右左脳統合セラピスト・yuko -30ページ目

右左脳統合セラピスト・yuko

徒然なるままに
日々の気づきをシェアすることで
わかるわかる、とか
あ、この人わたしとおんなじこと考えてる、とか
あー、そうかも、たしかに。とか
そんな『場』を作っていけたらいいなぁ
と思って始めてみました。




前回、

悟るって そういうことだったのか。

という記事を書きました。



でも 次にまた
気づいてしまいました。


『悟るだけでは意味がない』と。



ちょっと大袈裟(おおげさ)な表現になってしまいましたが、

なぜ そう思うのか
予測がつくでしょうか。



実はあまりにも簡単なことなので
拍子抜けするかもしれません。

でも
原理は簡単でも

すべての人に仕掛けられたワナともいえる 大きな落とし穴だと思うのです。



それは
悟るという言葉を
少し大胆に翻訳すれば分かります。

つまり、、


【悟る=根本のしくみを知る】


ただそれだけ。だということ。



これが、

悟ることは別にすごいことじゃない、
とか
悟っても何も変わらない、

という言葉が
ちらほら聞かれる理由なのだと思うのです。



このままでは まだ分かりにくいので
もう少し具体的なハナシに
上の方程式をあてはめてみましょう。



悟るって そういうことだったのか。


の記事でも例として挙げましたが

ここでもデジカメに登場してもらおうと思います。



【悟る=根本のしくみを知る】

この式を応用すると



デジカメについて悟っている

=(イコール)

デジカメの根本的なしくみについて知っている


ということですよね。


ここで間違えてはいけないのは



知っている

≠(ノット イコール)

理解している



であり かつ



知っている

≠(ノット イコール)

自由に使いこなしている


という落とし穴。



つまり、

デジカメの根本的なしくみを
『知った』としても


それをある程度
自分で使いこなせるレベルで理解して

さらにその知識をもとに
実行に移さなければ
(操作してみなければ)


現実的には何も変わらない

=(イコール)

知らなかったときと同じ
機能しか使えず

知らなかったときと同じ
クオリティの写真しか撮れない


=(イコール)


悟っても(根本的なしくみを知っても)

それだけでは意味がない


そのしくみを自由に使いこなせなければ
現実は何も変わらない


という図式が成立することが
お分かりいただけるかと思います。



確かに
そもそも『知る』という行為そのものに価値があるのは間違いないとは思います。


それによって認識が変わる

というのは
本当に天地がひっくり返るほどの
インパクトがある価値ある出来事とも
言えると思います。




けれども
敢えて言いたいのは


『悟る』というのは
スタート地点に立つことであって

ゴールではないということです。



デジカメで言えば
たくさんの機能があることが分かり
様々な可能性があることが分かり

そもそも
たくさんの知恵と技術とが詰まったモノであるということが分かり

感嘆し 感動し (笑)etc、、


ということが分かった『その先』にこそ、
つまり


その しくみを使って
あるいは 使いこなせるように練習して

新しいなにかを産み出していくことにこそ


『知る』ことの意味
『悟る』ことの意味


突き詰めれば

『生きることの意味』


が ある、と思うのです。



そういう意味では
しくみに関して頭では理解していなくとも


感覚的につかんで
果敢に何かを産み出そうと
『創造し続けている』人こそ


悟っている、


と言えるのかもしれません。





だから 敢えて言います。
自分自身に。


悟るだけでは 意味がない、と。

でも

悟ることには 大きな意味がある、とも言いたいです。


実際
理性で根本的なしくみについて理解し

説明をする能力があれば


多くの人に具体的な形で
手を差しのべることができるハズですから。