葉県佐倉市)、③ 加曽利 b2 波状口縁(大森貝塚、東京)
加曽利 B2 波状口縁(大森貝塚)(大塚1983)
加曽利 B2 式 深鉢 (千葉県圓生貝塚)高24.3cm、4単位把手、磨消縄文、
加曽利 B2 式 深鉢 (埼玉県東谷遺跡)高23.5cm
加曽利 B2 式 深鉢 (千葉県余山貝塚) 高28.4cm、斜線横帯文、
加曽利 B2 式 深鉢 (千葉県上新宿貝塚) 高25.8cm、頸部に横帯文
213(左上);加曽利 B1 式 深鉢 (千葉県六道貝塚) 高12.5cm
214(左中);加曽利 B1 式 深鉢 (茨城県福田貝塚) 高13.0cm
215(左下);加曽利 B1 式 深鉢 (千葉県堀之内貝塚) 高20.5cm
216(右上);加曽利 B2 式 深鉢 (茨城県落神貝塚) 高12.0cm
217(右中);加曽利 B2 式 深鉢 (千葉県中沢貝塚) 高23.3cm
218(右下);加曽利 B2 式 深鉢 (千葉県余山貝塚) 高21.5cm
219(左上);加曽利 B2 式 深鉢 (千葉県余山貝塚) 高28.2cm
220(右上);加曽利 B2 式 深鉢(茨城県立木貝塚) 高18.2cm
221(左下);加曽利 B3 式 深鉢 (千葉県余山貝塚) 高32.7cm
222(右下);曽谷式 深鉢 (埼玉県東谷遺跡) 高50.5cm
223(左上);加曽利 B1 式 深鉢 (千葉県曽谷貝塚) 高42.5cm
224(右上);加曽利 B2 式 深鉢 (千葉県余山貝塚) 高26.8cm
225(左下);加曽利 B1 式 深鉢 (茨城県上高津貝塚) 高45.6cm
226(右下);加曽利 B2 式 深鉢 (千葉県中沢貝塚) 高29.8cm
230(上);加曽利 B2 式 鉢 (茨城県村田貝塚) 高17.6cm
231(中);加曽利 B2 式 鉢 (茨城県椎塚貝塚) 高12.7cm
232(下);加曽利 B2 式 鉢 (茨城県落神貝塚) 高8.2cm
加曽利b2(公津原 Loc39遺跡)、斜線文が観察される。⑧、⑪に磨消縄文。(大塚1983)
加曾利B2式 (遠部包含地@千葉県佐倉市) 長楕円形文(第一章 加曾利B式土器学史抄論 大塚達郎)
第29図1:加曽利B1(大木戸遺跡)単沈線蛇行文の左右を向いた沈線が、横帯と左右交互に一体化することにより成立している。第29図2は中妻遺跡出土の長円形文が描かれた土器(鈴木1981)。横帯の波長部と波底部を同じように区切るため、結果として閉じた長円形にならず、長円形の中をうまく磨消していない。新しい段階では長円形文となり、磨消可能となると考えられる(第30図)。
B2式に特徴的な斜線文と磨消文(大屋・上野 2014)
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