天然記録 -84ページ目

デイリーランチ アマトリチャーナ

 

 

グレープフルーツジュースとマンゴープリン

 
お会計時、レジ横冷蔵庫のマンゴープリンの値段が
なんと400円くらいでびっくり!最後に得した気分

 

 

 

 

 

 

 

↑こちらより抜粋

 

寺田屋事件で島津久光に

クーデターの出端をくじかれた長州藩の動きはどうなっていたのか?

この間、もっとも注目すべきは高杉晋作の動向であろう。

長井雅楽(うた)の「航海遠略策」が藩論として採用され

藩の中で公武合体派(佐幕派)の勢いが強くなったことは

高杉のもっとも心外とするところであった。

そこで高杉は、問題を一気に解決し

藩論を倒幕に転換させるために思い切った策を考えた。

それは高杉自身が脱藩し刺客となって長井を暗殺する、というものである。

 

そして、その計画をもっとも信頼する兄貴分である

桂小五郎(木戸孝允:たかよし)に打ち明けた。

桂は反対だった。

桂は後に京に入って活動し、何度も新撰組に命を狙われるが

相手を一人も殺さず常に逃げのびたので

「逃げの小五郎」という異名を取った。

臆病だったのではない。戦う時は戦う剣術の達人である。

桂は無暗に人を殺すことや、暗殺という姑息な手段が嫌いだった。

また長井を討つまでもなく藩論を引っくり返す自信もあった。

つまり、高杉のような有為な人材を一暗殺者にしたくなかった。

やめろなどと言えば反抗して、かえって過激な行動をしかねない。

なにしろ松陰門下では「放れ牛(暴れ馬)」と言われた男である。

桂は高杉に暗殺をやめさせる有効な手段の心当たりがあった。

海外留学である。


「腐っても鯛」ならぬ「腐っても幕府」には

海外の事情を知り、交流を深めることが

国益に敵うと考えている開明的なグループがあった。

そして、そうした人々の中には、幕府だけではなく諸藩の有為な人材を

こうした海外との交流に参加させるべきだという考えもあった。

そうした人々としては勝海舟がもっとも有名だが、勝一人では決してない。

そうした開明派の人々と桂は、当然ながら交流があった。

桂はそのコネを利用して

折しも幕府がイギリス公使オールコックの勧めを受けて

ヨーロッパに派遣しようとしていた調査団に高杉をもぐり込ませようとした。

そして、高杉には

「ヨーロッパに行けるかもしれないから、準備をしておけよ」と言った。

効果はてきめんだった。

高杉は大いに喜び、長井暗殺のことなど忘れてしまった。

 

ところが、この調査団、目的が約束した兵庫開港の延期などを

ヨーロッパ各国に求める使節団となったためか

勘定奉行竹内保徳(やすのり)以下のメンバーが幕臣中心に固められてしまった。

つまり、高杉はメンバーから漏れた。

しかし、桂は慌てずに次の機会を待った。

開国通商を約束してしまった以上

こうした試みは一回で終わるはずがないからだ。

そうしたなか、幕府でも

これまで長崎商人に任せっ放しにしていた清(中国)との貿易を

調査団を送って見直そうではないかという動きが高まってきた。

驚くべきは桂の政治的能力である。

その情報を素早く摑んだ桂は

藩庁をも動かし、まんまと高杉を長州藩士の身分のまま

この調査団に送り出すことに成功したのである。

この時点で、幕府に対する影響力は、久光の活動もあって薩摩の方がある。

にもかかわらず、正式メンバーを獲得したのは長州の方であった。

それを考えれば、桂という男の能力の高さ、人脈の大きさがわかるだろう。

 

「自分の目で欧米列強が清を食い物にしている様を見届けて来い」

と命令を受け、勇躍江戸を後にして、長崎に向かった。

これが文久2年の正月のことで、長崎に入った高杉は

およそ3か月ほどそこで待機させられた。

調査団の乗る船が見つからなかったからである。

藩からもらった「交際費」で幕府の高官を接待し情報を集め

何人もの外国人とも会った。

オランダ生まれのアメリカ人宣教師に会って話を聞いている。

「アメリカでは市民が選挙によって大統領になれる」

という仕組みをここで知った。

ハシカにかかるというアクシデントもあったが

高杉は文久2年4月29日(1862年5月27日)

