本来であれば明日の午後4時から裁判でしたが、
新型コロナの影響で”緊急性のない”裁判はすべて取り消しになっています。
「新 潟 県 内 の 裁 判 所 を 利 用 さ れ る 皆 様 へ 新 潟 地 方 裁 判 所」
(リンクは新潟地方裁判所)
取り消しが決定した日付が40回目(当日を含めれば41回目)の月命日でした。
確かに一番苦しんでいる息子はもうここにはいないので、”緊急性”は
ないのかもしれませんが…。
まぁ、この国の人権や権利なんてこんなものなのでしょう…。
行政が自ら落ち度を認めたものですら、裁判になれば開き直り、
被害者や遺族を貶めてくる国ですからね。
「裁判とはそういうもの」ということもわかりますが、
行政vs個人、それも一般の人が入れない教育行政という場所での
犯罪について、真摯に反省や向き合うという対応ではなく、
隠ぺいしながらも「学校が悪かったのならその証拠を出せ」という戦い方は
行政や国家権力によって個人の人権や権利を侵食し、奪う行為としか思えません。
専門家が読めば県の答弁書には無理がある、苦しい中での無理やりの言い訳と
思えるものでも、被害者や遺族が見れば度を越した、被害者への言いがかり、
押し付け、差別的な発言としか感じられない内容。
裁判だから何を言ってもいい、エビデンスも、精神医学的証拠もない内容を
平気で書ける相手の弁護士やそれを通した県教委、それに県知事には
怒りと不信感、軽蔑しかありません。
これも今まで私たち日本人は「お上に逆らうな」というような
自分たちの権利をすべて投げ出して、従いながらも、裏では愚痴愚痴言うだけの
責任感のない態度、対応しかしなかったツケなのでしょう…。
そしてそれら大人の間違った感覚を子どもたちにまで強制し続けてきた悪習が
いじめ、ハラスメント、勘違いした権力者への忖度を強化してきたのでしょう。
本当は人権、幸福追求権はこの世に生れ出た人間が生まれた時から持っている
先天的・普遍的な権利です。
誰かから「いただいている」ものではないのです!
最近は確認しなければいけない事や調べたいことなどが多すぎ、
空回りして何も進まないことが多かったですが、今回の期日取り消しで
少し時間や精神力の回復はできそうかなと感じています。
…21日に出たものですから、きっと何か意味があるのでしょう。
何件か前のブログにコメントをいただいているようですが、
多分、明日には確認してコメントを返すことができる…かな、と思います。
皆様のブログにもお邪魔できる…かなとも思います。
なにぶん気持ちが空回りしているような感じが続いていますので、
今やれること、やりたいことに意識を向けています。