陰陽師と、聞くとほとんどの方が思い浮かべるのが、安倍晴明かと思います。

陰陽師=安倍晴明、式神、呪術。

私も、結構そんなイメージでしたw

帝都物語や、
陰陽師の映画や、
漫画の影響が大きかったです。



平安時代中期の、安倍晴明が有名ですが、陰陽師は、奈良時代からいたようです。

平安時代には、陰陽寮という朝廷に所属し、そこに仕える役人たち。それが陰陽師です。
安倍晴明が出てくるまでは、主に加茂家が世襲制で任されていたようです。

  主な仕事は、魔物退治ではなく、日にち選び


天文学や占術を使って星や時期を読み、何かしら行っては行けない日などの暦作りや、行事を予定するときの日取り決めなど、日にちを選ぶことを任されていたのが、陰陽師の仕事といわれます。
また、起きた原因を検証したりもしていたようで、科学者的な役割りもあったようです。


この辺が、西洋占星術と近い部分の気がします。

平和だった、平安時代の貴族たちにとって、火事や病気、災いはとても恐ろしいものでした。

そこに、何かしら制約。
爪を切る日。
髪を洗う日。
これを行ってはダメな日などを、陰陽師に決めてもらい、その通り行うことで、災いから避けられると信じていたようです。

現代のテレビなどの毎日の12星座占いに、通じるものを感じますね。

安倍晴明は、それまでの陰陽師の仕事を大きく変えていった人となります。
実在した人です。


狐から生まれた説がありますが……調べると出生日も載っています。


そして、それまでの先例主義を変えていくことになるのですが……
当初は、40歳でも学生で、有名な陰陽師家の加茂家に弟子入りし、長い下積み時代をおくっていたようです。


陰陽師たちは、朝廷に所属し、それぞれの占いで吉凶を読み取り、貴族社会に売り込んでいっていたようです。


そんな中で、安倍晴明は、平穏無事を願うため、先例主義が当たり前だった時代に、これまでになかった価値観や、手法を取り入れていったようです。
自己PRも上手かった。


安倍晴明の呪術や、祈祷は、それまでの陰陽師にはなかったもので、(主に星をみるたり、原因を調べる役職でしたから……)密教からヒントを得たものといわれています。
それを陰陽師独自のものに、作り上げたようです。

安倍晴明の出生に関しては、いろいろな説があるようです。
父親の名前も、いくつかあり、母親についても狐の化身説が有名です。

現在では、父親も下級貴族の陰陽師であったといわれてます。また母親については、大陸からやって来た女性という説があります。

その母親によって、晴明は、日本にはまだない呪術の知識や、漢方の知識などを学んだとも。

晴明は、呪術というパフォーマンスを行いましたが、病気を治した記録が残っていますし、本人も85歳まで生きているので、漢方や長生きする知識ももっていたと考えられています。

そのため、式神や、鬼、魔物に関しては、安倍晴明以外みえていないので、判断しかねますが、病気などに関しては、パフォーマンスだけでなく、それに見合う知識をもっていたようです。

当時で、85歳まで生きてるだけで、相当な説得力もあります。

人々を不安から取り除くため、という意味では、晴明の広めた、閻魔大王よりも偉い寿命を司るといわれる泰山府君を広めるというのも、一つ一つ片付けるよりは、早いのかもしれません。
それが、陰陽師以外、泰山府君とやり取り不可とする辺りが、かなりやり手のイメージです。


テレビなどの毎日の星占いが、陰陽師と似ていると書きましたが、日本人の平安時代からのDNAの記憶なんでしょうかね(^_^;)


また、陰陽師も、科学者的に起きたことを検証していた。とも書きました。
この辺は、現在、私の星読みの方にどちらかというと近いです。個人の方をみる場合は、決めてかかるのではなく、話を聞いて確認しながら、お互いに検証していく、そんな感じです。


二つは、似てるようで違います。
主体性があるか、ないか?
供依存になっていないか、どうか?

心がけたいことのひとつです。