長崎を出航し上海に向かった。

寺田屋事件の6日後のことだ。

 

高杉を乗せて上海へ向かった船の名は千歳丸(せんざいまる)といった。

元々、イギリス商船アルミスティス号で

長崎で幕府が乗組員込みで購入した、3本マストの木造帆船であった。

代金は洋銀3万4千ドル(19万両)であった。

排水量358トンという小さな船で

船長以下イギリス人の乗組員が15名

幕府から勘定吟味役根立助七郎以下4名

長崎会所から役人、通詞、医師など7名

長崎商人が3名、そして高杉ら同行を許された各藩藩士

水夫など雑用係りも含めて日本人は全部で51名だった。

そして、これに貿易アドバイザーとして

長崎在住のオランダ商人が1名加わり、乗組員の総勢は67人である。

船はほぼ一週間で上海に入港したが

航海中は荒天で、高杉は激しい船酔いに悩まされた。

 

まず高杉が驚いたのは

日本の海ほど広い河の上に、膨大な数の船が停泊していることだった。

まさに見渡す限り船ばかりなのである。

次に驚いたのは

貧しい清国人の民家と比べて、あまりにも豪壮な欧米各国の商館であった。

調査団といっても、任務は幕府の役人の仕事だから

高杉たちは大いに時間があった。

そこで、広東人の案内人を付けてもらい租界:そかい内

(外国人の居住および治外法権や自治権を認めた特別区域)

を「観光」したのだが

どこへ行っても日本人が珍しいのか、人だかりができてしまい

当初は買い物をしたりすることも難しかった。

しかし、それでも高杉は書物(漢書)や珍しい物品を買い込んだ。

この時、土産に買った二丁のピストルのうち

一丁が高杉から坂本龍馬に贈られ寺田屋事件(第二次)の際

龍馬がそのピストルを発砲して幕吏(ばくり)の手から逃れたことは有名である。

 

ところで取引と言えば

この一行の目的であった清国との貿易については

結果は散々な失敗であった。

幕府は、長崎商人のアドバイスを受け、清国で売れそうな日本の物産品である

干しアワビやコンブなどを持って行ったのだが、結局は買い叩かれることになった。

一見、不思議に思えるかもしれないが、当時の清国政府側の記録を見ると

この結果はむしろ当然であることがわかる。

 

「最近、西洋各国は日本と通商して以降

日本の物産を全部上海に運んできて販売する。

貨物が増えたら値段が下がるのは当然であろう」

 

上海道台(国の出先機関)の長である呉煦(ごく)の文章である。

注意すべきは

この時点で日本は清国といかなる通商条約も結んでいないということだ。

あくまで清国は、アジア諸国と「貿易」をするという考えは持っていない。

呉煦は従来通りの「朝貢体制の観念に基づいて日本と対応」していた。

つまり「中国皇帝こそ世界の中心で周辺は野蛮国」という

中華思想を相変わらず保持し続けていたのである。

これに対すると言うべきか、高杉ら一行の清国に対する印象が興味深い。

それは一言で言えば「幻滅と軽侮」であった。

一行がもっとも閉口したもの

それは上海の街のはなはだしい不潔さであった。

 

租界はまだましだが、一歩清国人の住居区に入ると

人糞があたりかまわず捨てられていて

文字通り足の踏み場も無いほどなのである。

そして、そのためにまともな水を飲むことはまったく不可能だった。

高杉が「無雨国」と表現したくらい雨が降らず、ほとんど井戸も無い。

上海の人々は、糞尿を通路や広場に捨て

その容器を黄浦江(こうほこう)で洗う。

そして、その水を人々は直接飲料水としていたのだ。

一行すべてが下痢に悩まされ、そのうち3人はコレラにかかって死んだ。

 

