気づいたら、ただ「ノー」と言えばいい | 天然記録

デモもあちらが資金提供しているらしいので手の内

人権なくなる憲法改正が一番危ない

ノーと言っても枠強制…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

↑より抜粋

 

十分な数の人間が憎しみを抱けば

私たちは憎しみの周波数を土台とする現実で生きていかなければならなくなる。

人は自分の戦っている相手になるのだから。

 

「怒りの日」と呼ばれるデモ行進は

このマインドパターンが生み出す現実にどんな影響を与えるだろう。

デモ参加者たちが標的(ターゲット)、この場合は政府に怒りを集中させれば

標的にされた人々からは、同じ軽蔑と反抗の周波数が返ってくる。

日が改まり、新しい電気回路になっても、また同じような怒りと抵抗の静止波が生まれる。

怒りと抵抗がその場駆け足をしているだけだから、私たちはどこにも行くことができない。

本格的な暴動にエスカレートしても同じことが起きて、レベルがもっと過激になる。

現実が本当はどう機能しているかを認識し、その認識から抗議してみてはどうだろう。

あるいは、しばらくの間、抗議を完全に止めてみたらどうなるか、考えてみてほしい。

政府の不公平な行動はそれに対する抗議を生み出す。

抗議はつねに何かに対して行われる。

抗議への抵抗も何かに対する抵抗だ。

何かに対する抗議、何かに対する抵抗は定常波を始動させる。

抵抗は抗議の反射像にすぎないからで、そうやって定常波は形成される。

抗議者は政府に抵抗し、政府は抗議者に抵抗する。

それは往ったり来たりの双方向の振動にほかならない。

 

アルコーン・レプティリアンとそのハイブリッドが

操作によって生み出そうとしているのは、まさにこうした状況だ。

そこからは何の変化も生まれず、ただ集団としての感情の影響が

彼らの朝食となり、ディナーとなり、ティーになっていく。

ソロスのような連中が断固として抗議活動を最大化しようとするのは、こうした理由による。

 

怒りはその力を増強するだけなのだ。

アルベルト・アインシュタインは言っている。

 

あらゆるものはエネルギーであり、エネルギーがすべてである。

自分が望む現実を手に入れるには、その周波数に同調することだ。

ほかに方法はない。これは哲学ではない。物理学だ。

 

誰かに怒りをぶつけられたら、怒り返すのではなく

心を開いて、もっと高いところへ行く(周波数を上げる)ことだ。

相手のパワーを奪えるのは、怒りが反射によって増強されないからだ。

回路がなければ空気に溶けてなくなるから、相手のパワーは消えていく。

怒りはつねに補充(反射)しておかないと、すぐに消えてしまうものなのだ。

大勢が集まって、笑顔を浮かべながら

楽しいお祝いムードで自分たちの論点をアピールすれば

怒りの周波数とは違った、高い周波数が発生する。

 

愛に満ちた表現で不公平を暴露すれば、さらに素晴らしい影響力を得られるだろう。

暴力や怒りの叫び声にそっぽを向いてしまう聴衆からも、ずっと大きな共感を得られるはずだ。

深刻になればなるほど、彼らの力は強くなる。

エリートは悲観的だから、拳を振り上げるより、面と向かって笑い飛ばしてやろう。

奴らから武器を取り上げるには、それが一番の早道だ。

すべてにおいて、私たちにはもっと笑いが必要だ。

 

愛は、不公平に抗議したり、ターゲットを憎悪で攻撃したりしない。

ただ「私はそれを認めない」と言うだけだ。

私は、自分の意志を押し付け、私の自由を消去しようとするものへの協力を拒否する。

「ノー」という言葉を発するのに、面と向かって怒りをぶつける必要はない。

ただ「ノー」と言えばいい。それだけだ。

 

私の経験だが、ハートに従って困難な状況に陥ったように思われていても

最終的にはすべてがうまくいき、頭脳もそれを認めざるをえないときが必ず訪れる。

それも困難があったにもかかわらず、ではなく困難があったおかげで、だ。

その瞬間、対立は解消する。

ハートと頭脳はひとつになり、ひとつのユニットとして機能する。

直感で分かることと精神のプロセスとが同調して、最高のパートナーになる。

直感がこれをしたい、あれを言いたいと感じれば、頭脳が「OK、そうしよう」と答える。

その自由さは、とても言葉で言い表すことはできない。

 

私はこれが正しいことを経験してきたから、すべての人に推奨する。

しかもこれは、誰にでもできる。

ただ選択し、知覚の中心を変えるだけでいいのだ。

憎しみ、恐怖、不安、抑うつなどはすべて低周波の感情で

ハートと頭脳と神経系をつなぐ電磁波の調和を乱してしまう。

 

平和のために戦うのではなく、平和で平和を勝ち取ろう。

憎しみとは愛の不在であり、歪みは愛の、あるいは愛を感じる力の不在である。

私はすべてをひとつとして見ている。

だから、他者を憎むことは自分自身を憎むことになる。

 

人類が現在の状況にあるのは、私たちが自分が何者かを忘れてしまったからだ。

私たちは幻想に、そして偽の支配者に精神を譲り渡してしまっている。

彼らに力があるのは、私たちが力を譲り渡しているからだ。

単にこちらの領域に踏み込んできて乗っ取られるものなら、とっくにそうしているはずだ。

だが彼らには周波数の限界があるから、私たちを間接的に支配することしかできない。

そしてそれができるのは、人類の精神と知覚を

自分たちが操作できる周波数帯に閉じ込めている間だけだ。

アルコーン的存在に関する古今の資料に共通するテーマは

彼らが人間を恐れているということだ。

 

私たちが自らの本質と力に目覚めれば、それでゲームが終わる。

そして彼らはそれを知っている。

したがって解決策は、私たちが幻の自己の知覚を捨てて

無限の自己の高周波状態に入り、今の周波数帯から抜け出すことだ。

私は「存在しかつ存在可能なすべて」という認識になるのだ。

 

問題はひどく複雑に見えるかもしれないが、答えはシンプルだ。

自己アイデンティティを移行すれば、私たちが世界と呼ぶものの中で

あなた自身の人生も、人類全体も、あらゆることが変わり始める。

今まで実現しなかった可能性と

蓋然(がいぜん)性「物事が起こる確実性の度合い」から

まったく違う現実が顕在化してくるからだ。

もしこれをしなければ、人類は破滅する。

すれば、隷属状態は終わる。

なかなか難しい選択じゃないか?