今行われようとしているいじめ防止対策推進法の
改悪案でも、その理由として教員が”委縮する”という
現実無視の根拠が出されているようですが…。
お得意の”前例”でしかないですよね。
公務員法で公務員がその職務中の問題に対して、
”一般的には”罪に問われないのはその業務に対して
”委縮する”からという理由付けがあります。
公務、国民全体への奉仕者として行動が委縮してしまい、
国全体に不利益になることを防ぐため、という前提があります。
しかしながら昨今…に限らず、公務員の隠ぺい、改ざん、虚偽答弁などに
どこに”委縮している”ところがあるのでしょうか?
教育公務員に関しては明らかに”委縮”どころではなく、
積極的に個人的な、もしくは身内的な利益に執着し、
公務員としての”全体への奉仕者”としての視点すら一片も感じられない。
その”一部の”利益の為だけに、善良な国民、子どもたちが犠牲になっている。
それは昨今のニュースを少しでも見ている人ならば誰もが感じられることではありませんか?
”委縮した”から、法律にも、自分たちが作ったルールにも従わず、
いじめ対策委員会を開かない校長がいたのでしょうか?
”委縮した”から、その学年主任にすら詳細を伝えず、
遺族に話した内容とは全く違い、遺族からの提案を学校、学年で検討すらせず、
遺族の意向を無視したのでしょうか?
”委縮”ですか?
子どもの心、命を守らず、”委縮”して、何を守ろうとしていた、しているのですか?
wwwproxy3.kanazawa-it.ac.jp、わかりやすいアクセス
”ありがとう”ございます。