住民は犬や馬や羊の死体をすべて河へ投げ込むし

たまには人間の死体も流れて来る。

コレラで死んだ病人を葬る余裕も無いため河へ投げ込んでしまうのだ。

河上に浮かぶ船もすべてタレ流しである。

井戸は市内5ヵ所ぐらいしかないので、住民はこの河の水を飲んでいる。

ではどうやって、こんな汚れた水を飲むのかと言えば

ミョウバン(明礬)を浄水剤として使うのだ。

溜まった水に入れて

しばらくして上澄みの水が出て来たところを飲むのである。

もちろん、沸騰させて茶にして飲む方が安全なのだが

今と違って昔はそう簡単に火はおこせないし、茶葉自体も高級品である。

「臭気に満ち、汚物にあふれ、水すらまともに飲めない国」

それが高杉の見た清国の現実であった。

 

室町文化のところでも述べたが

茶というものがなぜ中国で発達したかと言えば

高杉たちも見たように「生水が飲めない」からなのである。

ところが日本人は、川の水を飲める国に住んでいるから

茶も「浄水剤」であるという本来の役目が忘れられてしまう。

茶は酒のような嗜好品(必須の食物では無く、好みで選ぶもので

人によっては無くてもかまわないもの)では無く

人間の生活にとって必需品なのである。

ついでに言えば、紅茶もコーヒーもそうである。

イギリス人がアヘン戦争を起こしてまで中国の茶を求めたのも

植民地としたインドで大々的に栽培させたのも

イギリスにはまともな水が無いからだ。

そのイギリス商人に高い値段で茶を売りつけられた植民地のアメリカでは

人々が怒って茶箱を海に投棄し、茶を飲むのをやめてしまったが

代わりにコーヒーを飲まざるを得なかった。

アメリカでもイギリスよりはマシだが、川の水は飲めないからである。

 

高杉は結局、この上海行のみが海外経験のすべてとなってしまい

ヨーロッパなどには行けなかった。

もし、彼がフランスに行っていたら

「歩道がクソまみれ」なのは清国だけでは無く

「花の都パリ」もそうだということを知っただろう。

実はハイヒールは道路上の汚物を

できるだけ踏まずに済むように工夫された靴で

だからこそフランスで発達した。

そうした現実を知れば、高杉も他の選ばれた藩士たちも

清国を徹底的に軽侮することは無かったかもしれない。

 

高杉にとっては尊敬すべき儒者が、いざ一緒に町を歩いてみると

外国人に対して卑屈にペコペコと頭を下げている。

孔子廟(こうしびょう)があるというので行ってみたら

外国人の兵士が礼儀もわきまえず内陣でゴロ寝をしたりしているのに

皆恐れて誰も咎めない。

しかし、そういう何もできない政府に対し

高杉と一緒に来た幕府の代表が地元の役人を通して交易を申し込むと

清国側は一千年以上変わらぬ態度で

「貢物を持って来たのか」という「朝貢貿易」

つまり中華思想的対応しかしない。

「われわれ日本人には中国中国と威張るくせに

外国人には奴隷のように卑屈であり

そもそも水すらまともに飲めない国」

それが高杉ら一行の中国に対する印象、評価の最大公約数であった。

 

そして、これが彼らを通して、日本人全体の中国観を形成していた。

高杉は若くして死んだが(享年29)

その遺文(手記、論文等)は広く若者に読まれた。

この上海行が残した影響は

冒頭に述べたように特殊なケースでは無い。

現在の日本人が中国を訪れても

その感想は高杉一行のものと、それほど変わらないのである。

このことは、日本人が中国人及び中国と付き合っていく上でも

深く留意しなければならないだろう。

「トイレの神様」がいるのは日本だけで、他の国には無い。

その事を肝に銘じない限り、日本は国際社会において

またどこかの国と摩擦を起こすだろう。

高杉は約2か月間の滞在の後

文久2年7月14日(1862年8月9日)長崎に戻った。

 

 

えび、アボカド、ニンニク
Sサイズで150gで多い

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

トラは強運だと思ってる人は考え直した方がいい

これは仕込みの当事者グルのお芝居

メディアはすべて誘導劇と疑った方がいい

 

上の写真から後ろの女の人、移動した?

