30分ほど待っていたでしょうか、
泣きながらパパに電話をすると
「えっ!?・・・」
と言った後、その後声がでていませんでした、しばらくして
「そうか、、、そうなんだ・・・」
と言ってたかと思います。
後はどんな話をしたか、正直あまり覚えてません・・・
娘が家で一人で待っていたので、入院になるかもしれないし、
と思い、母に電話したところ、電車で移動中のようだったので、
父に電話をしました。
父の声を聞いた途端、また涙がまた止まらなくなりました。
「白血病になっちゃった」
と伝えたら
「そうか、、、頑張るしかないな!」
と言っていました。
父が娘のいる家に向かってくれたので、
次に妹の連絡。
ラインだけしたところで、看護師さんに呼ばれました。
「慢性骨髄性白血病で間違いないでしょう」
ということでした。
病名を聞いても涙が止まらずにいると
「昔は不治の病という感じでしたが、
今はかなり画期的な薬が開発されて、かなりの方が生存されています。
高血圧の方が、普通に暮らしているけれど、薬は毎日飲まないといけない、
というのと同じような感じです」
(ちょっとこのあたりの言葉が具体的にどんな風に言っていたか忘れてしまったので、
雰囲気で読み取ってください)
とおっしゃいました。
『えっ、死なないの!?生きられるの!?』
と心の中に希望が持てました。
ただ、
仕事はここ2~3ヶ月は辞めておいた方がいいこと、
髪の毛は抜けないこと、
肌が荒れてニキビがたくさんできてしまうこと、
を伝えられました。
娘の成長を見ていけるのであれば、頑張ろう!
そう思いました。
そして、
「現時点で病名は確定なのですが、骨髄穿刺(マルク)をすると、より正確なデータがえられるので、
薬の増減を詳しく考えられるのですが、どうしますか?やりますか?」
「痛いんですよね・・・」
「そうですね、のたうち回る人もいれば全然大丈夫、という人もいます、
でも出産よりは痛くないみたいです」
「・・・やります」
そう言って、書類にサインをしました。
その後、看護師さんからマルクの説明を受けました。
病院で、診療代の順番が呼ばれるのを待っているときに、妹から電話がありました。
「すぴかちゃん、大丈夫?」
妹の声を聞いてまた号泣です。
ただ、今は医学がかなり進歩していることを伝え、
薬でなんとかコントロールできるかもしれないことを伝えました。
診察代を支払い、薬をもらって、車に乗ったら、
涙がどんどん出てきました。
薬でコントロールできるかもしれないと思いつつも
涙が止まりませんでした。
家に帰ったら、娘が待っています。
娘の前では泣けない、だからここでたくさん泣こう!
と思ったのですが、隣の駐車場におそらく業者さんでしょうか、
その車が止まっていて、中に人がいたので、思い切りは泣けませんでした。
1時間ほど車にいてから、家に帰りました。
帰ると、父と母、そして娘がいました。
ついた途端、涙がでてきてしまって、
コートをしまうふりをして部屋にいったのですが、
娘にはなれていました、
「ママ、なんで泣いてるの?病気なの?」
と言われましたが
「泣いてないよ?ちょっと眠くてあくびしたら涙でただけ」
と言いましたが、なにか病気なんだなというのはわかったんだと思います。
その日の夜は、
私の布団に入ってきて、くっついて一緒に寝ました。
翌朝、パパとあまり話せていなかったので、娘が起きていないうちに話をしました。
先生が書いてくれた説明用紙と今後のことを。
その頃は、付加給付があって金銭的にはなんとかなる、と思っていなかったので、
私は金銭面がとても気になっており、これからどうしようということを話していました。
「お金のことはいいから、とにかくすぴかは身体を治すことを一番に考えないと。
お金は気にしなくていいから」
と言ってくれました。
そのときに、パパが泣いている姿を初めて見ました。
どんなことがあっても泣かない人だと思っていただけに、びっくりしました。
いろんなことが変わっていくんだ、どうなっていくんだろうと、不安でした。
その後の話は↓のブログに続きます。
→2017.03.25 夢。