 

後ろのおじさん↑に居た??

 

後ろの女子達がいない

 

なんだか観客が違う

 

 

そもそも後ろが空で

 

これ、明らかに加工写真では?

 

血が下にたれてない

 

 

 

左の眼鏡帽子ロン毛のおじさん怪しい

 

 

 

 

手に血がついてない?

 

いきなり現れた国旗

 

構図もバッチリ

 

 

空の色が違う

 

 

 

 

この瞬間を撮ってるのも謎、しかも連写はない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

薬の印刷の黒い文字もグラらしい

歯医者の麻酔も最近ばグラ入り

衣類、マスクもグラ入り

それを避けて食料、水もなら

自給自足以外、未もこれからは逃げ場がないので

少しでも多くの人に本丸に気づいてもらいたい

 

 

↑より転載

 

日本では、タトゥー(刺青、入れ墨)はヤクザの象徴でしたが
現代では世界中でファッションの一つとして流行しています。
 
先日も、全身にタトゥーを入れている女性や
日本のヤクザが入れるような模様のタトゥーを入れている
10代の男の子も見かけました。
 
還暦を超えている男性も
ファッションとしてタトゥーを入れている人もいます。
 
欧米社会では
全体の20~30%の人々がタトゥーを入れているようです。

現代の若者は10代からタトゥーを入れるため
生涯にわたって長期間タトゥーのインクに含まれている
毒性物質に暴露することになります。

このタトゥーと悪性リンパ腫の関係を調べた
最新の疫学的調査が報告されています。

なぜ、悪性リンパ腫が選ばれたのでしょうか?
 
それは、インクの毒性物質は
リンパ節に運ばれて炎症反応を引き起こすからです。

2007年から2017年の間に
スウェーデンの全国がん登録において
20歳から60歳の間に診断された
全ての新規悪性リンパ腫の症例を特定し
症例あたり3人の年齢および性別が一致する対照群を
全人口登録から無作為に抽出して
タトゥーと悪性リンパ腫の関連を調べています。
 

タトゥーを入れた個人は
全体的な悪性リンパ腫のリスクが有意に高い結果が出ました。

興味深いのは、タトゥーを入れている面積と
悪性リンパ腫のリスクに関係はなかったという点です。

つまり、少量でもインクが入ると
悪性リンパ腫のリスクが高まる(21%のリスク増加)
という相関関係があったということです。

それでは、タトゥーのインクの何が
悪性リンパ腫との関連をもたらしているのでしょうか?

タトゥーのカラーインクには一次芳香族アミン
(PAA、髪染めにも使用されている)が含まれることがあり
黒インクには多環芳香族炭化水素
(PAH、タバコの煙)が含まれることが多いです。
 
また、インクのすべての色に
ヒ素、クロム、コバルト、鉛、ニッケルなどの
金属が含まれています。
(インクを入れる針の破片など)

国際がん研究機関(IARC)は
タトゥーインクに含まれるこれらの化学物質を
「発がん性あり」と分類しています。

これらの物質は
エストロゲン作用を持っています。
 
実際に、エストロゲン補充療法で
悪性リンパ腫のリスク増加と
相関関係にあることが知られています。

エストロゲンは炎症を加速させて
細胞の無秩序な増殖を引き起こす物質です。

人口削減のために開発された技術を「GRIN技術」と呼びます。
(拙著『ウイルスは存在しない』参照)
遺伝子編集、ロボット、情報、そしてナノ技術です。

若者に流行している(正しくは、流行させている)
タトゥーやベイピング(vaping)は
このうちのナノ技術が利用されています。

ヒト以外でタトゥーを入れようとする生命体は
存在するでしょうか(^_−)−☆。